秘密結社で待っていろ

ウルカモモチベ

第1章「錬金術師の法律」

ep.1 はぐれ教師と怪事件

 秋の風吹くある日の夕方、とある高校の教頭室にて――。

 怒号とともに顔面をぶん殴られた若教師がロッカーへ背を打ちつける。右目を腫らした彼がそろりと視線を伸ばした先で、筋骨隆々の壮年教師が拳を震わせていた。

「恥を知れよ、泥棒野郎」

 修羅のような形相で拳を握りしめ、体育教師のオヤジはドアをぶっ叩く。慌ただしい足音は廊下の先に遠ざかっていき、教頭室には若教師がひとり残された。

「……」

 床に広がる書類の海、開け放たれた戸棚――、階段状になった机の引き出し。

 嵐が過ぎ去ったかのような部屋の端で尻餅をついたまま、教師は指先ひとつ動かそうとしない。身体をぶつけて凹ませてしまったロッカーにもたれながら、ドアが揺れる音をただ耳に入れているだけだ。

 あるとき廊下から小さな足音が近づいてくるのが聞こえて、彼の瞳は揺れ動く。

「あ」

 揺れるドアへ影を重ねたのは管楽器のケースを背負った女子高生だった。項垂れていた教師を覗き見て、ロングヘアの少女は扉に手を添えながら眉を顰める。

「零士郎先生、何してるの? まさか……泥棒?」

「そう思われても仕方ない。浦木先生にも勘違いされて殴られた」

「じゃあ教頭先生の部屋でいったい何してたの?」

「君が知らなくていいことだよ。だからこのまままっすぐ家に帰るんだ」

 すらりとした手を床につき、夕焼けの満ちた部屋でひとり座り直す若教師――。華奢な女子高生は制服の鳩尾あたりを強く握りしめる。

「ねぇ、誤解なら何をしてたかちゃんと説明して」

「どうして君にそこまでしなくちゃいけない?」

 座りっぱなしの容疑者を強く睨め付け、それから彼女は執務室に視線を注ぎ込んだ。

 彼女が覗き見たところ机に散らばっているものに金目のものは一切なく、ひたすら書類が広げられているのみである。――何も知らない学生もそこで舌を巻いた。

「先生が悪くないって言うのなら、教頭先生が何か悪いことしてたとか?」

「部屋に入ってきちゃだめだ」

「……どうして?」

「大人のいざこざに巻き込まれるからだよ」

「よっぽど悪いことしてたんだね、教頭先生は」

 戸棚に飾られたトロフィーに視線を置いたまま、若教師は生徒へ無表情を突き返した。

「はぁ」

 女子高生は部屋の入り口でため息を浮かべたのち、自らもまた西洋彫刻のような顔になって担任教師の喉元を覗き込む。ちらりと横目に覗いた彼の視線がそれに捕まった。

「……」

 夕暮れの執務室でふたりが視線を交わすこと、数秒ほど――。

「……先生はこれからどうなるの」

「どうだろうね。君と会うのはこれで最後になるかも」

「クビになるかもってこと? 先生なのに?」

「雇われ教師だから。サラリーマンと一緒だよ。上に逆らったら終わりだ」

「そういえば、先生って前いた会社でも横領を暴いて辞めたんだっけ」

「……そう。今回もそうなるだろう」

「なんで同じことを繰り返すかな。またこれから仕事探しじゃん」

 彼は苦笑いしながら窓外の紅葉へ顔を傾けた。いっぽう女子高生は虎のように彼から目を逸らさない。言いかけた言葉を唾とともに飲み込んだのち、楽器ケースを背負い直す。

「もし良かったらお父さんの勤めてる会社を紹介しようか」

「冗談だろう? きっと迷惑になる」

「先生には恩返ししたいの。クラスのみんなのこと、ずっと助けてもらってたから」

 彼は曖昧な相槌で教え子のまっすぐな視線をはぐらかそうとした。――が、そんな態度では純粋な若者が納得しないのを悟ったらしく、わざとらしく肩をすくめてみせる。

「遠慮しておくよ。お父さんの会社で役に立てるかも分からないし」

