第二章 陰で蠢くものたち➁
ヨウは無表情で火山灰を吸わないように覆っていたベールのずれをなおした。火口付近はものすごい熱気が身体を直撃し、滝のように汗が流れ出てくるが、身を守るために着込んでいるマントその他もろもろを外すわけにはいかなかった。唯一むき出しになっている眼球も、長時間この場にいれば失明する可能性もあるだろう。
だが、速達で封書を送達するためには休まず迂回して行くほかない。それに、どこにウィリニア帝国軍のやつらが身をひそめているのか把握しきれていない以上、予想を超える手段でトールイデーン王国まで到着してかつ、城へ自ら持っていくまでが仕事となる。
ウィリニア帝国の皇帝はトールイデーン王国までの主要な経路を見張らせ、しらみつぶしにエンヴィア王国が他国へ救国を求められないような布陣を敷いている。不幸なことに、エンヴィア王国に隣接する国といえばそれしかないのが痛手だった。まだアイセリア王国が存在していれば、どうにか対処できたものだったが、滅亡してしまったのだから扱いにくい。
加えてエンヴィア王国の前国王が急遽崩御したのに風溜帝がつけ込んでしまったのが厄となっている。幼いジェリン・エンヴィアが女王として即位したときには、世直しするためには他国の助力なしでは困難な状況にまで追い込まれてしまっていた。
それでも風溜帝が征服にまで着手しなかったのは、後ろ盾にトールイデーン王国があるとおそれてのことだろう。勢力を拡大しているとみられているあの帝国は、実際には停滞しているのだと、ヨウはここ数年で察している。欲深い皇帝で、傲慢でわがままな性格をしているのとは裏腹に、自分の地位が落ちてしまうのを極度にいやがって、自分より弱い国しか目を付けない臆病者だ。国を率いる人間としては自己中心的で、全くもって代表としての器に値しないのだ。
それに対してエンヴィア王国女王、ジェリン・エンヴィアはどうだろうか。
———この封書を渡すとき、きっとおまえにも意見を求められるはずだ。女王としての器はある人間かどうかを、な。おれはすでに自分の意見を封書に書き添えてある。いいか、あくまでもおまえの見解を述べるんだ。おまえが見て、感じたことをありのままに語れば良い。あとはすべて王子が決断することだ。
「ずるいですよ」
ヨウは懐におさめた、上司のカルサから直接手渡された封書のあたりを軽くなでて、そう感想を口にした。その声は今なお降り続ける灰に溶けて消えていく。
密使の役割は身軽な自分が適任だと自負しているが、そんなふうに言われるとは想定外だった。これではまるで、ヨウが発したことすべてで国の態勢が決定づけられると暗に揺さぶられている気分になってしまうではないか。
もちろんそんなことがないのは頭でわかっていても、定着してしまったエンヴィアの生活が恋しくなってしまって、身に余る私見をしなければならない自分の辛さを倍増させている理由だ。
カルサとヨウはトールイデーン王国王直属の間者だった。
王直属と肩書きはあるものの、その実は国王リンド・トールイデーンの息子、つまりトールイデーン王国第一王子ミロク・トールイデーンを主人としている間者だった。国王は息子ミロクに最大の信頼を寄せており、国営においても彼の意見を必ず求め、そんな父の要求に才はじける回答を口にする、とても聡明なお方だ。
そんな王子からの要請で、エンヴィアとの混血で、見た目で厭われないカルサとヨウを送り込み、エンヴィア王国への潜伏を行っていたのだ。
彼が報告に最も重視した項目は女王の人柄についてのことだった。命じられた使命に疑問を抱いてはいけないと思う反面、ヨウはその意図を図りかねて一度カルサにもそれとなく訊ねたてみたのだが、彼からも聞かされていないらしく首をかしげるばかりだった。
飄々として、つかみ所のない、いつも笑っていて、それでかつ常にギラついた瞳を輝かせている浅黒い肌の王子を追想する。もう何年も会っていないあの王子は、どのような成長を遂げているのだろうか。自分は今からその王子に会いに行かなければならない。
答えはとっくの昔に決まっている。問題は、それをいざ王子と直面したときに、迷わず言えるかどうかなのだ。
そのすべてを意のままに舵を切る手腕を持つ王子に、自分がみてきたことを伝えても、とっくに沙汰は決まっているように思ってしまうのだ。ひとをおののかせる、そんな才気を。
ヨウは目の先にある、かつてアイセリア王国のあったであろう場所付近を焦点の定まらない目で見つめた。アイセリア王国は元来人種としてはトールイデーンとエンヴィアが混成した国であり、だからこそそれぞれの文化が混在している国で、トールイデーン王国とエンヴィア王国と、親密国だったと記憶している。それが五〇〇年前のセーヌ火山噴火で呑み込まれ、一日と絶たずに消滅してしまった。
追い風がヨウの背後から吹き荒れる。東に向かっている気流が、シルール連山によって吹き戻されているのだ。それほど高度な山々ではないが押し戻すだけの高度はある。
よってラセーヌ火山の西側にあったアイセリア王国が西風に乗った火砕流の直撃を受け、滅亡した。
エンヴィア王国国境付近にも、ときに連山を越えた火山灰が降り注ぐことはあるが、あの山がある限り滅多にそういう減少はない。
ヨウは視線をずらして南方の徐々に緑掛かった、しかし岩肌がむき出しの傾斜地がそそり立つ、やせの断崖で構成されている地形を細目でにらみつける。その崩れやすい断崖を登ったり降りたりを繰り返してようやく国の全貌が見渡せる。そこが一番の難所で、危険地帯となる。
がっちりした体型のカルサでは、おそらくもろい表面に手を掛けて登るには時間を要する。体重は軽く、それでも筋力や体力、登るためのコツを持つ人間がこの場においての適任となる。
これでは不用意に他の国が迂回路として使用するのをいやがるのもうなずける。
ヨウは再度懐に収めた二通の封書をなででから、南へと一歩踏み出した。
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