第一章 イルㇽの集落“シマ”⑧

 ラムラとイオが集落で世話になるようになって、数日が過ぎた。


 深い怪我を負ったイオは目覚ましい快復力を発揮し、体力はまだ不完全とはいえ自力で歩けるまでになっていた。


 ラムラがイルㇽの集落で身を寄せていることを説明すると、イオはまずラムラの無事をよろこび、トラーシィは二人を似たもの同士だと評した。


 二人を我々の家族と称したように、集落生まれの者たちは神紋があり、それ以外の者たちにはないという違いはあっても、人々は分け隔てなく集落人として扱う。一足はやく調子を取り戻したラムラは子どもたちの相手や畑仕事の手伝いも行うようになった。ふかふかの土を手で掘る都度に籾殻を混ぜる土作りに、どれだけ人々が尽力したかを想像する。山岳の地で、ここまでこなすのに、相当な労力が必要だったはずだろう。


 集落人シマびとを餓えさせず十分な食料を得るために子どもも大人も皆、働き者だ。山地民族の彼らは、限られた領域内に畑をつくり傾斜のある山でも育つ作物を育て、山菜や木の実も収集しに出かけ、鳥などの獣を狩って糧を得る。得た糧は寸分も無駄にしない。鳥の羽さえ弓矢の矢羽根になる。人口が百もない集落であっても、誰ひとり餓えさせず暮らすためには子どもから大人まで、一人一人の働きが欠かせないといえるだろう。


 生きるために他者からの知恵や労力の恩恵を受けづらい彼らは、一日中働きづめになる。


 集落から少し離れた場所にある、湯治場は仕事の疲れを癒やすのにうってつけの場所だった。いつしかラムラも湯場で子どもたちの世話をしつつ、出湯で凝り固まった筋肉をほぐすのは至高のひとときになっていた。


 そういうこともあり、子どもたちはイルㇽ全体で面倒を見る。集落の警備には〝義士団〟と呼称される防犯のための私兵があり、見回りなどで子どもの世話が難しい団員の代わりに支援をする。一つ屋根の下で寝食を共にすることもあれば、仕事を手伝ったりする。子どもたちが我が物顔で他人の家に入っていくのを目撃する度に、言葉通り集落全体が家族なのだと実感した。


 かくいうラムラもすでに何度も寝食をユニリェやトラーシィ、子どもたちと共にしている。子どもに限らず大人も助け合って暮らしているのだ。ここまでになると、遠慮や照れはかえって失礼になる気がして、この慣習を受け入れるようになった。


 また、イルㇽの人たちは火を祀っており、朝日が昇ると前日に消火した火を、鞴を用いて火おこしした後、独特な動作で蹲って拝み始める。祈りを捧げてから、一日が始まるのだ。それを片時も忘れず行う。


 だから、ラムラも時たま泡を食うことがある。


 火に近寄りすぎて火傷をした子どもに対して「悪神さまが祝福をくれたのね」と言っているのは、とても奇妙な光景として刻まれた。


 加えて、だ。


 この集落には極端に身体の弱い人たちが何人もいるようだった。胸をかきむしり、血を吐いて苦しそうに呼吸をしている義士団員に遭遇した際は、飛び上がって駆け寄ったくらいだ。どうして良いかわからずに泣きそうになっているところを、トラーシィが運び出してくれて事なきを得た。


 それなのに血を吐いた義士団のひとは大丈夫なのか、と思っていると数日後にはけろっとしてラムラたちの目の前にあらわれる。皆も当然のようにそれを受け入れているのが奇異にうつった。


 鮮明にその光景が張り付いてはなれなかったラムラはいても断ってもいられず、あるときトラーシィに訊ねた。血を吐いた人たちは大丈夫なのか、と。すると彼女は、これはイルㇽの血筋に生じる体質なのだと語った。


〝神威〟の代償にトラーシィたちの一族は虚弱な体質を持つのだという。特に、力を行使したりすると、血を吐いてしまう人や頭痛に苦しむ体質を皆持っているそうだ。元の身体のつくりが弱いと集落で暮らすのでさえ困難になってしまう人もいるのだと彼女は教えてくれた。


 だが、起き上がれないくらいの病人がこの集落にはいない。それを問うと、そうなった者たちは皆“窪手衆くぼてしゅう〟として隠れ集落へと身をひそめるようになるのだと言った。


〝窪手衆〟の存在はラムラも薄々知っていた。というのもラムラはまず保存食の加工の仕方からおぼえさせられた。粘土を浅い壺型を模り、天日干しして渇かして出来た容器のなかに木の実や果物を敷き詰め、再度壺型同士を合わせて空気が入ってしまわないよう密封する。封をし終えたそれは冷暗所においておくと、半年から一年保存食として用いられるのだそうだ。


 実際トラーシィから一年前のものらしい果実を食したのだが、お腹を壊すこともなかったし、むしろ新鮮とも評せる状態でいただけた。


 そしてこの保存食は、主に乾燥した土地にいる人のために届けられるのだと、皆往々に口にしていた。その乾燥した土地にいるのが〝窪手衆〟と呼ばれる者たちだった。


「あそこはイルㇽの墓地のようなものなんだ。この集落にいたんじゃ弔うことすらゆるされない。そこは最期の安寧の地として設けられた、あたしたちの桃源郷だからその地の場所はサウエとジュネクだけが知っている」