「話してみないと分からないでしょ。とにかくお父さんには声をかけとくから」

 怒ったような声を出す教え子に、はぐれ教師は鼻下の影をさすった。

「……もう下校時間だ。さっさと帰りなさい」

「言うことを聞いてあげるのはこれが最後だよ。それじゃあね、先生」

 女子高生はそれだけ言い残してようやく踵を返す。くたびれた様子の若教師は深く息をつき、恐る恐る執務室を一瞥した。――窓の外では夕日がもう落ちかけていた。

 そして、それからわずか1週間後。彼は生徒には何ら説明なしに解雇処分となったが、貯金を切り崩しながらの求職生活のさなか、その元へ一通の手紙が送られてくる。

 彼が封筒を逆さに叩いてみれば、中から船のチケットが零れ落ちた。



 手紙の趣旨は招待状であった。

 同封されていたのは港湾の地図と外国行きの客船チケット――。秋雨の港に足を運んだ無職の男は、旅行客を装って豪華客船の特等室に訪れる。震える掌で彼は扉を押し開けた。 

「やぁ、ようこそ。百瀬さん」

 作り笑いの元教師を客室で迎えたのは、一見するとただのビジネスマンにしか見えない男女たち。――だがそれがもう奇妙であった。豪華な客室に物々しいスーツを着た人間がずらりと待ち構えていたのだから。

 そこで彼は簡単な意思確認を受けたのち、目と口を布で塞がれ、ベッドに転がされて麻酔薬を点滴された。そして、そこからもう意識は途切れている。

 それからどれくらい眠っていたであろうか――。彼はこれまでに嗅いだこともないような異臭で目を覚ました。

「……」

 暗い小部屋だ。照明は壁にところどころ設けられた篝火しかない。部屋の中央にある人魚の石像がそのか細い灯りに照らされていた。

 そこはかとなく空気の流れは感じるものの窓の類は一切なく、暗がりに見えるのは入り口の鉄扉だけ。また、無音だ。石壁は相当に分厚いらしい。まるで古代ピラミッドの奥深くにいるかのような窮屈さがある。

 そんな石室でそわそわしながら座っていると、扉の向こうから仄かに足音が聞こえ始めた。元教師は色白の顔を入り口の扉へ差し向ける。

 ――鉄扉は唐突に開け放たれた。

 部屋へ連れ立って入ってきたのは、重厚なローブを着てペストマスクを被った老人たち。彼らは石の礼拝室にずらりと並ぶと、部屋の中央に座り込んだ百瀬へ深く首を垂れた。

「ようこそ。錬金術の世界へ」

 声が石室に反響する。――革マスクの奥から発されたのは異国の言語であった。視線を伸ばして立ち上がろうとした来客を、彼らは「座ったままで」と素早く制止する。のっぽの日本人は居心地が悪そうにその場へ座り直した。

「外の世界からの来訪者は珍しい。特に自ら足を踏み入れる者は」

「望んで関わったわけではありません。都市伝説とは縁のない人生でした」

 現地の言葉でさらりと返したのち、彼は昏睡の間に痛んでしまった喉で咳払いした。

「勤め先のボスがのを見つけた――。それだけです」

「見つけただけではないでしょう」

「ええ、吊るしあげようとしました」

「なんとも勇ましいことだ」

「ゴーレムを作るための生きた素材として生徒が人身売買されていたのです。あれこれ考えている余裕などなかった」

 多数の聖職者たちに見下ろされながら、より強く喉を鳴らす元教師。

「結局は――、返り討ちに遭いましたが」

「ご心配なく。例の事件は我々の手で後始末をしています」

「手紙にもそう書かれていました」

「錬金術が犯罪に悪用されるのを防ぐため、秘密結社は世界の錬金術師を監視しているのです。――しかし監視の目にも限界がある。今回は貴殿のおかげで我々も悪事の存在に気づき、迅速に摘発することができました。改めて感謝いたします」

