22
俺達は、食堂に場所を変えた。
パトリックは未だにマリアを睨んでいたが、彼を含む全員が食堂のテーブルを囲み、椅子に座ってくれただけでも、少しは頭が冷えたと言えるかもしれない。
「で、犯人は誰なんですか」
単刀直入に、パトリックが言った。私はマリアだと思いますけどね、という言葉がその後に続いた。
名指しされたマリアは、自分の首をハンカチで押さえている。さっきの槍でできた傷だ。
これまでにも修羅場を乗り超えてきているだろうマリアも、味方に切っ先を突きつけられたとあっては、少し憔悴しているようだった。
違う、とは声に出せず、ただ、ゆるゆると首を振るだけだ。
「まだ、俺も断言できない」
「あんた、犯人がわかったんじゃなかったの?」
アンが怖い顔で睨みつけてくる。
「断言できない、と言ったんだ。俺の考えていたことが、論理的に破綻している可能性もある。だから、みんなには審査官になってほしいんだ」
「あんたの推理に破綻がないかを、私達で判断しろってことね」
そうだ、と俺は頷く。
「単に犯人を指摘しても、誰も納得しないだろうし、マリアみたいに、無駄な傷を負う事態は避けたい」
「マリアが犯人な可能性が高いのですから、無駄とは言えないでしょう」
パトリックが憮然とした態度で言った。
「可能性が高いってだけで犯人扱いするのは間違ってる。俺達は、理性のない魔物じゃなくて、人間なんだから」
パトリックだけでなく、同じように武器を構えていたレベッカにも向けた発言った。
――まあ、この世界では殺しが日常茶飯事で、俺の言っていることのほうが異端なのかもしれないが。
「仲間を断罪し、殺すには、それ相応の理由がいる、ということには納得しますが、私は、間違いだったとは思いません」
パトリックがふっと息を吐いて、少しだけ肩の力を抜いた。
――しかし、鋭い視線はマリアに注がれたままだ。
「私も、早とちりだったとは思うけど、疑ってる」
レベッカも同調するように言った。
マリアは自衛のためか、パトリックやレベッカとは対角線になるように、席についている。
2人は、睨んではいるが、さっきみたいな脅しや実力行使には出ないつもりのようだ。
――とりあえず、まともに話ができる程度にはなった。
ただ、万が一があってはいけないので、一応釘を刺しておく。
「俺の話が終わるまでは、みんなには理性的になってほしい。暴力はなしだ」
「暴言は?」
アンが真面目な顔で言った。俺は肩をすくめた。
「――状況により、可とする」
全員が頷いたのを確認して、俺は本題に入った。
「まず、トーマス殺しについて、大まかな事実関係を確認したい」
――トーマスは、内側からしか鍵のかけられない自室で、夜の間に殺された。誰にもアリバイはなく、全員、犯行のチャンスがあった。
「死体は寝ている間に、心臓をナイフで一突きにされて殺されていた。ナイフはレベッカのものだったけど、誰でも手に入れることができたので、普通に考えれば、犯人はナイフを持ってトーマスの部屋に侵入し、眠っていた彼を殺し、鍵をかけて外へ出たことになる。――けど、遺体発見時、部屋は密室だった」
俺はコホン、と咳をして先を続ける。
「部屋には窓があったので、人は通れないにしても、何とかそれを利用して、鍵のかかった部屋の中に寝ているトーマスに、ナイフを突き立てる方法がないかと思案したけど、可能性は薄そうだった。他にも、糸を使って、外側から内鍵をかける方法も検討したけど、これも無理だった」
ここまでは、昨日の昼間に検討した内容だった。全員が頷いている。
「埒が明かないと思った。どうも、根本から俺達は間違っているように思えたんだ」
「というと?」
パトリックが少しだけ身を乗り出す。
「この中の誰かが、スキルを使えたら、と仮定してみた」
「はあ? 馬鹿じゃないの?」
アンが話しにならない、と手を振った。
早速の暴言だ。
「それは大前提でしょ? 誰かがスキルを使えるなら、そもそもわたしたちはこの城に閉じ込められてないんだから」
いいや、と俺は首を振った。
「そうでもない。俺達がここから出るためには、暴風の中、空中を飛ぶか、橋が崩れて渡れなくなった川を飛び越えるしかない。だから、俺達が閉じ込められている正確な理由は、それらを実行する魔術やスキルを使えなかったから、ということになる」
「同じじゃない」
「違う。空間移動や身体強化は、そこそこのMPが必要になる。さっきアンが説明してくれたように、仮に、魔王戦で1人がレベルアップしていた場合、MPの最大値が1%だけ増える。当然、その分使用できるMPも増える。レベルアップで、わずかにMPを回復していた場合、魔王城から出られるほどのMPは回復できないけど――」
「MP消費が少ない一部のスキルなら、使用できる」
レベッカが俺の言葉を継いだ。俺はそのとおり、と頷く。