 神璽国の輩に砦を壊されてはたまったものではない。だから代々場所を知るのは首長のみに限られていて、一度窪手衆となった者の脱退は固く禁じられている。


 窪手衆は保存食を手に入れる代わりに衣服を提供する。トラーシィの祖父母も窪手衆であり、交易によって送られてくる便りを密かに楽しみになっている。そうやって離れていても、繋がりを共にしているのだ。

だが、今現在この交易は掟に反してサウエとジュネクの二人が行っている。それには訳があった。


 窪手衆になるのには条件がある。そのうち一つが、イルㇽの集落で暮らせない身体になってしまった者。元来身体の虚弱な人や、徴兵から無事に帰還したものの負傷から己の身を守るのが難しい人、老人たちが該当する。順当に歳を重ねれば、いずれはトラーシィも彼らの仲間入りを果たす。徴兵先で若くして戦死を免れれば皆がこの道を辿るだろう。


 しかし、例外は存在する。


 もう一つは、罪を犯した人が該当した。


 だが、今の今まで咎人として窪手衆になったのはジュネクだけだった。些細な規律違反程度では不十分な条件を満たしてしまうだけの罪を、彼は背負っている。


 トラーシィは、どうしてもそれを口にする気にはなれなかった。まだ信じられていない気持ちがあり、口にしてしまえば肯定してしまうと思ったからだ。


 沈黙を貫くジュネクに寄り添うことも出来ないが、信用していないわけでもない。目の前の事実だけを見据えていたら、真実から遠のいてしまう。首長代理の立場もあり、常に中立の立場でいる姿勢をとっていたかった。


 ジュネクが孤立している理由は、罪があり一度窪手衆になったにも関わらず、首長である姉のサウエの意を受けて、さらに掟をねじ曲げて自由に行動させている点にある。信頼されているサウエたっての願いであり、積もる思いを押し殺した上でジュネクは窪手衆の脱退を認可され、サウエに仕えている。もはやサウエのためにジュネクは存在を赦されている。


「ジュネクは一度窪手衆になってから、サウエに引き戻されてここにいる。掟がすべての狭いイルㇽの世界じゃ、さぞ息苦しいだろうさ」


 一通り説明役に徹していたトラーシィは物思いに耽っていたせいで、いらぬ失言をしてしまう。ラムラはすかさずそこに反応した。


「だから彼はいつも一人なんですね」


 ラムラは神出鬼没にあらわれては、用事を済ませると姿を消している。誰かといるときといえば、サウエかトラーシィくらいだ。対してサウエは一人でいるところを見かけない。いつも誰かに囲まれている。二人は対照的だった。


「過度な心配はかえって失礼だろうよ。あたしたちはいつも通りにしていればいいのさ」


 トラーシィは咳払いをして、武具の手入れを始めた。


 不満顔で話を切り上げようとするトラーシィに抗議するも、これ以上取り合ってくれないと判断し、頬を膨らませながら違うことを訊ねた。


「……トラーシィ、猟に出かけるの?」


 彼女は持ち順からして義士団の仕事ではないのにも関わらず、武器を手にして出かけようとしている。


「ああ、そうだよ。————あんたも来る?」


「行ってもいいの⁉」


 目を泳がせてから控えめに誘われているのもそっちのけで、ラムラは瞳を輝かせて頷き、彼女の背中を追う。


 トラーシィは義士団の団長だと聞いた。強い神威の持ち主で、正義感もある彼女らしい役職だ。


 そんな彼女はイルㇽとアマラスハルの橋渡し役として奔走している首長サウエが不在の間、首長代理も務めている。


「ラムラは弓、扱ったことあるのか?」


 トラーシィが怪訝そうな顔をして訊ねる。弓で鳥を射て自分でさばいたこともあると言うと、目を丸くして感心した声を上げた。


 親と引き離された生活の間、食事などの身辺はイオが請け負っていたため、衣食住に困ることはなかったのだが、惰性で過ごすのには時の流れが遅すぎた。宵籠島という汽水湖にある島での孤独な生活において、泳ぎの習得や弓の扱いなどはラムラにとって時を忘れさせる唯一の手段だった。だから、必然的に上達もした。


「全部、イオに教えてもらったことなの」


 ラムラは自分だけではなく、イオまで褒められている気がして誇らしくなる。


「なら、試しにあの山鳩はどうだ?」


 動物たちが草地に残した痕跡を追っていたトラーシィは、枝にとまる山鳩を発見し、指差す。


「やってみる」


 頷いたラムラに竹弓を貸した。


 ラムラは石鏃の矢をつがえ、放つ。矢は山鳩に見事命中した。


「へえ! 竹弓は癖があるのに的中させるなんて、あんたやるな。あたしと二人で協力すれば、熊だって斃せるんじゃないか?」


 トラーシィは上機嫌に相好を崩して、互いに一つしか持ってきていない弓を交換し競い合いながら猟を続けた。ラムラが外し、間延びした声を上げるまで。


「あ……!」


 長い間、そうやって狩猟に勤しんでいた二人だったが、野生動物の足跡を追った先にいた猪を狙おうとした矢先、猪から蜃気楼のような炎の靄が見えた気がして、気付けばつがえていた矢が手から離れていってしまっていた。


「どうした?」


「ううん、なんでもない。少し疲れたのかも」


 ラムラは目をこすって返事をする。


「なら、近くの川で休憩しよう」


 トラーシィの配慮に、ラムラは素直に首肯した。

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