第2話 那由多と僕と知恵ノ輪学園(2)


 人間と機械の最大の違いは、機械の思考は有限であることで、対して人間のそれは無限であることだろうと僕は思う。


 無限と表現するとなると、いささか不自然になってしまうが、『数値で表すことができない』──いや、『何物をもってしても完全に表すことができない』とすれば自然であることだろう。


 例えば今僕は、思考のままにそれを綴ってはいるものの、それを文章にしたとなれば、その全てを書き記すことは不可能だろう。

 だから小説には、「行間」が生まれる。それは人間が、有限である文章という媒体に込めた、一種の『表すことのできない何か』であろう。

 機械の文章が、何故だか平坦に感じてしまうその理由の一端が、その『何か』の有無によるものであると、僕は思う。


 他にも機械の動作やルーチンワークには、思考的なミスが存在しない。もちろんミス自体は存在する。がしかし、それらのミスは機械の故障であったり、不具合であったり、何かのバグであったり。不確定でなく確定的で、抽象的でなく具体的。思考由来のものではなく、表層から生まれたものであることが大半である。


 逆に言ってしまえば、思考から生まれるミスを犯す機械など、不良品であるとしか考えられないであろう。


 対して人間のルーチンワークで生まれるミスは、あまりにも不確定であり、形容しがたいものである。

 僕や、他の誰彼も、思い返せば何故かと問いたくなるミスを、日常的に犯していることだろう。そしてそれこそが人間と機械の大きな差であり、決して交わることのできない理由の一つだろう。


 ───そして彼女、《那由多フカシギ》。


 彼女は、ミスを犯さない。


 彼女の計算に狂いはない。彼女の文には誤字がない。彼女の思案に無駄はない。彼女の動作に他意はない。


 さながら彼女は特定の物事だけをこなすために生まれてきた機械であるようだった。


 だから彼女には僕のような、彼女の整備士となる人間が必要となる。


 彼女はそれ以外、何もできないのだから。

 それをするためだけに生まれた、機械なのだから。


 一人じゃご飯も食えない。一人じゃ片付けもできない。一人じゃまともに歩けない。一人じゃまともに生きられない。さながら生まれたての稚児のように。


 人間としては限りなく欠陥品。だけど彼女にはそれが許された。


 彼女は《機械》なのだから。


 ───だから彼女には僕が必要だ。


 それが僕がこの学園に入学した理由であり、彼女が僕を推薦した理由である。


「せーんぱいっ」


 ちょい。っと、哲学な思案をめぐらせていた僕の背中を指でつき、そして挑発的に僕の名前を読んで見せたのは、『早乙女さおとめ しゅう』だ。振り返らずともわかる。


「その呼び方はやめろと言ったろ」


 彼女は──間違えた。彼は何故か僕を先輩と呼ぶ。勘違いしてはいけない、早乙女は僕と同級生だ。


「ははーではなんとお呼びすればいいのでしょーか。変態?」


「確かにも母音は完璧に一致しているが、僕が求めているのはそう言うんじゃない。むしろ悪化だ」


「ありゃ」


 ショートよりも少し長く、ロングとは絶対に言えない。肩につかないくらいの長さの髪。頬に少しかかる毛束に、V字の前髪。


 スレンダーなそのプロポーションと何より整った女性的な顔立ちのせいかおかげかで、彼は女性とよく間違えられる。

 《男の娘》、ネットではそう呼ばれているヤツだ。(こんなことを地の文で綴るのは憚られたが、早乙女はかわいい)


「そうだ早乙女、お前何組だった?」


「100組でした。まあ妥当かな。先輩は?」


 先輩──先の会話はもう忘却の彼方みたいだ。


「僕も100組だ。」


 そう言えば、この学園の特殊なカリキュラムについて、まだ説明していなかったな。


 この学園には、学年というものが存在しない。全ては結果で区別され、世界にもたらした影響や、残した作品、テストや試験の結果など、それらを総合した結果で100から1までの《階級クラス》に分けられる。結果だけを重視した、実力主義の教育制度だ。


 その《階級クラス》と呼ばれるものが、俗に言うクラス分けというものに当たるわけだが。


 ──那由多は何組だろうか。


「まあ、考えるまでもなく1組だろうな」


「?」


「いや、なんでもない……」


 僕は大きな電子掲示板から目を背け、早乙女を見た。

 僕より少し小さな身長。ふいに彼が僕を見上げる。そうして視線がぶつかり合う。


「──ところで早乙女」


「なんでしょう零先輩」


「どうしてお前は……この学園に来たんだ?」


 純粋な疑問。もといた学校でも、彼は特に抜きん出て成績優秀者だったものの、こう言った特殊な学園を好むタイプではないと思っていた。彼は天才でありながら、俗物的な物を好む傾向があったから。


「…………理由ですか」


 そう悩まれると少し困る。ただの口をついて出た疑問。無理して答える必要もないんだが。


「ただの好奇心かなあ。聞かれて答えるような理由はないですよ。──ただ、ひとつだけ、強いて言うなら……」


「なんだ?」


 ───先輩がいたから


 恥ずかしげもなくそう言った。


 いつもと変わらぬその笑顔が、その言葉が冗談であると告げている。しかし瞳は、その限りではなかった。


「そうか」


「……じゃ、教室行きますか? 先輩」


「いや、僕はその前に行かなきゃいけないところがあるんだ」


「ああ」


 早乙女は察したように目を開く。


「那由多ちゃんのとこですね。そりゃあ仕方ない。僕みたいなサブヒロインよりもメインヒロインとのイベントの方が重要ですもんね。あーあ、負けヒロインはつらいなあ……」


「……お前の発言は日に日によくわからなくなっていく」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る