第12話
闇が視界を侵食していく。
陽が落ちて、暗くなるまでは早かった。
崖の上は、高い木の茂る林になっている。
村には昔から、林が暗くなる前に戻れ、という言いつけがあった。
勝手知ったる俺ですら、まるで別世界に来たような不気味さだった。
俺は樹木の間を行くブラーナの影を追っていた。
静かだった。いつしか崖下から聞こえていた礫の音もやんでいた。
禍物が下で注意を引く討伐隊への攻撃をあきらめたのか。
それとも⋯⋯。
ブラーナの後をつけたのは俺の独断だった。
彼女は禍物を確実に仕留められる保証はないと言った。しかし自分が負ける、などとは考えてもいない態度だった。
討伐隊のリーダーともあろうものが、冷静さを欠いているように見えた。
もしここで彼女が敗れるようなことがあれば、その後は、どうするのか。情報の伝達は。事後の処理は。
これまでの言動からして、そのリスクを秤にかけられないような人物ではないはず。だから少し違和感があった。
彼女はここで、禍物を刺し違えてでも殺す、とでもいうのだろうか。
実際、俺に手伝えることはないのかもしれない。
けれど戦いの行く末を、見届けることはできる。
もしブラーナがやられれば、そのときは迅速に、適切な対処を⋯⋯。
⋯⋯対処なんて、あるのか?
ーーパキ。
そのとき俺の足元で小枝が鳴った。とっさに足が止まる。
しかしブラーナが振り向くことはなかった。
スキルの効果が生きている。
ボルタのオラクルスキル『盗人の足』だ。
音を消すのは、足音そのものだけではないらしい。
思った以上に有用かもしれない。姿を見られさえしなければ。
やがて樹木が途切れて、開けた場所が見えてくる。
俺達が登ってきた崖の反対側ーー禍物の姿を見た崖だ。
巨大な岩が一つ、地面から生えるようにして鎮座していた。
ブラーナは身をかがめ、その陰にとりつく。
その大岩の向こう⋯⋯崖の淵には、立ちつくす影があった。
禍物は悠然と、静かに、暗い村を見下ろしていた。
その姿に、敵意や殺意らしきものは感じられなかった。まるでゆっくり景色を楽しんでいる旅人のようにも見えた。
ブラーナや俺に気づく素振りは微塵もない。
それでもブラーナは息を潜めて待った。まるで禍物の呼吸をはかっているようだった。
俺はさらにその後方の茂みで息を殺していた。
さらに待った。長い時が過ぎる。時間にすると数秒かもしれない。
それでも禍物は動かない。ブラーナも動かない。
見えない空気が限界まで張り詰める。
俺は止まりかけていた呼吸を再開しようとした。
その瞬間、ブラーナの体が音もなく岩を飛び越えた。
ブラーナの抜き放った長剣は空を切った。
禍物はすんでのところで飛び退いて、背後からの奇襲をかわしていた。
大きく隙を晒したブラーナに向かって、禍物は大きな拳を振り上げる。
その手の中には、おそらく無数のテーロス豆(弾丸)が握られている。
あの攻撃を近距離で受けたら、間違いなく体は弾け飛ぶ。
下手すれば後方で忍んでいる俺にまで被害が及ぶかもしれない。
俺はとっさに地面に頭を伏せた。
「ガアアアアアア!!」
耳に雄叫びが響いた。
顔を上げると、崖の淵で禍物の影がよろめいた。
その腹部には、ブラーナが背に下げていた槍が突き刺さっていた。
不思議なことに、ブラーナは両手で長剣を握ったままだった。
体勢も空振りをしたままだ。あの一瞬で槍を構え直して刺し貫くのは、ありえない。
禍物が握っていた手から、大量の豆がこぼれ落ちる。
同時に禍物はすばやく背を向けて、逃げ出そうとした。
しかしその瞬間、腹部に刺さっていた槍がひとりでに抜けた。
槍は宙で弧を描いて、またしても襲いかかる。逃げようとする禍物を追いすがって、背後から何度も刺し貫いた。
不思議な光景だった。まるで見えない誰かがそこにいるようだった。
それがきっとブラーナのオラクルなのだろうが、その正体はわからない。
「アアアアアアッ!!」
雄叫びは悲鳴のような響きに変わっていた。
逃げ惑った禍物はついに倒れた。背を槍で地面に磔にされていた。
やがて禍物が動かなくなると、槍は音もなく宙を舞い、ブラーナの背中に戻ってきた。
ブラーナはゆっくり歩きながら、倒れ伏した影に近付く。
「接近戦は不得手のようだな。それに頭も悪い」
ブラーナは勝利宣言のようにひとりごちる。
「生け捕り⋯⋯はさすがに無理か。ならば、」
ブラーナが禍物のそばに立ち止まって、何事か言いかけた、そのとき。
禍物はすばやく身を起こすと同時に、体をひねって腕をふるった。
バチン、とえも言われぬ気味の悪い音がして、ブラーナの体が大きく後方に吹き飛んだ。
虚空へと投げ出された影は、そのまま崖の向こう側に落ちていった。
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