第三章 窪手衆➂

 寝耳に水のごとく、宮廷にその波紋は広がった。


 祝皇が病に伏していることが公になり、同時に第一皇子ファノイがカリルゼッナを正妃、ムレイを側妃とする触れを出したのだ。


 宴すら催されていないにもかかわらず、しかもファノイと深く交流などする場すらなかったムレイが突如側妃に召し上げられると報せを受けて、当然本人であるムレイも当惑してしまう。だが、こうなったのに心当たりがあり、ムレイはその人物のもとへと急いだ。


 まだ婚礼ノ儀を済ませておらず、学識会に参加する姫君同士という立場があったため、侍女の渋りを蹴ってカリルゼッナへと会いに行った。正妃と側妃になってしまったら、友として接して貰えないかもしれないと焦燥の色がにじんだのだ。


 カリルゼッナのもとには既に護衛の者がいたが、彼女自身が通して良いと口添えしてくれたおかげで彼女のいる座所へと通された。


「カリル、これはどういうこと⁉」


 あなたがファノイ皇子の寵愛を受けて妃になるのは時間の問題だとは思っていた。でも私まで妃になるのはおかしい。あなたが何かしたのでしょう? そんな詰め文句が頭を駆け巡り、ムレイはカリルゼッナを問い詰めた。


「わたくしがお願いしたの。わたくしを妃にするなら、ムレイも妃にしてくださいと。ファノイ皇子もムレイのことは気になっていたみたいだし、応諾してくれたわ」


 うつむいて力なく笑うカリルゼッナに、ムレイはかっと頭に血が上る。


「ちゃんと私の目を見て話して、カリル‼」


 肩を掴んで無理矢理視線を合わせると、自分とは真反対に血の気が失せた顔がこちらを見据えた。


 途端、ムレイは脱力した。


「やっぱり……私のせいなのね」


 こうなったのもすべて、ムレイがカリルゼッナに城まで案内しろと言いだしたからだ。そうして後戻り不可能なところまで追い詰めて、彼女を縛り付けた。カリルゼッナは集落へ帰りたいと言い出せなかっただけなのだ。なぜなら己を生かしているのが今得た仮初の身分なのだから。


「ごめんなさい」


 ムレイは顔を覆って謝った。なにもわかっていなかったのは、ムレイ自身だったのだ。


「あやまらないで」


 そのやさしさが、とても痛い。もうすでに贖えないところまで来てしまっている。小さく蹲り咽ぶ口許を抑える手を、カリルゼッナはふわりと掴む。その手を己の腹へと当てた。


 ムレイは小さく息を呑む。


「まさか……」


「祝皇は間もなく身罷るわ。遺命により次代の祝皇はファノイさまになるのは確実よ。そうなれば私も、あなたも祝皇の妃となる。その子たちは宿命を背負わされる。でも、そうでなければならないの」


「まるで未来でも視えているような口ぶりね」


 そこまで言って、ムレイはある真実に今更辿り着く。


 イルㇽ人は悪神の末裔でその神威をアマラスハル神璽国へと献上するのが役目だ。神紋があるカリルゼッナは正真正銘その一族だが、この方神威を用いているのを見たことがない。


 カリルゼッナは神威をもたないイルㇽ人なのだ。


 抵抗しなかったのではない、できなかった。


「わたしには神威がない。でも榮卜官は言ったの、ファノイさまと結ばれれば予知の才が開花するだろうって。私の一族には紅炎の夢を視る人がいると聞いていたし、私も朧気に夢を視ることはあった。アマラスハル神璽国もイルㇽの一族もまもれるのなら、私は喜んで受け入れるよ」


 ムレイは静かにかぶりを振る。否定したかった。だって、そこにカリルゼッナの心がしまい込まれてしまってみたいだ。


「それは、」


「わたしが選んだの」


 被せるように放たれた言葉に、ムレイは今度こそ口を噤む。言うべき台詞を潰されて、次の言葉が見つからない。気持ちとは裏腹に覚悟が決まっている。


「お願いがあるの」


 カリルゼッナは訥々と言葉を続ける。


「私の未来の子どもたちを守って欲しい」


 ムレイはぼやけた視界で彼女を見返す。


「それはカリルがこの先なにかあるということ⁉ 未来を予言出来るのだから、そうなのよね⁉ ————私、カリルとはずっと友人でいたいわ‼」


 滑り出た本心にカリルゼッナは返事をするようにムレイを抱きしめた。初めて出会ったときの緑のにおいではなく、香を焚きしめたにおいが彼女から香る。


「ずっと友人に決まっているでしょ。ムレイはずっと私を支えてくれた大切な友人、それはこれからも変わらない。でも、わたしは夢を視てしまった」


 ムレイは黙って続きを待った。


「紅焔の夢を視続けたわたしが狂って焼け死ぬのを」


「なら未来なんて視なければ!」


「……一度芽吹いてしまえば、あとは枯れるのを待つだけよ。わたしに出来ることは草花が少しでも長持ちするよう労りながら生きるだけ」


 ムレイの瞳が大きく揺らぎ、大粒の涙が溢れた。もう何を言っても無駄なのだと察してしまう。


「————やくそくするわ」


 ムレイは掠れた声を絞りだして応えると、ようやくムレイは出会いのとき以来の、カリルゼッナの心からの微笑みを見られた。


「我が儘を受け入れてくれてありがとう、ムレイ。自分のなかだけでしまっておくよりも、こうしてあなたに話して一緒にもってもらえただけで、楽になったわ」


 ムレイにとってこの微笑みが宝物だった。孤独にさした光だった。

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