「ついでに言うと、10レベルごとのボーナスでMPを全回復していた人間はいないと断言できる。全員、お互いのレベルは把握していたと思うけど、トーマスの手記に魔王戦直前時点での全員のレベルが書いてあって、次のレベルアップで10の倍数に到達する人はいなかったから」
「ちょっと待って。――その理論は、誰かがレベルアップした、という前提で成り立っているもの。私は全員を見ていたけど、誰も、魔王戦でレベルアップした人はいなかった」
「見逃した可能性はありませんか?」
「絶対に、ない」
パトリックの問いかけに、レベッカが力強く否定した。
問いかけた本人も、でしょうね、といくらかクールダウンする。
俺の話は、誰かがレベルアップした、という前提での話だ。
なら、その前提が成立しない限り、今の話も成立し得ない。
しかし、と俺は腕を組んでほくそ笑んだ。
「俺は何も、魔王戦でレベルアップした、とは言ってない」
俺は人差し指を天井に向かって立てる。
「この魔王城には、1体だけ、スライムがいた。――それを倒して、犯人はレベルアップしたんだ」
ええ? それは、と、3人は口々に呟いたが、俺が言った意味を理解しているとは思えなかった。
案の定、パトリックは視線を忙しなく動かし、つっかえながら言った。
「スライムは、確かにいましたが――その、スライムを倒しただけでは、経験値が足りないのでは?」
彼の指摘は、正しい。
スライムは――ゲームの中では、確かレベル3だったと記憶しているが、一方の俺達は、レベル80を超えている。
低レベルのスライムをたった1匹倒したところで、もらえる経験値は微々たるものだろう。
レベルアップに必要な経験値が、レベルが高くなるに従って多くなっていくとすると、スライム1匹でそれだけの経験値は、どう転んでも手に入れられない。
しかし、それでも良いのだ。
「ポイントは、魔王を倒したときに、誰もレベルアップしなかったことだ」
それでもピンときていないらしいパトリックに対し、俺は言い聞かせるように説明する。
「魔王は、レベル100を超える化け物だった。倒したときには、自分で確認できないにしろ、かなりの経験値がもらえたはずだ。――けど、誰もレベルアップしなかった。要因としては、パーティ全員で経験値が等分された事があると思う。いくら大量の経験値でも、7人で割ってしまったために、誰にとっても、レベルアップするには足りなかったのだと考えれば、納得できる」
「それはわかりますが――」
俺は片手を上げて、パトリックの言葉を遮った。
「――それでも、経験値は大量だった。このうちの誰かのレベルアップまでの経験値が1000必要だったとして、魔王の討伐時点で、レベルアップまではいかないまでも、998まで溜まっていたとしたら? そして、スライムを倒したそのとき、その経験値分3ポイントが追加されて、レベルアップしたとしたら?」
パトリックが目を見開いて、うめき声を上げた。
レベッカも、見たことがないくらいに目をまん丸にして、全身が泡立つような驚愕に染まっていた。
冷静そうに見えたのは、アンだった。
ううむ、と唸って、自分の顎に手を当てている。
「でもたまたまスライムを倒したら、レベルが上がったなんて、都合が良すぎない? 犯人はそこまで見越して、スライムを殺したってこと?」
「いや、偶然だったんだと思う」
「偶然って――犯人は、たまたまスライムを殺して、たまたま自分のレベルが上がって、その時点でこの殺人を思いついたってこと?」
俺は頷いた。
「自分の経験値が自分では確認できない以上、そうとしか考えられない」
「都合のいい話ね」
「だが、理論的には、発生し得る」
アンはしばし逡巡した後で、渋々頷いたが、入れ替わるようにパトリックが叫んだ。
「いや、ありえませんよ! だって、その説が正しいとするなら――犯人がスライムを殺してレベルアップしたなら、スライムはその時点で、すでに犯人に殺されているんですよね?」
「そうだ」
「でも、私は見たのですよ? トーマスが死んだ後も、初日にいたスライムが場内を這い回っている姿を。――今だって、ほら!」
彼の指差した先に、全員が視線を向けた。
そこには、確かにスライムがいた。
食堂の、半開きになったドアの隙間から、にゅるり、という音が聞こえてきそうな動きで、自らの身体を食堂内に滑り込ませている。
「あのスライムは何なのですか? 初日の時点でスライムは殺されているのだとしたら、ここにいる説明がつかないでしょう?」
「いや、こいつは、俺達が初日に見たスライムとは、別のスライムだよ。そうとしか考えられないし、そう考えれば、すべての辻褄が合う」
俺が言うと、全員が顔をしかめた。
終始無表情なはずのレベッカでさえ、困惑を隠しきれていなかった。
「別の、スライム? ――レイは、魔王城に、スライムが2匹いたって言いたいの?」
「いや、魔王城にいたのは、スライム1匹だけだったはずだ。全員で、そこまで広くもない城内をくまなく探したんだ。そこは疑ってない」
「なら、どういう意味?」
「つまり、スライムは、スキルによって生み出されたものだったってことだ」
