第一章 イルㇽの集落“シマ”➀

 その日は、彼誰時から異様なほど心臓が高鳴っていた。


 乱雲たちこめる暗灰色の曇り空は、大人たちにとっては物憂いようで、起床するや母が近隣住民と愚痴に花を咲かせていた。


「雨降りそうだね」


 姉娘が言った。


「うん、土砂降りになるのかな。雨が降るなら今日は洗濯物、外には干せないね」


 妹娘は応えた。


 二人の娘の声は掻き曇る空とは裏腹に上擦っていた。普段とは様子の違う二人の異変を、大人たちは察知できずに素通りしていく。


 刻一刻と、夜の帳は降ろされる。


 着々と、海が牙を剥く。


 次第に、強風が頬をなでる。


 ぽつぽつと、雨が降り始めた。


 雨は風を呑み込んで、悲鳴のような暴風雨として吹き荒れる。


「さあ、今夜ははやめに寝てしまいましょう。安心をし、朝にはこの嵐は過ぎ去っていくからね」


 母がなだめるように、娘に語りかける。


 今まで、こういう夜は何度かあった。嵐の日は、家に閉じこもり就寝するまで家族と雑多に過ごすこの時間は、ラムラも好ましかった。一歩外に出たら大嵐が牛耳っているなかの、唯一の暖かい場所。


 だが、この日ばかりは違った。


 荒れ狂う嵐の夜は娘二人の気分を高揚させていく。やがて皆が寝静まり、闇と嵐が互いの領分を争う頃合には、姉アソカと妹ラムラの胸の高鳴りは最高潮にまで達していた。


「ね、外に行こう」


 ラムラが布団のなかから囁いた。


「行こう行こう」


 アソカが間髪入れず頷き返し、誘いに乗る。


 屋敷の外は、まだ横殴りの雨が群れている。

 

 ラムラとアソカは親の目を盗んで屋敷を抜け出した。

 

 石階段を駆け下りて海岸へ。ずぶ濡れになるのも構わずに、誘われるようにして波打ち際へと足を向けた。


 月明かりもないのに、不思議と空はほの明るかった。


「————姉さん、変な鳥がいるよ」


 ラムラは天水で張り付いた前髪をはらいながら、空を指差す。


「……ほんとだ」


 遅れてアソカもそれの存在に気付いた。

 空には無数の光る〝頭のない鳥〟が蝟集していた。それが日没後の余光のように微光を放ち、照らしていた。


 音が止んだ。


 風が止んだのではない。相変わらず嵐は続いている。


(だれ……?)


 浅瀬に誰かが立っている。


 ラムラとアソカの身体は、案山子になったように身動きが封じられて動けない。だが、このぞっとするような血の昂ぶりの正体が、眼前にいる人が原因で引き起こされているものだと、直感で感じ取った。


 じっと見つめてみると、その人物は背の低い老婆だった。


(————あのひと、目が見えてない……)


 こちらを見据えているようで、虚空を掴んでいる。


 老婆の両の眼には、それぞれ〝青の炎〟と〝緑の炎〟が宿されていた。


 老婆が二人に歩み寄ってくる。


 迫る。


 老婆が両手を広げた。


 迫る。


〝碧の炎〟が襲い来る。


 転瞬。


 霹靂が劈いた。

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