数分もせず、レベッカは戻ってきた。

 手には、水差しとコップを持っている。


「どうぞ」


 レベッカは椅子に腰掛けると、コップに水を注いで手渡してくれる。


「ありがとう」


 俺は左手でそれを受け取った――と同時に、右手に握り込んでいたアイテムをレベッカの眼の前に振った。


 レベッカは、顔面に迫ってくるそれをとっさに避けようとしたができず、『解呪の印』は、レベッカの右頬に直撃した。


 驚愕の色に染まったレベッカの顔は、瞬時に、鬼の形相へ変わった。


 立ち絵の9割が無表情だったゲーム画面からは、想像できないような顔だった。


「勇者! 貴様!」


 声はレベッカのままだが、血を吐き出しそうな苦痛が込められていた。


「俺は勇者じゃない。君がレベッカじゃないのと同じようにな」


 俺は右手から、鎖に繋がった解呪の印を地面に向かって落とした。

 鎖が音を立て、その先に繋がれた十字架は、地面すれすれに静止した。

 レベッカは床に這いつくばっている。小さな背中を激しく上下させていた。


「何をするの、痛い」


 レベッカは傷ついた、というように涙を流し、熱を帯びた頬を手で抑えていた。


「さっきボロを出しただろ? いまさら取り繕っても遅いよ」

「何のこと?」


 俺はレベッカの背中に鎖を振って、十字架を叩きつけた。

 チン、と金属音がして、絶叫が牢屋に響いた。


「クソ、クソが!」


 レベッカは立ち上がれない。

 床に向かって悪態をつき、暴言を吐き出し続けている。その小さな身体からは湯気が上がっていた。


「なぜだ! わかるはずがない!」


 レベッカが俺を見上げた。

 歯を食いしばり、睨みつけている。

 右目は、瞳孔が紫色に変色している。


 ――それは、魔王だった。

 今、俺が話しているのは、魔王だ。


「俺が解呪の印を持っているから、俺を最初に殺す予定だったんだろ?」


 魔王が目を見開いた後、俺から視線を逸らした。

 また、クソと言ったが、声にさっきまでの力はなかった。


 俺が叩きつけた『解呪の印』は、対象者のあらゆる呪いを解除できるアイテムだ。

 それは、魔王による精神操作も例外じゃない。


 しかし、ゲーム本編では、出番がなかったアイテムでもある。

 なぜなら、魔王もこのアイテムの存在を知っており、それを持っているのが勇者であることを知っていたからだ。

 だからこそ、魔王は最初の犠牲者にレイを選んだ。

 真っ先にレイを殺し、解呪の印を捨ててしまえば、魔王は自由に動くことができるという寸法だ。


「残念だったね」


 俺が魔王の眼の前にしゃがみこんで言うと、その表情に怯えが浮かんだ。

 ゲームでは決して見せることのなかった畏怖の感情。


 自分は死ぬのだ、という恐怖。


「待ってくれ、せめて理由を――」


 時間稼ぎをしようとしたのか、魔王はそんなことを言い出したが、俺は言い終わらないうちに、その額に十字架を押し付けた。


 額から煙が上がり、絶叫が雨音をかき消した。


 レベッカが金縛りにあったように震えている。全身の筋肉に力が入っていて、指一本も動かせないように見えた。

 叫び声が出ているレベッカの喉からも、白い煙が湧き上がった。


 魔王の魂が、消滅していくのが見えた気がした。


 やがて、身体から力が抜けた。

 俺は彼女を受け止めて、ベッドの上に寝かせた。


 ――これで安心だ。


 俺は椅子に座って、ほっと、息を吐いた。

 魔王の魂は消滅した。

 もう、誰も死なない。


 俺は、助かったのだ。

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