場に沈黙が降りたが、俺は構わず続ける。
「犯人はスライムを殺すことで、レベルアップした。そのとき、MPの最大値は増加し、これに対応して、1%分のMPが回復した。このMPを使って、犯人はスキルを使って、新しくスライムを召喚したんだ」
いち早く、混乱から脱したらしいパトリックが、おそるおそるといった様子で口を開く。
「――では、2日目以降にみたスライムは―、『召喚』スキルによって生み出されたものだというのですか?」
「そのとおりだ」
俺が頷くと、ううむ、とパトリックは腕を組んで、視線をテーブルの上に落とした。
その視線の先に、俺は、トーマスのカバンの中にあった備忘録を広げてみせる。
全員の使用可能スキルの一覧表を開いて、そこに書かれていた『召喚』というスキルを指差した。
「スライムを生み出すことができるのは、このスキルだけだ。この時点で、犯人はこのスキルを使用できる人間に絞られる」
――犯人はスライムを倒してレベルアップし、更に、スライムを召喚した。
『召喚』の消費MPは4と少ない。
全員、MP最大値は400を超えているから、『レベルアップで回復するMPは最大値の1%』だとしても、スキルを使える条件を満たしている。
「使えるのは、私と、アン」
レベッカが呟くと、アンの肩が震えた。
『召喚』は、どちらかといえば後方支援向きのスキルだ。
レベッカは暗殺者であるが、煙幕や目眩まし、自分の姿を見えなくするなど、魔物の力を借りた飛び道具で相手の隙をつくこともあり、体得したという背景があったらしい。
一方、アンはLv1しか使えない。
冒険の初期に、偵察のために体得したきり、スキルレベルを全く上げていなかったのだ。
スライムを召喚できるだけで、戦闘ではまったく役に立たないため、ランダムに使用できるスキルが選択されるこのダンジョンでは、完全に死にスキルだったが、他に使える火魔術が比較的攻撃力が高いスキルだったため、魔王討伐でも支障はなかったようだ。
「アンはLv1しか使えないようですが、スライムを召喚することは可能なのですか」
「できるわ。Lv1で召喚できるのは、スライムだけね」
アンが平坦な口調で言った。
レベッカも、あまり動揺しているようには見えない。
2人とも、容疑者候補として名指しされたのに、反応が薄かった。
「けど、こんなの、あんたの妄想じゃない?」
人差し指を紙の上に突き立てて、アンが言った。
「犯人は、スライムを殺してレベルアップしたはずだ――っていうのを前提に、現状のスライムが生きているという問題を解決するために考えついた妄想よ。そもそも、スライムは最初から殺されていなかっただけでしょ? それに、スライムを召喚したところで、トーマスをどうやって殺すっていうのよ?」
「そうですよ」
すっかり冷静さを取り戻したパトリックが追撃する。
「犯人がスキルを使ったのではないか、というレイの推理を聞いたときには、アンの空間移動なら、密室内に瞬間移動して――と考えました。しかし、空間移動は消費MPが50と明らかに多いですから、1レベルアップでは使えません。それに、今のレイの話では、スライムが召喚されていなければ、現状、スライムが生きているという説明がつかない――犯人がスライムを殺し、レベルアップを成し遂げたのなら、その増加分のMPを消費して、スライムを召喚していなければならない。――他のスキルは使えない、ということになります」
俺は、異議なし、というように頷いた。
「レイの仮説に則るなら、犯人はスライムを召喚することで、トーマスを殺したことになる――そんなこと、一体どうやったというのですか?」
「簡単だ。――召喚したスライムを操って、ナイフを部屋の中へ運び、殺したんだ」
召喚した魔物は、召喚者が操ることができる。
そのうえ、スライムには、ある程度の隙間なら自分の体を変化させて侵入することができるという能力と、アイテムを自分の体内に保持できるという特性がある。
スライムにナイフを取り込ませた状態で、スライムを操れば、ナイフを移動させることが可能なのだ。
「――けど、そんな痕跡はあの部屋になかった」
反射的に出たのだろうレベッカの反論に、俺はそうだな、と腕を組む。
「けど、それも当たり前だ。――魔物は死ぬと、塵になって消えてしまう。スライムがいた痕跡も残らない」
つまり、と俺は続ける。
「犯人は、ナイフを体内に保持させたスライムを外へ出し、トーマスが寝静まったのを確認して、窓から部屋へ侵入させた。窓は人間が通り抜けるには狭かったけど、ある程度形を変えられるスライムになら、簡単に通り抜けられたはずだ。窓はちょうど本棚の上に位置していたから、スライムは本棚の上を移動して、トーマスの寝ている真上へ。――そして、そのままトーマスの胸の上へ落ちる」
スライムは、非常に弱い魔物だ。それなりの高さから落ちたら勝手に潰れて死んでしまうだろう。
それに加えて、今回は体内にナイフを保持している。
