28.決着をつけよう
公園は広いが、街灯の数は少ない。日中の利用を想定しているせいだ。しかし、完全な暗闇というわけでもなかった。
奏たちからある程度離れた場所で、星羅とファントムは向かい合う。
「ルールはどうする?」
「どっちかが降参と言うまで。殺さなければなんでもあり」
「わかった」
実にシンプルだが、それゆえに残酷なルール。
巨大化した大鎌がひゅん、と空を切った。
対するファントムには武器がない。肉弾戦に持ち込むはず――
「っ‼」
眼前の黒いナイフに気付いて、星羅はバリアを展開した。間一髪のところでナイフが音を立てて弾かれる。
「よく見抜いたね」
「ギリギリだったけど……! あんた、それまさか〝アーツ〟⁉」
「そうだよ」
手の中のナイフを弄びながら、ファントムはなんてことなしに答えた。
「市販のナイフや銃でもいいんだけど、持っていて困らないからね」
星羅はちらと足元に目を向けて、ナイフが消えていることに気付く。
「ウォーミングアップはもういいかな?」
ファントムの口元から笑みが消える。目が肉食獣のそれになる。
「行くよ」
駆け出すと同時にナイフが投げられる。すかさず大鎌で叩き落としたが、次の瞬間には新たなナイフが迫っていた。
「くっ!」
バリアを展開して弾くが、ナイフの雨は止まらない。あっという間に間合いを詰められる。
「防戦一方じゃ話にならないよ?」
「ならちょっとは攻撃を緩めろ!」
「無茶言わないで。これでも怪我をしないギリギリなんだから」
明るい場所から暗い場所へ押しやられる。ファントムのナイフがバリアをこすり、派手に火花を散らした。
「――っ、らぁ!」
大鎌を振るう。
火花が消えた先に――いない。
「っ、ぐ⁉」
背中を氷柱が通るような心地に、反射的に前へ転がり出た。そのまま振り返れば、ナイフを振りかぶったまま止まっているファントムの姿。
その姿勢のまま、にこりと笑う。
「……よく、殺気に気付いたね」
「気付くわ、あんなん!」
怒鳴り返しながら、今度は星羅の方から突進する。
獲物が大きいために、どうしても動きがそれに比例する。振って、振って、バトンのように回して、それらすべてを軽々と避けられる。
(おちょくってんのか、こいつ)
どうにか明るい場所へ引きずり出せたが、かすりもしないとさすがに苛立つ。
「……今のうちに戦えてよかったかもな」
躱し、時にナイフでいなしながら、ファントムが呟いた。
「使いこなされたら危なかったかも」
星羅は答えない。ひたすらファントムに向けて大鎌を振るう。
街灯の光が大鎌に反射され、星羅の目を映す。
白目がない。
「は……?」
攻撃も防御も忘れた刹那。
「因果切断、実行」
星羅の小さな声が聞こえた。
「っが、あ……!」
肺が焼ける。全身の骨と筋肉が悲鳴を上げる。膝をつかずに済んだのは、殺し屋として染みついた経験だった。
振りかぶられた大鎌を滲む視界で認め、その範囲から飛んで逃げる。
痛みは初めて知った。だけど、症状は知っていた。
「っ、今……なんの〝縁〟を切った⁉」
思わず問い叫ぶも、星羅からの返事はない。眼球を黒く染めたまま、さらに振りかぶる。
「ぐっ……‼」
避ける。なのに痛みはさらにひどくなった。
〝縁〟を切る。因果律に干渉するそれは、繋いだ者同士に痛みをもたらす。星羅が二百人を超える人数を一気に切った時は、一週間も意識不明のままだった。これほどの反動をもたらすと知っていれば、人数を抑える等の措置を検討できた。
ただこれで能力の使い方を覚えたのか、次に雨宮衣梨朱との縁を切る時は、その痛みをすべて彼女に押し付けられたようだった。
ファントムが知る限り、これが三度目の〝縁切り〟。何度もそれを実行しているということは、星羅ではなくファントム自身にかかわりがある〝縁〟の切断だ。
痛みで思考がままならない中で、三度目の痛み。
「っ、――」
奥歯を噛んで悲鳴は飲み込んだ。
(おかしい)
〝縁切り〟の衝撃はかなりきついが、そう何度も細切れに切っていいものではない。まとめて切れないほど数が多いとしても、こんなに頻繁に切っていいものではないはずだ。
――なにか罠がある。
(思い出せ、たしか千景が言っていた)