 ペストマスクと視線をぴたりと合わせながら、百瀬は彼の言葉を心中で反芻する。

「――さて。前段はこのくらいにして本題に入りましょう。貴殿は招待状に応じてここに来たわけですが、このまま手続きを進めさせていただいてもよろしいですかな?」

「……ええ」

「よし。ではこれから儀式を行います。錬金術師の世界へ入るにあたり、貴殿はいちど霊薬によって身体の穢れを祓い、この世界にふさわしい肉体を得る必要があるのです」

 祭司はそう言って石像の足元から何かを掴み取った。来訪者は淀んだ空気を深く吸い込み、近づいてくる彼の手元へと視線を伸ばす。

 ――皺だらけの手に握られていたのは、謎の液体が中で揺れる小瓶であった。

「では始めましょうか。これをお飲みください」

 百瀬は座ったまま祭司から瓶を受け取る。中の液体は毒々しい蛍光色をしていたが、とても中身を訊けるような雰囲気ではなかった。頬の上を小さく痙攣させながら小瓶の蓋を開け、そろそろと口元で傾ける。――ペストマスクの聖職者たちが見つめるなか、彼は一気に中身を飲み干した。

「ゴホッ」

 濃縮された苦味に思わずむせかえる。舌の奥へ響く刺激は強い吐き気をもたらした。

「手を重ね、深く呼吸し、心を落ち着けるのです」

 埃の舞う密室で息を整えながら、百瀬は従順にその言葉へ従う。震える指を重ねて目をぎゅっと閉じていると、やがて祭司は低い声で呪文のようなものを唱え始めた。

 ――不思議とそれで震えは治まっていく。不思議な音調を耳にしながら、彼はとんでもないところに来てしまったと思ったものであった。

 そして、それから5分ほど。暗唱を終えた祭司は再び深く首を垂れ、胸元から鈴のついた呪具を取り出す。その鈴の音が合図であったらしく、入り口の方から新たな足音が聞こえ始めた。――今度はどうやらひとりだけのようだ。

 部屋に入ってきた足音はふと百瀬の隣で立ち止まる。そろりと盗み見ると、修道服を着た色黒の娘が背筋を伸ばして立っていた。

 年齢は二十歳ほどか。中東系の美人顔。身長は高く、やや痩せ気味だ。凛とした表情も相まって、彼が普段目にしていた高校生たちより幾ばくか大人びて見える。

「そこに座りなさい」

 娘が石床に腰を下ろすのを見届け、ペストマスクの祭司は百瀬に視線を戻した。

「今日から7日間、ここで過ごしてもらいます。霊薬のもたらす苦しみとともに貴殿の身体はこの世界にふさわしい肉体となる。7日を同宿するこの者に遠慮は要りません。貴殿の再生に立ち会う彼女は、その後も貴殿の妻として共に人生を歩むことになるのだから」

 一礼を終えると祭司たちは再び深く首を垂れ、部屋中のお香を各々確かめたのち、次々と部屋から捌けていく。百瀬は肩で深く息をしながらそれをじっと見守るばかりだ。

「……」

 最後のひとりが出ていってから、彼はそろりと隣へ視線をやった。

 まさに淑女と呼ぶにふさわしい風貌の娘――。その両膝は磁石のようにぴったりくっついていた。篝火で橙色に照らされた身体はなんとも儚げである。じっと人魚の石像を見つめていた彼女であったが、しばらくして隣からの視線に気づいたらしい。

「……申し遅れたな。俺の名前はクリスティーヌ。よろしく、零士郎」

「私の名前をご存知でしたか」

「なんだ、こっちの言葉を喋れるのか」

「語学教師でしたから。大学時代の勉強が奇しくも予習になった」

「そうか。俺もお前のことをしてきた。名前だけでなく、ここにきた経緯もすべて」

 彼女へ苦笑いを返し、彼は短い髪を撫でながらあぐらをかいた。

「こんな異国の地にまで流れ着くとは数奇な人生だな」

「しかし流れ着いた先には美女がいました。不幸ではありません」

 ふたりは互いに愛想笑いする。琥珀色の瞳を決して見つめ返さなかった若紳士――。

「まぁ、ゆっくり親交を深めていくことにしよう。異国の男」

 そんな彼をどこか物珍しげに見物しながら、淑女はそっと微笑むのであった。

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