切っ先を下にして、自分ごと落下すれば、落下の勢いでナイフはスライムの表面を破って、トーマスの胸に刺さる。
そして、スライム自身はそのまま塵となって消えてしまう。
だから、部屋の中に痕跡は残らない。
「――窓からスライムが侵入できれば、トーマスを殺せることはわかりましたが」
疑問を口にしたのは、パトリックだった。
「スライムはそもそも、扉を開けたり、窓まで壁をよじ登ったりできるものなんですか?」
「できないと思う。でも、パトリックも言ってたと思うけど、トーマスの部屋の窓は外から見れば、地面と同じ高さにあったんだ。スライムも、そのまま地面を這っていけばいいわけで、窓から侵入することは可能なはずだ」
窓の構造についても、説明した。
窓には鍵がついておらず、外から押し開く形で開けることが可能だったから、スライムでも、侵入することができたはずだ。
そう言えば、とレベッカが自分の頬に手を当てる。
「魔王を討伐した後、スライムが半開きのドアを押し開けて、牢屋の方へ向かったのを見た。だから、窓を押して侵入することは可能だったはず」
俺は頷き、補足する。
「当日はエントランスの玄関ドアが半開きになっていた。おそらく、犯人に操られていたスライムは、エントランスからドアを押して外へ出たんだと思う。そのせいで、ドアが半開きになっていたんだ」
「――しかし、外は、雨でしたよね?」
パトリックは、テーブルの上に視線を落としたまま、ゆっくりと口を動かした。
頭の中を整理しながら、話しているように見えた。
「スライムが窓から侵入して、トーマスの上に落ちてきたのなら、本棚の上や、トーマスの身体の上が濡れていなければおかしい。外は雨でしたから、当然、移動してきたスライム自身も濡れていたはずです」
「スライムを、タオルで覆ってしまえば、濡れなくて済む。多分、犯人は、シャワー室にあった俺用のタオルを拝借したんだろう」
タオルは倉庫にも保管されていたが、その鍵はマリアが持っていた。
召喚を使えるレベッカやアンは倉庫には入れなかったから、どちらが犯人だとしても、シャワー室から拝借するしかなかったのだ。
「しかし――何度も言いますが、これまでのところ、レイの話はすべて仮定の話ですよね? スライムが侵入したのだという証拠は、あるのですか?」
「本棚の上に、埃がなかったことだ」
想定していた反論だったので、すぐに答えることができた。
「マーカスが発案した『氷を使った仕掛け』を検証するために、本棚の上をみた時、妙に綺麗だったんだ。最初は、魔王の配下の魔物が掃除をしたのだと思ってたけど、一方で、床の隅や本棚の足元には埃が溜まっていた。もし掃除をしたのだとしたら、本棚の上だけ掃除して、床を掃除しないのはどう考えてもおかしい。――けど、本棚の上をスライムが通ったと考えれば説明がつく。スライムは、通ったところの埃を食べて、綺麗にしてくれる――本棚の上だけ埃が全くなかったのは、スライムが通ったからだ」
トーマスの部屋の床に埃が落ちていたのは、スライムがドアノブを捻ってドアを開けることができなかったためだ。半開きの状態でもなければ、個人の部屋には出入りできなかったためだろう。
これで納得いただけたかな、と俺は肩をすくめた。
「――気づきませんでした」
パトリックが苦虫を噛み潰したような顔をする。
彼は、トーマスが殺されたあと、一人で城の中を調べていたはずだ。気づかなかったのが悔しいのだろう。
しかし、彼の苦しげな表情はすぐに消え失せた。
「確かに、トーマスを殺したのは、スライムを倒してレベルアップした犯人かもしれません。――しかし、私の当初の疑問には答えられていません」
俺が腕を組んで、話を聞く体制に入ると、それを察した彼は先を続けた。
「レイの話では、最初に魔王城にいたスライムは犯人に殺され、そして、その後召喚されたスライムは、トーマスの殺人に使われて消滅した――ということになります」
「そうだな」
「では、ここにいるスライムは何なのですか?」
パトリックは、先ほど食堂に入ってきたスライムを、もう一度指差した。
「どうして、まだスライムは生きているのですか? これでは、辻褄が合いません」
「いいや、何もおかしいことはない」
だって、と俺は続ける。
「だって、犯人は、敵を倒したんだ」
パトリックは自分が何を言われているのかわかっていないようで、口を半開きにしていた。
「――敵? トーマスのことですか」
「そうだ。トーマスは犯人にとって敵だった。――その敵を倒したんだから、経験値が入るはずだろ、当然に」
当然に、という言葉を何倍にも強調して、俺は言った。
――他人の手柄を横取りする趣味はないので、レベッカのアイデアだったんだが、と俺は前置きして、
「犯人は、トーマスを殺して、そのことによって得た経験値で、さらにレベルアップしたんだ」
パトリックは、目をビー玉のように見開いていた。
――え、どうしてそんなに驚いてるんだ?
