第4章「秘密結社をよろしく」
ep.12 主なきゴーレムたち
1ヶ月後の正午。晩秋の時雨が降るモンターニャ・デラーゴの上空にて――。排気ガスで汚れた雨粒に晒されながら、大きな鴉が白銅色の曇り空を突っ切っていく。
その嘴の向く先には黒岩の巨塔群が厳かに控えていた。鴉は煉瓦の下町を越え、その先に聳え立つ古塔たちの足元へ滑り込んでいく。
『カァーッ……』
程なくして鴉は摩天楼の足元に設けられた植物園の上空に躍り出た。
この一帯には大規模な都市公園が広がっており、外気温はわずか8度ほどしかないというのに、野外ステージの前は傘をさした数百名の群衆で溢れかえっている。
――見るに大広場では演説が行われているようである。修道服を着た男女の演者が語る説法に耳を傾けながら、鴉は群衆の頭上をゆるりと滑空した。
『皆さんも生誕祭の日に見たでしょう、街で暴れ狂うゴーレムたちを。彼らに歪んだ願いを託す者は未だ絶えることがない。ましてや外の世界に錬金術の秘密が漏れ出してしまった今、いつかゴーレムに破滅的な願望を託す者が現れたとしてもおかしくはありません』
『我々は表世界に先立つ文明を持つ者として、彼らが文明を滅ぼす未来を止めねばなりません。表世界の人間たちに自らを律することなど期待してはならない。彼らが子供たちの未来を閉ざしてしまう前に我々は立ち上がる必要があるのです。――もし貴方が我々と志を同じにするのであれば、ぜひ我々の教会へ。ともに世界を救いましょう』
身体を頭を沈めて急降下し、広場の手すりに鉤爪を引っ掛ける鴉。しばしそこで羽を休めていたところ、あるとき彼女に背後から声を掛ける者がいた。
「おや、キミも見物かい。カラスさん」
少しアンニュイな少女の声――。鴉が振り返ると、植え込みの前にレインコートを着た中肉中背の娘がいた。
ふと雨風に煽られて彼女の被っていたフードが脱げる。露わになったのはツインテールに結われた藤色の髪と――、不自然なほど整った小顔。色白の肌は茹で卵のように滲みひとつなく、頭には猫の折れ耳のような小さな角がある。不気味な肉体を持つ美少女は小雨の中で鴉の隣に歩み寄ると、ひんやり冷たい嘴を濡れた指で優しく撫でた。
『カァ』
「ごめんよ、食べ物は持ってなくてね」
鴉はしばらく彼女が気を許すままにその白い手を嘴で突いていたが、やがてその青い眼は人混みの中から雨ざらしで歩いてくる雨合羽を見つける。自分と戯れているのとまるで生写しのような娘だった。瓜二つの顔に猫耳のような角――、あちらは珊瑚色の髪だ。
「リカ、そんなばっちい鳥に触っちゃダメだよ」
「リナ、よく見て。この子もゴーレムだ」
「ゴ〜〜〜〜レム〜〜〜?」
冷たい風に煽られるフードを指先で掴みながら、美少女は石畳の水溜りを踏み鳴らして近づいてくる。鴉を睨む彼女の頭にも猫の立ち耳があったのを鴉は見逃さなかった。
「相変わらず外の世界のゴーレムは雑な作りしてるね!」
「そう言うなよ、ボクら姉妹の同胞なのだから」
指の腹で鴉の頭を撫でる片割れを見て、少女は眉を上げて口をへの字にする。
「あのさぁ。ウチらは観光しにきたわけじゃないんだよ」
「目的は忘れてないよ。あのゴーレムを探さないとね」
「しっかりしてよ、もう次はないんだから」
背丈も一緒のふたりはまさに鏡に映されたように瓜二つの仕草をした。頬を膨らませた小娘は広場の出口へと歩いていき、もうひとりの美少女も鴉に小さく手を振ってから片割れの背を追いかける。ふたつの影は濡れた植え込みに阻まれてすぐ見えなくなった。
そして一羽残された鴉が寒雨のなか手すりの上で立ち尽くすこと、しばらく――。
「あっ。いたいた」
鴉の方を見て声をあげたのは、秘密結社のクロークを羽織った青年であった。濡れた石畳を足早に駆け寄ってきて、彼は雨水の滴る片腕を差し出してくる。鴉のゴーレムはびしゃびしゃの身体でぐるりと周囲を覗ったのち、彼の腕にひょいと飛び乗った。
『カァ』
おもむろに片足を突き出した鴉――。青年は慣れた様子で右手を伸ばす。金属製の足にくくりつけられていたのは小さな筒状の容器であった。彼は容器から丸められた紙を取り出し、身を縮こませて紙面に目を落とす。
数十秒かけて手紙を読み終えると鴉の方を見て小さく頷き、代わりに胸元から別の紙を取り出した。そしてそれを同じようにコンパクトに丸めて筒の中に入れ込むのだ。
「これを百瀬さんに。――頼んだぞ」
ゴーレムの鴉は本物の鴉以上によく人の意思を解した。彼に頷く仕草を返すと、素早く広場の手すりへ飛び移る。そして大きく翼を広げた。飛び立った鳥影は強くなる雨足に逆らって何度も強く羽ばたき、とある塔の屋上庭園へ辿り着く。
