王を持たぬ王子

@yamato1126

「はっはっは。スラミンよ。飲めぬか?自分でついだ酒を飲めぬというのか」


父王の哄笑が、冷たい石畳の広間に響き渡る。その声は、優雅な宴の喧騒を切り裂き、リグノルの心を凍りつかせた。父王にぐっと顎を掴まれた母、スラミンの顔色は、蝋燭の灯りに照らされ、白く美しい顔が照らし出されている。母の瞳は、恐怖と諦めが入り混じり、細く震えていた。

リグノルは、まだ無力だった。父王の横暴を止める力は、彼にはなかった。父王は笑っているが、その目は笑っていない。冷たい毒蛇のような鋭い目つきである。この王宮では誰しもがそうだ。皆笑いながら、目では、腹の底では、誰も笑っていない。吐き気がする。


「いえ、そのようなこと」


母は、澄んだ美しい声を震わせながら、杯を手にとった。


「では、呑むがよい。そなたはおもしろいのう。逃げ出せばよいものを」


父王は膝を叩いて笑った。今まで逃げ出していった女は皆殺された。父王の機嫌を損ねたとして。

母がリグナルを見て哀しそうに微笑んだ。


「はは、うえ……?」


リグナルを見て微笑んだ母は宴の酒を飲み終えたその時、母の体がぐらりと揺らいだ。そして血を吐き、がたっと椅子から崩れ落ちた。


「母上っ!」


「殿下!いけません!」


立ち上がって母の元へ駆け寄ろうとしたリグノルを小声で後ろに控えている爺やが止めた。


「片付けろ」


父王の冷たい声が響く。そばについていた父王の侍女がおびえた表情で、母の体を支え奥へと下がっていった。

母が倒れても、リグノルは何もできなかった。宴の席で涙を一粒落とした。


   *


宴という王宮の戦を終え、自室に戻った。爺やはリグノルの肩をぐっと掴み言い聞かせた。


「王妃様は、陛下に毒を盛ったのです。それを陛下に気づかれてしまった。殿下は、先王の正統な血を引き継ぐ身。この王宮において常に御身を狙われております。どうか……、くれぐれもお気をつけください」


「分かっている。爺や」


悲しそうに微笑むその顔は王妃の面影があった。

この頃、暗殺を狙う輩が多くなったのを知っている。毒を入れようとする侍女。正面から刃を振りかざしてくるもの。衣に毒針が仕込まれている時もあった。その度、私は人を殺してきた。その者は皆、悪くないのだ。父王か、その取り巻きか。もう誰かなどどうでもいい。そこらの輩に誘われたのだろう。病の家族を救ってやるから毒を入れろ、暗殺しろなどとでも言ったのだろう。私が先王の血を引いた第二王子であるが故に罪のない人が死ぬ。


「サフィル。辺境の前線はどんな様子だ」


「敵兵五十万対こっちが三十万。殿下が着く頃には酷いことになってるだろうよ」


今度は戦場に送り出そうというのだ。父王は私の戦死でも願っているのだろう。私は、ヴァルハラに行くつもりはさらさらない。私が征くのは地獄だ。何人もの人を殺してきた。ならばもういい。人を殺して讃えられる場所に行けばよい話だ。王族の護身用に作られた黄金で煌めいた拳銃を、腰につけた。黒く光のない瞳をサフィルに向けた。


「私の兵たちは集まっているな」


「ああ、もう外にいるぜ」


ともに戦へと征く私が育てた兵たちだ。彼らだけは、彼らにだけは裏切られたくない。それだけの願いとともに私は戦場へと征くのだ。


「母上。母上を苦しめた父王どもを必ず殺しに戻ります。

それまでどうか、心安らかにお待ちください」


父王に、宴で毒を盛られ殺された王妃スラミンの墓に花を添え立ち上がった。

装甲艦の甲板に立ったリグノルは、抜刀し高く剣を掲げた。背後には第二王子の証である、碧獅子オオカミの紋章の旗が昇っている。リグノルにとっては呪いの旗だ。


「兵士諸君!そなたらは今、祖国と民の命運をかけた戦いに征く。故郷を離れ、家族と離れ、不安と恐怖に襲われるだろう。しかし、そなたらは一人ではない。私を始め、仲間たちが共にいる。生きて、生き延びて、再び故郷の土を踏むのだ !」


(そう、私は簡単に死ぬわけにはいかない)


ごま粒のようにしか見えぬはずのリグノルの姿に、兵たちはオオオォォォーーーとリグノルの言葉に鬨の声をあげる。

兵たちにリグノルは高く高く剣を掲げて応えた。




ハスパティカ暦 670年 

第二王子リグノルは辺境へ出立した。初雪の降る寒い日ことであった。

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