人を殺して、魔物を殺して、経験値を稼いで、レベルアップを重ねてここまで来たはずなのに、その大原則を忘れるなんてことがあるのか?
発案者であるレベッカも、俺と同じ反応だった。
無表情を通り越して、能面のような顔になっている。
――彼女は、暗殺者だ。
このなかでも、最も人間を殺して、レベルを上げてきたはずだ。
自明なことを何を今更、と呆れているのだろうと思っていた俺は、次の彼女の呟きに虚をつかれた。
「――無理ない」
確かに、そう聞こえた。
周りを見渡すと、マリアやアンはレベッカ側のようだ。パトリックの反応に対して、しきりに瞬きしている。
2人の表情からは、そのような可能性に思い至らなかったことが不思議だという、単なる疑問しか読み取れない。
それに比べて、レベッカの瞳には、それとは違う――哀愁か、もしくは羨望か、そのようなものが漂っていた。
――やはりレベッカは、暗殺者である自分が嫌いなのだ。
人殺しによるレベルアップを思いつけないパトリックを羨ましいとさえ思い、逆に、簡単に思いついてしまった自分を自覚し、自らの両手が真っ赤に染まっていることを思い知らされて――簡単に言えば、ちょっと凹んでいるのかもしれない。
俺は、何か声をかけようと口を開いたが、何を言えばいいのかわからず、結局、視線をテーブル上に落として、説明を続けた。
「――犯人はスライムを殺してレベルアップ、これで得たMPを消費して、スライムを召喚した。さらにこれを操って、トーマスを殺した。そして、トーマスを殺したことで、犯人は更にレベルアップした。これにより、犯人はさらにスライムを召喚することが可能になる」
こうすれば、殺しにより、さらなる殺しが可能になる。
まるで連鎖だ。
殺人スパイラルとでも呼ぶべき連鎖。
「つまり、ここにいるスライムも、犯人の召喚したものだってこと?」
アンが眉毛をめいいっぱい潜め、低い声で言った。
俺は頷く。
「トーマスを殺した後、犯人は、スライムが消えていたら怪しまれるかもしれないと考えた――だから、せっかく増えたなけなしのMPを消費して、もう一度、スライムを召喚した。俺達は、スライムなんて気にもとめていなかったし、あえて殺す必要もなかった。というか、殺してはいけないという空気すらあった。召喚したスライムが殺される心配はしなくてよかったはずだ。――逆に言えば、誰もスライムを殺そうとしなかったからこそ、犯人はスライムが生存している状況を変えられず、召喚することを強制された。だから今も、スライムはこの城を徘徊している」
俺はほっと息をついて、テーブルの上に置かれていたカップに口をつける。
今の今まで、自分の推理を舌の上に乗せるのに夢中で、マリアに淹れてもらったのを失念していた紅茶だ。
ぬるくなった紅茶を舌の上で弄んでいる間、全員が黙っていた。
マリアは、テーブルの上に視線を固定している。
反対にアンは、頭上のハエでも追うように目を泳がせていた。
沈黙を破ったのは、レベッカだった。
何かに気づいたように、スキル一覧の1つを指差した。
「トーマスが最初に殺されたのは、これのせい?」
小さな人差し指の先にあったのは、トーマスのスキル、『鑑定』だった。
「なるほど」
パトリックが腕を組んで、納得したというように、何度も大きく頷いた。
「レベルアップがトーマスの『鑑定』でバレてしまうとまずい、ということですか」
最初、食堂で無防備に寝ていたメンバーもいたのに、自分の部屋に鍵までして引っ込んでいたトーマスがどうして狙われたのか、という謎があった。
これは、トーマスを生かしていると、犯人がステータスを確認されて、レベルアップしたことが簡単にバレてしまうからだったとすれば、辻褄が合う。
「個人的な恨みではなく、今後の計画のために必要だったから、殺したんですね」
「ってことは、犯人はレベルアップした段階で、複数回の殺人を考えていたことになるわね」
アンの言葉に、俺は無言で頷いた。――そのとおりだった。
今後の殺人を考えていなければ、パトリックの鑑定が邪魔だ、という考えは出てこない。
「――ともかく、あんたの言う通りなら、今スライムがいることも、トーマス殺しの方法にも説明がつくわね」
自らが容疑者の1人となっても、動じる様子は微塵もなく、アンは、軽くテーブルを指先で叩いた。