――モノクロームを基調とした西洋庭園は、静寂そのものであった。
この天気では人影も少なく、庭園にはカソックを着た長身の紳士がひとり佇んでいただけ。パーゴラの下でペンデュラムを掲げて祈る彼の足元には同胞の鴉たちが屯している。
『カァ』
鴉は身体を垂直に立てて減速し、若紳士の腕に留まった。彼は硬い顔で鴉の頭を撫でると、足にくくりつけられた筒から紙を取り出して雨空に照らす。
鴉を足元に下ろして伝文を眺めること――、しばらく。
『ここのところ会議がないから久しぶりだねえ。何か良い知らせはあったかい?』
彼の細長なシルエットの背後、他に誰もいない庭園の入り口に砂塵が巻き起こる。黒い砂粒はやがて大柄でふくよかな貴婦人の姿となり、修道服の男に鋭い視線を投げかけた。比して彼は魔女の出現にさして驚く様子も見せず、ただ手紙を懐にしまうばかり。
「貴方が人魚たちと裏で取引していた証跡が見つかりました」
『……あれこれ嗅ぎ回っていたかと思えば』
2メートル近くある漆黒の魔女は鉄のガーデンアーチをくぐって湿気た庭園を歩き出す。砂塊が作り出すその面持ちに焦りはなく、至極あっさりしている。
やがて魔女の巨体はパーゴラの下に入って紳士の隣に立ち、雨天の大都市を細い目で眺めた。そしてそのまま眼下に見える群衆の影に視線を落とす――。
『あの集団、見えるかい? 厄介なことを宣ってる』
「あの手の者が急に世界中で現れているそうです。背後に人魚がいるのでしょう」
『だとすれば、興味深いことがある』
「?」
『奴らが指針とする経典はスクリッタらしいのさ。あれやこれやと人間を言いくるめてゴーレムにしたあと、スクリッタに従属せよという使命を与えているらしい。もしあの教団が人魚の差金なのだとしたら、彼女らの使命を推し量ることができる』
若紳士は魔女の隣でそっと顎に手を添えた。
「自分たちの作った
『おそらく、そういうことなんだろう。ゴーレムは使命の達成を絶対視する――。だから使命に錬金術師の法を組み込めば、それがその個体の信条となる。ゆえに人間をあまねくゴーレムに変えることができれば、世界の総意は錬金術師の法に沿ったものとなり、スクリッタが世界普遍の律となる。――あの聖女もこの思想の一端を議場で漏らしていた』
老獪の堂々とした物言いに百瀬はことさら冷めた目つきになる。彼は隣に立つ自分より背の高い魔女に向けて「白々しい」と吐き捨てた。
「まるで他人事のように言いますね。知っていてそれを手助けしていたのでは?」
『自分が生き残れる道を選ぶのは当然のことさね』
「貴方が選んだのは皆が死に至る崖路だ」
『そうやってアリナナにも死を宣告したのかい? まるで死神だ』
「残念ながら私が制裁するまでもなく彼は消されました」
ガーデンアーチに吊られたランプが、咳払いする魔女を白い光で照らし出す。
『あれも馬鹿な男だよ。金貨を掴むために毒沼へ手を突っ込んだ』
「貴方も同じ穴の狢でしょう」
『私はあんな小娘に出し抜かれたりしないさ』
雨音の中に響く嗄れた笑い声。若紳士は魔女の首についた皺をじろりと睨んだのち、肌寒い空気を鼻から深く吸い込んだ。
「彼女が動かずとも、私が貴方に引導を渡す。貴方がいてはレムニスカが円卓会議で幅を利かせるばかりですから」
『牢屋行きのチケットを用意するのはさぞ苦労したことだろう』
「……どうやら状況をご理解されていないらしい」
『なに、実現しないものを恐れることもない。魔女はそう簡単には死なないのさ』
顎に贅肉が寄る魔女の姿をサンドゴーレムは鮮明に映し出す。百瀬は主人の意思を正確に表現するゴーレムの妙技に心のうちで舌を巻いた。彼の鴉たちはいずれもそ知らぬ顔をして雨ざらしの庭で水浴びに興じているのであるから――。
「もう行きます」
険しい顔をした死神はその場から背を向ける。いっぽう砂塊の仕草はいやに落ちつきがあった。霧中に髪を振り払ったのち、崖上に浮かぶ古城のぼんやりした影を眺めるのみ。
『私はゆっくりと歴史の行く末を見物させてもらうとするよ』
「監獄からの見物にならないよう、せいぜい祈っていることです」
主人が歩き出すとともに鴉たちは空へ飛び立ち、彼が近づいてくるのを見計らったように銀髪のメイドが庭園の入り口へ姿を見せる。それを横目に魔女は深いため息をついた。
『……しつこい雨だ』
修道服の死神が灰色の庭園から出ていくのを見届け、魔女の巨影を形取っていたゴーレムは静かに霧散する。
異国の田舎町で、錬金術師の世界は人知らず蠢いていた。
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