手にかけてしまったかつての友人。〝縁切り〟の能力者である彼女が、こぼしていた言葉――。
「今日も愚痴に付き合ってもらっちゃってごめんねー、明人くん」
「いや、僕でよかったらお安い御用だよ」
商店街を並んで歩きながら、千景と明人――ファントムは言葉を交わす。傍から見ればカップルだが、千景にはすでに匠という恋人がいた。じきに結婚するだろうことは、二人から聞いている。
「匠ったら、あたしが仕事の愚痴を言うとすぐ面倒くさそうな顔をするからさー。明人くんも仕事で疲れてるのに、ありがとね」
長い黒髪を揺らしながら千景は言う。頭には星屑のようなグリッターを固めたバレッタが留められていた。
「とんでもない。他の人が能力を使っているところ、あまり見たり聞いたりする機会がないからさ。いつも新鮮だよ」
二人がこうして仕事の愚痴について語り合うことは、事前に匠から了承を取っている。と言っても、千景が一方的に話して、ファントムが相槌を打つだけだ。隣を歩く友人が裏社会で有名な殺し屋であることを、彼女たちは知らない。
ちなみに、最初の頃は浮気を警戒した匠も同行していて、
「千景に手ェ出したら承知しねえぞ」
とファントムにガンを飛ばして千景にどつかれていた。
「明人くんは優しいねえ」
千景はのんびりと歩きながら呟く。
「……実はね、この間来たお客さんが、自殺しちゃったんだ」
「え」
唐突に落とされた爆弾に、ファントムの足が止まる。
「それで精神的に参っちゃって。だから、明人くんに聞いてもらえて助かっちゃった」
振り向いた千景が笑う。夕日で世界が赤く染まる中、その光に吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えた。
手の中に温かいものが握られる。それが自分から掴みに行った千景の腕だと気付くのに、少し時間がかかった。
「あ……明人、くん?」
「あ……」
我に返って、ファントムは手を離す。
「ご、ごめん。急に、消えちゃいそうで……。いや、忘れてっ」
自分でもなにを言っているのかわからなくなって、ファントムはそうまくし立てた。
「……ううん」
千景がゆっくりと、ファントムにもたれかかる。どうすればいいのかわからず固まった彼へ、千景は独り言のように言った。
「……お客さんがね、自分にかかわる〝縁〟をぜんぶ切ってってお願いしてきたの。あたしは、それを断ったの」
「……どうして?」
「〝縁〟をすべて切ったら、世界との繋がりがなくなる。そうしたら、その人は存在できなくなるの。存在の死……居たことすら、わからなくなる」
心臓が縮こまるのを感じた。
「あたしにはそれができなかった。どれだけ辛くても、〝縁〟を切ってその人を忘れることなんてできない。それがその人にとって救いだったとしても。……でも、結局あの人は、死んじゃって……」
ぐす、と洟をすする音がする。
「どうしたらよかったのかなって……」
「…………」
ファントムは、気の利いた言葉を持ち合わせていない。殺し殺される世界にいたせいで、命の価値が軽くなっている。だから、一度会っただけの人の死を悼める彼女の心はわからない。
変身能力を持つせいで、自分の存在がときどき曖昧になる彼の死も、彼女は悲しんでくれるのだろうか。
道ゆく人たちの視線が辛い。ファントムはろくすっぽ動かない思考を働かせた。
「…………。千景は、その人のこと、覚えてる?」
「覚えてるよ。お客さんのことは、みんな覚えてる」
「じゃあ、いいと思う」
千景がゆっくりと顔を上げる。疑問符が浮かぶ顔に、ファントムは答える。
「千景が覚えていてくれたら、その人は少し、嬉しいんじゃないかな」
「……そうかな?」
「誰も覚えていてくれないのは、悲しいよ」
「……うん。そうだね」
千景はハンカチを取り出すと、両目に浮かんでいた涙を吸わせて素早くしまった。
「ありがとう。やっぱり明人くんに話すとスッキリする」
「それはなにより」
再び並んで歩きだす。
匠との待ち合わせ場所まであと五分。
千景の目が赤いことに気付いた彼が、ファントムに詰め寄って彼女に成敗されるまで、あと――
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