「トーマスを殺した方法はわかったわ。私とレベッカが可能だったこともわかった。でも、パトリックの言った通り、マーカスを殺した犯人はマリアの可能性が高いのも事実よ」
彼女は、テーブルを叩いていた指先をマリアに向けた。
その爪の長い指先を、苦虫を噛み潰したような顔で見つめるマリアは、苛立ちを声に込めた。
「だから――殺してなんかないって何度も言ってるのに――不可解な点があることは、あなたたちも認めるところでしょう?」
確かにそうだが、アンやパトリックはそれを加味しても、まだマリアが、マーカス殺しの犯人である可能性が高いと考えているようだった。
もっとも、アンの場合は、自分の嫌疑を逸らそうという魂胆なのかもしれないが。
俺は、話を軌道修正する。
「まずは、俺に最後まで話させてくれないか」
「もう終わったんじゃないの?」
「マーカス殺しの話が、まだだ」
「え? ――マーカス殺しは、マリアが指輪を交換した犯人ということで、片付いた話なのでは?」
「別の可能性もある」
「それはつまり、また、スライムを使ったということですか」
「そうだ。犯人は、マーカス殺しでもスライムを使ったのかもしれない」
俺が言うと、アンとパトリックが顔を歪めた。マリアが犯人じゃないと俺が考えていることに、納得がいかないのだろう。
しかし、俺は反応を無視して続ける。
「マリアが不倫している最中、もしくは、2人が寝静まった後に、犯人はスライムを侵入させた。犯人が二人の浮気を知っていたのかどうかはわからないけど、スライムを操って色々と情報収集はできただろうから、もしかしたら、魔王城にいるこの2日の間に、ある程度勘づいていたのかもしれない」
犯人は、マリアとマーカスの不倫を知って、魔王の指輪と婚約指輪の交換による殺害を思いついた。
通常なら、指輪を外すシチュエーションはあまり考えられないが、不倫のときには十中八九外す。実際、犯人はスライム越しに、窓の外からその様子を見ていたのかもしれない。
そして、それを利用することを思いついた。
「スライムは、トーマスのときと同じように窓から侵入した。体内に魔王の指輪を保有していて、雨に濡れないように、再びシャワー室から拝借したタオルも巻いていたはずだ。その証拠に、窓の外の壁際にタオルが放置されていた。スライムが濡れないように包んでいたものだろう。――窓は机のすぐ前にあったから、スライムを変形させて、小さな窓を通過させ、テーブルの上にあった指輪を押し出して、代わりに魔王の指輪を置いたんだ」
魔王の指輪自体はトーマスの部屋にあったが、夕食後であれば、誰でも持ち出すことは可能だった。
自力で指輪を持ち出して、スライムに取り込ませて、自室の窓か、エントランスを経由して外へ出すことは簡単だったはずだ。
「けど、ここで問題になるのが、指輪をいかにしてテーブルの上に置くか――つまり、スライムを、どうやって机の上で自害させるかだった」
スライムは、体内に保持したアイテムを自由に取り出すことはできない。死んだときに限り、スライム本体の消滅という形でのみ、中身を取り出すことができるのだ。
さらに、召喚スキルを解除しても、召喚した魔物は死なない。
魔物は消滅せず、自らの意思で動き回ることになる。
「テーブルの上に指輪を置くためには、スライムを操って、テーブルの上で殺す必要がある。それを、犯人はどうやったか」
俺は問いかけのつもりで全員を見回した。
反応は様々だった。
パトリックは、もはやついていけない、というように周りに視線を彷徨わせていた。
一方のマリアとアンは目を閉じて、考えているようだった。
レベッカはまっすぐに俺を見つめ返してきた。
「マリア」
呼びかけると、彼女はぱっと瞳を開いて顔を上げた。
「マーカスは、指輪をテーブルのどこに置いてた?」
えっと、と数秒の逡巡の後
「時計の隣だったと思うわ」
「そうか」
そのとき、レベッカの瞳がキラリと光った気がした。
促すように軽く顎を突き出すと、彼女は言った。
「時計の針で、串刺しにしたのね」
俺は大きく頷く。
優秀な生徒を持った教師の気持ちがわかった気がした。
「テーブルの上から床に落ちればスライムは死ぬだろうけど、それだと指輪が床の上に転がってしまう。テーブルの上で死ぬには、あの魔術時計の鋭い時針で、自分を貫かせる以外にないんだ」
