根/その少女は正しく剣だった/弐
御鹿と鹿波の二人は産屋へと到着した。
そこには、水流城一族で子を産む為に産み育てられた母が集められていた。
その数は十人。
彼女たちの多くは水流城一族の外部の事を知る事なく、ただ母となる為だけに育てられた者である。
怪討として水流城一族の外で活動する事もある御鹿や鹿波からすれば、このような人権のない行いについては思う所はある。
しかしながら、幼少期にはそれを当たり前として育てられている事もあって、御鹿は一族の長としてこの行いをやめさせよう、とは考えなかった。
少なくとも、水流城一族はこうして外を知る機会を奪われた母達によって支えられている面が強く、それを否定すればそれによって生まれた御鹿や鹿波をも否定する事となる。
そのようなことは、二人にはできなかった。
「……いつ見ても、ここの空気だけは違うな」
「まぁ、水流城一族は彼女達によって支えられているからね」
水流城一族にとって肝心要と言っていいのが、この母達の存在。
彼女達は誰もが怪討になって努力すれば二等怪討以上になれるのは間違いない。
そんな才能の塊を、ただより強力な怪討を生み出す為の母として水流城一族では扱っている。
「私よりも強くなる筈だったヤツとか、いるんかな」
鹿波がぽつりとそう呟く。
これに対して「さぁ、どうかしらね」と御鹿は肩をすくめつつ、「そこまで見抜いた上で私達と彼女らを区別してるのかと言われると、なんとも」と曖昧な返しをする。
「若い内に子供を産んだ方が子供にその奇力が受け継がれやすい、っていう説を重要視している関係で、若い内から母として子供を産む事に専念しているからね」
その言葉を聞いて、「あれ?」と鹿波は声を漏らす。
「と言う事は、なんだ。私達の母ってもうここにいなかったりするのか?」
「そう聞いてる。まあ、一族の一員としてどこかにいるらしいけど」
御鹿のその言葉を聞いて、「うーん」と鹿波は考える素振り。
その後、「……やっぱ、この仕組みって……」とポツリと漏らしたのに対して、「しー」と御鹿は指を口元に当てながらその先を鹿波が言うのを静止する。
「……わかるけど、抑えて」
真剣な御鹿の声に、鹿波は「わかった」と口を閉じる事とした。
そうして二人は改めて産屋の様子を見る。
そこで、二人よりも若い女性が横たわり、今にも子供が産まれるのではないか、という光景を二人は見た。
二人がこの様子を見るのは、決して初めてではない。
しかしながら、この産屋における出産の様子というのはあまりにも壮絶なものであり、二人からすれば考えられないものであった。
怪討として様々な怪異と相対して討伐してきた二人にとっても、この出産の様子というのはあまりにも痛々しく、それでいて神々しい。
神聖的なものを二人は感じ取っていた。
――その瞬間だった。
唐突に膨大で強烈な奇力を感じ取った御鹿はその身を震わせる。
その強烈過ぎる奇力に、怪異の類が近くに現れたのかと考えて周囲を見渡すが、隣にいる鹿波も同じく見渡して二人ともそのようなものはいない、と結論づける。
だとすれば、残る可能性は一つ。
これから生まれるであろう子供が、この奇力を持ち合わせている、というもの。
それは考えられない、と御鹿は理性的に考える。
御鹿が今感じ取った奇力というものは、これまで御鹿が相対して来たどの怪異と比べても遜色ない。それどころか、それを上回っているように感じられた。
つまり、これまで御鹿が苦戦したような怪異よりも強い力を生まれた時から持ち合わせている、という事になる。
それは御鹿の常識では考えられない事だった。
「なんだ……これ……」
それは鹿波も同様だったようで、驚きの声をつい漏らしている。
きっと、声を出してしまっている事にすら、鹿波は気づいていないのだろうと御鹿は推測していた。
そうして驚いている間に、赤子が母の身体から出てこの世界に生れ落ちる。
御鹿はその赤子に注視して、これまで感じていた奇力の持ち主は間違いなくこの子であると改めて認識する。
これには「はは……は……」と笑いを零す他ない。
これまで御鹿は多くの怪討や怪異、怪人を見た事がある。
その中には、現全日討の会長である倉橋晴也も含まれている。
しかしながら、この赤子から感じる奇力はそれに匹敵する程。
世界でまだ二人しかいないとされている特等怪討と同等である、という事だ。
それはつまり、この赤子が水流城一族にとって最大の切り札となり得るという事を示している。
水流城一族はこれまで優秀な怪討を多く輩出してきた。
しかしながら、全日討が日本の怪討の集まりとして機能し始めてからに限ると、その筆頭なのが一等怪討の御鹿や二等怪討の鹿波であり、特等怪討は排出できていない。
現段階において、全日討で強い影響力を持つのは長らく唯一の特等怪討だった倉橋晴也や、二人目の特等怪討とされる者の二名。
それを考えるに、全日討における水流城一族の影響力を強める為には特等怪討という存在は非常に大きな意味がある。
そして、たった今それに匹敵する赤子が産まれた。
つまりは、この赤子こそが水流城一族にとっての光明と言える。
残された最後の希望。
それこそが、この赤子である事は明らかだった。
「……これなら……」
この赤子であれば、水流城一族は再興できる。
全日討における発言力も得られる。