実は、スライムを使った殺人は、アイデアとしてはおぼろげながらに思いついていた。
マーカスの死因が指輪の取り違いだった、という時点で、スライムをデリバリー代わりに使うアイデアもあった。
しかし、死体が見つかったのがマーカスの部屋だったことで、俺は混乱した。
彼の部屋には窓がなく、スライムを侵入できる余地がなかったからだ。
――再びこのアイデアが浮かび上がってきたのは、犯行場所が違うとわかったときだ。
マリアの部屋には鉄格子付きではあるものの、トーマスと同じように窓があり、さらに、机の上には魔術時計があった。
細かいところを詰めていくときにボトルネックとなっていたスライムの自殺方法も、時計の存在で氷解したのだ。
「――犯人は、スライムを魔術時計の時針で貫くことで殺し、魔王の指輪だけが残った」
レベッカの頷きながらの呟きに、マリアは呼応するように言った。
「私やマーカスが気づかなかったのは、犯人が部屋に入ってきていなかったから。指輪が床の上に落ちていたのは、スライムでは回収することができず、床に落とすのがやっとだったから――」
後半は呟くようになり、大きく何度か頷いた。マリアは気を取り戻したようだった。
それは、マリアが犯人とした場合に不自然に思われたいくつかの点が、『スライムによる犯行説』で説明できるようになったためだろう。
心が軽くなったようで、自然な動作で足を組んでみせた。
俺は肩をすくめて手のひらを天井に向けた。
「で、審査官のご意見は?」
俺はかしこまっていったが、みんなはぽかんと口を開けていた。やがて、錆びついたネジの音が聞こえそうなほどぎこちない動きで首を回し、全員がお互いの顔を見合わせた。
みんな、自らの役目を忘れていたらしい。
「特にないですね」
数十秒に及ぶ沈黙が流れ、無音に耐えかねたパトリックがおずおずと言った。
「ほかのみんなも?」
レベッカは、肯定とも否定ともとれないような首の動かし方。マリアも同じだ。自分がマーカス殺しの容疑者から外れていないので、状況は特に変わっていないためだろう。
「で、結局、私とレベッカ、どっちが犯人だって言いたいの?」
アンが身を乗り出して言った。
「散々しゃべっておいて、結局、犯人はわかりません、とか承知しないわよ」
拳を握りしめて、睨みつけてくる。
暴力禁止と前置きしたのに、げんこつの一発でも食らわせてきそうだ。
レベッカも、表情は乏しいものの、肩に力が入っているのがわかった。自分が容疑者として名指しされて、緊張しているのだ。
「ここまでの推理に、異論はないんだな?」
俺は平静を装って、静かに行った。アンは、俺の反応の薄さに白けたように、特にないわ、とぶっきらぼうに言う。
「私は犯人じゃないけどね」
レベッカも無言で頷く。
「第一の事件だけだと、犯人を特定することはできない。犯行時間がわからないし、手がかりも特になく、アンもレベッカも犯行が可能だったから」
けど、と俺は言い、唇を舌で濡らす。
「マーカス殺しも、スライムを使って行ったと仮定すると、犯行時刻を特定できるんだ。――魔術時計で」
時計、とマリアが呟いた。
「俺の推理が正しいなら、スライムは時計の時針で自らの身体を刺したことになる」
俺は食堂の床を這いずっているスライムを指差す。
「こいつの大きさは直径30センチほど。そして、魔法時計の時針は、机から30センチほどの高さに軸が浮いていたはずだ」
間違いないか、と首を僅かに傾けると、レベッカやマリアが頷いた。
「時計の針は正確だったし、手で動かすことはできない。つまり、スライムが自殺するためには、針が水平または下側に向いているときでないといけないことになる。――マリア、今朝、マーカスが起きたのは5時くらいだったと言ってたよな?」
俺が言うと、マリアは急に呼ばれたことに驚きながらも、頷いた。
「ええ、そうね。魔術時計で確認したわ。針は、5時を刺していた」
「その前でなければ成立しないから、遅くとも、5時よりも前に指輪が交換されたことになる。昨日の夜、解散したのが10時から11時くらいの間だったから、それよりも後で、かつ、時針が下半分にあり、5時よりも前の時間に、スライムは死んだということ。つまり、指輪の交換とスライムの自殺は、大目に見て、3時から5時までの間の2時間に行われたと予想できる」
なるほど、とマリアが頷いている。パトリックも納得した様子だ。
「この時間、レベッカにはアリバイがある」
監視をしていた間、レベッカがトイレに起きてきたのは2時半頃で、それから5時過ぎまで、俺はレベッカを見ている。
他ならぬ俺自身が、レベッカの証人なのだ。
「つまり、スライムの操作が可能だったのは、アンだけだ」
俺が言うと、一瞬、場が静まった。
次の瞬間には、ふふふ、とアンが笑みをこぼしていた。
「そのアリバイは、あんたが嘘をついている可能性が捨てきれないわよね? 2人が結託していないと、どうして言い切れるのよ?」
それに、とアンは自らの赤髪を手ぐしで整えながら、
「マーカス殺しに関しては、マリアにだって犯行が可能だった。なら、トーマスはレベッカが殺し、マーカスはマリアが殺した可能性だってある。私が犯人だとは断言できない」
ぜーんぶ、可能性の話でしょ? とアンは両手を広げた。
「レイの言っていることは、最初から最後まで、全部、そうだったら辻褄が合う、説明がつくっていう仮定の話ばかりじゃない?」
「それは、そうですが」
パトリックが呟いたのをこれ幸いと、アンは机を手のひらで、バンと叩いた。
「みんな忘れたの? 犯人かもしれない、という理由で仲間を殺しちゃいけないって言ったのは、レイでしょ? 私を、仮定の話だけで犯人だと決めつけていいの?」
アンはみんなに向けて演説をしているが、視線は俺の顔面に固定されている。
刺すような視線だ。
「それはつまり、証拠をご所望だってことか?」
俺が言うと、アンは一瞬怯んだように口元を歪めて、そうよ、と床を踵で叩いた。
「私が2人を殺したという証拠を持ってきなさいよ」
「そう言われると思ったよ」
そう言って俺は、全員が注目するなか、懐から小瓶を取り出した。
小瓶の中には赤い液体が入っており、コルク栓がされている。それを俺は机の上にとんとおいて、勢いをつけて、アンの方へ滑らせた。
バーテンダーのようにうまく彼女の前では静止せず、ビンはこてんと倒れて、半円を描くように転がって、アンの前で止まった。
「これは?」
彼女はきょとんとした顔で小瓶の軌跡を追い、つまむように拾い上げた。
「アンがスライムを殺し、トーマスを殺し、マーカスを殺したとすると、3レベルアップしていることになる」
俺は瓶の中身を見つめているアンの表情を見ながら言う。
「トーマスの備忘録によると、アンは魔王戦開始前の時点で87レベルだった。魔王戦でレベルアップしなかったとすると、スライムを倒した場合は88、トーマスを殺して89、そして、マーカスを殺せば90レベルに達しているはず」
10の倍数のレベルへの到達。
それに伴い、HPとMPは、全回復している。
「この時点で、アンは目的を達成していたんじゃないか? アンは、1週間も待っていられなかったから、仲間を殺して、ここから出ようとしたんじゃないか?」
いや、と俺は首を振る。
「出ようとした、じゃなく、もう魔王城からは脱出済みなんじゃないか? 師匠の死に目には会えたのか?」
レベッカが頭を上げた。驚きの表情が顔面に張り付いている。
――彼女には、空間移動のスキルがある。
1レベルアップのMP回復分では使えなくても、完全回復してしまえば、空間移動も使用できる。
視界内の任意の地点へ瞬間移動するというそのスキルを使えば、自室から窓の外へ――魔王城内から出ることは容易い。
さらに、魔王城のマップから出てしまえば、『スキルが3つしか使えない』という縛りもなくなるのだ。マーカスを殺した後、俺が呼びに行くまでの間に、師匠に会いに行くこともできたかもしれない。
「――もし、2人を殺したのがアンなら、レベルアップして90に達して、HPも全開になっている。ということは、その体力回復ポーションは使えないはずだ。身の潔白を証明したいのなら、今ここで、ポーションの栓を開けて、飲んでみせろ」
アンは、無言で瓶を見つめ、コルク栓を抜こうと指で引張り、しかし、いくら力を込めても、栓は抜けなかった。
アンは、瓶を床に叩きつけた。
「クソ」
彼女は呟いて、赤い液体が広がった床を見つめた。
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