その事に、御鹿は気分を大いに高ぶらせていた。
それから五年後。
二〇一六年七月I県某所。
水流城一族の私有地にて。
一人の少女――いや、幼女と表現するべきだろうか――が地を駆ける。
身長は一〇〇センチ前後とかなり小柄で筋肉がついているようにはみえない華奢な身体でありながら、一歩で数メートル程跳躍し、あっという間に五〇メートルをわずか十秒以内で走破する。
しかも、学校の徒競走のような直線コースではなく、悪路という事を考えるととてもではないが信じられないスピードである。
これには御鹿も笑うしかなく、「やはり、彼女は最高傑作だ」と言いながら笑みを浮かべる。
更に、少女の身体は止まらない。
その勢いのままもう五〇メートルほどを疾走し、その終点に立てられていた人間に見立てた木材へと右こぶしを叩きつける。
あまりにも華奢過ぎる身体にも関わらず、その一撃は木材を一瞬で粉砕するに至る。
右腕を前に伸ばした状態のまま気持ちを途切れさせない。
この幼さで残身を理解し、集中を保っている様を見て御鹿は驚きを隠せない。
奇力が桁違いなのは少女が産まれた時から知っている。
それは、水流城一族にその身を置いている者であれば誰もが認識している事である。
しかしながら、その奇力を自由自在に操れるのかという問題が当初はあった。
奇力というのは、自動車で例えるのならば馬力、エンジンのパワーと言えよう。
あればある分だけ、その最高速度や加速度という点で他者を圧倒でき、例えばレースの世界であれば高い水準が求められるというのが自然である。
しかし、そういったパワーのあるものというのは、総じて扱い難くなるというのが定説だ。
繊細な動作を求められる際にはパワーというものは邪魔となりやすい。
それと同様の事が奇力でも言える。
とても強力な奇力を持つのは確かに凄い事である。
しかしながら、身体を動かす際に筋力を補強するような形でそれを運用する、というのは繊細な奇力の操作があって漸く成立するものであり、簡単ではない。
例えるのなら菜箸で米粒を一粒ずつ掴んで運ぶような繊細さであり、これには御鹿もかつて苦しんできた。
血の滲むような努力を積み重ね、そうして漸く一等怪討として認められるようになったという経緯がある。
それにもかかわらず、この眼前の少女はそういった努力を全て経ずに御鹿の到達地点をあっさりと上回って行った。
ここまで圧倒的だと嫉妬という感情は浮かんで来る事すらない。
ただ、自身と相手との間にはとてつもない程の差があるという事を強く認識するだけだった。
これには二等怪討の鹿波も同意見のようで、「……ほんと、いつ見ても凄いよなあ」と完全にお手上げ状態だった。
「……これで、どう?」
少女は首を傾げて御鹿に尋ねる。
一応、実戦経験の有無に関して言えば、少女はまだ訓練しか受けておらず実戦は経験していない。
しかしながら、ここまでの動きができるというのなら、実戦経験の有無等誤差のようなものではないか、と御鹿は感じていた。
その事についての自覚を持たず、純粋に“この動きで問題ないか”を問いかけて来る少女に対して、御鹿はどのように声をかけるべきだろうかと考える。
身のこなしは年相応以上と言うのも憚られる位に抜きん出ていて、水流城一族で怪討として実際に怪異を討伐している者であっても、この少女と一対一で模擬戦を行えば勝てない。
その予感が御鹿にはあった。
「やっぱすげえや。最高傑作って誰もが言う訳だよ」
そんな少女に対して、鹿波は純粋な賞賛を口にする。
いつしか少女は“最高傑作”であると言われるようになった。
水流城一族が優秀な怪討を生み出す為に様々な事をしてきた事は、一族の者であれば周知の事実。
優秀な怪討としての素質がある者同士で子供を作らせる、という競馬におけるより優れた競走馬を生み出すプロセスにあまりにも近い。
だが、その方法で必ずしも理想の結果が得られるとは限らない。
競馬において、優秀な両親の子供は確かに期待されるが、その期待に応えられるケースは決して多くない。
故に、この少女についても確かに奇力については優秀かもしれないが、怪討としてはどうなのだろうか、という声があったのは事実だった。
しかし、そのような声は今やどこにもない。
水流城一族において、この少女は間違いなく最高傑作であり今後の一族を牽引していく怪討になるのは明白。
一族の長であり一等怪討でもある御鹿の指導のもと、これほどまでの動きを五歳で行えているのだから、一族中の期待がこの少女に注がれるも無理のない話であった。
「ほんと、期待通りね」
だからこそ、少女に安易に名前を付ける事はできない。
名前というものは、極めて重要だ。
日本には言霊という概念がある。
名は体を表すと言うがその通りで、その素質に見合った名前でなければその力は十全発揮できない。
御鹿は自身の名前を彼女に譲り渡す事も考えたが、それすらも足りないのではないか、という思いが御鹿の中にはあった。
「それじゃあ、二本目行ってくる」
そんな二人をよそに、訓練の続きを行おうと少女はその場を離れていく。
軽やかな動きで、あっという間に数メートル、数十メートル先へと駆けていく様を眺めながら、御鹿は少女の名前について考えるのだった。
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