第12話 ククの秘密➁
その老人はフキと名乗った。
川沿いを下った先に彼の住む家はあり、ククとイヒカの二人は促されるまま風呂と暖かいご飯をご馳走になる。
そうこうしているうちに、あっという間に日は暮れて冷風が肌をなぐ感覚に、あのまま岩穴で過ごしていたら寒さで凍えていたのではないか、と背筋に悪寒が走る。
「————それで? 子どもだけで何をしていたんだ? 親とはぐれたのなら、親が心配しているだろうから、明日家まで送ってやろう」
夕食を終え、ひと落ち着きしたところでフキが本題に入る。
「あーえーと」
イヒカは目を泳がせながら、ククを見る。こういうときは、ククに任せるのが無難だ。
「わたしたちは魔物を追って来たんです。ご存じですか、大きい鳥のような魔物らしいんですけど」
イヒカの助け船に乗ったククの問いに、フキは顔をしかめた。
「その魔物ってのは、影の魔物〈ティナ・エンガウ〉のことで合っているか」
「はい」
フキは無言で湯飲みに入ったお茶で口を湿らせる。
「二人とも見たところ見習いの退魔師だろう? 見習いだけで、鳥のような見た目の魔物を探していたのか」
追求するような尋ね方に、イヒカは肩に力を入れた。
「わたしたちは見習いだとしても退魔師です。……事情があって、二人だけでその魔物を追っています」
「それで、目的の魔物には出会えたのか?」
「いえ————途中でカラスの姿をした魔物におそわれて、やむを得ず川に飛び込んで逃げました」
「あの川の流れでよく岸に上がれたな。よほど幸運とみた」
フキは一言だけ告げて、視線を湯飲みに落とす。暖炉の火の弾ける音だけが居間に響いた。
「……その魔物の情報は、ワシが外部に漏れないように統制している。だから具体的に、どんな姿の魔物なのかは誰も知らないはずだ。実際にその姿を見たのか」
ククの目配せにイヒカがこたえる。
「私が実際に大きな鳥を目にしたの。日暮れ頃だったから、どんな鳥だったかわからないけど、空を飛んでた」
イヒカは大きく腕を広げて主張する。
「……その魔物を見習い二人で退治しようとしたわけだ」
フキに鼻で笑われて、イヒカはむっとした。できっこないだろうという意志が込められていて、腹が立つ。実際に一人では無理だったのでその通りだが。
「先程魔物の情報を統制しているとおっしゃいましたよね? フキさんこそ、何者ですか?」
ククは険しい顔でフキを見る。村人たちに魔物についての口封じを命令していたのは、どうやらこの人らしい。
「なんてことない理由だ。ワシも退魔師の端くれ、それだけだ」
岩穴で出会った時「結界」という言葉を発していたので、この人も退魔師なのだろうと大方は予想がついていた。ククはやはり、と納得する。
「……そこのむくれてるお嬢ちゃんと違って、お前さんはこういうやりとりに慣れているみたいだな」
「わたしはクク。こっちはイヒカです。わたしは一年以上前から一人で魔物を退治しに旅をしています」
ククは改めて名乗る。一応は助けてもらった身で、名乗らないのは悪いと思った。
フキは立ち上がって近くの引き出しから〈一流退魔師の証〉である腕章を取り出した。見習いを卒業し、無事一人前になった退魔師が王国から贈られる腕章だ。それを身につけているだけで、討伐依頼の待遇が違うと聞くが、実物を初めて近くで見た。
「退治しなければならない魔物を退治せず、情報を統制する立場にあるフキさんは、ただの退魔師ではないですよね」
「その通りだよ。お嬢ちゃ————ククはわかるか?」
「王都から派遣されている退魔師、ですか」
「正解だ」
フキはにやりと笑ってみせた。
王都の宮廷に所属する退魔師のなかには、土地の一カ所に留まって魔物を観測する立場の人がいると耳にしたことがある。
「ある程度力のある退魔師じゃなければ、あの魔物は退治出来ない。お嬢ちゃんたちみたいに、無謀に立ち向かう退魔師が出ないために情報を管理する。それもワシの役目の一つだ」
厄介な事態になった。
このままだと魔物退治どころの話ではなくなる。
「言っておくが、見習いだけでどうにかなる相手ではない。だからこそ、まだるっこしい王都の退魔師に応援要請を出しているのだから。勝手な真似をするな」
「でもッ……」
「二人でどうに出来るなら、とっくの昔に討伐されているさ。————いいか、無謀な真似はワシが許さんぞ。いくら体力のある人間でも、精気を抜かれたら、そこで終わりだ」
手を握って離す動作をしてみせる、フキをイヒカはジト目で見上げる。
「だったらおじさんが手伝ってくれればいいじゃない……」
イヒカは蚊の鳴くような声で呟く。
「なんだって?」
「おじさんは! 王都から派遣されたつよーい退魔師なんでしょ! だったら! わたしたちに協力して欲しいって言ってるの!」
大声で叫ぶイヒカに反応するように、フキも大声を上げた。
「なに言っとんじゃこの馬鹿娘!」
「あれも駄目、これも駄目って! そうすれば、見習いの子どもは黙っていると思ってるんでしょうね⁉ でも残念でした! わたしたちには譲れない理由があるの‼ せっかくここまで来たのよ‼」
ククは思わずうなだれる。何をやっているんだ、この相棒は。
「見習いだけでは無謀だと言っているのがわからんのか、お前は‼」
「だから見習いじゃない人が一緒に闘ってくれればいいんでしょ‼」
イヒカは机をバンッと叩いて立ち上がる。
「死にたいのか馬鹿娘! そんなに死に急ぐ必要などないだろうが!」
対するフキも机を叩いて立ち上がる。机が揺れて、湯飲みのなかのお茶がこぼれた。
「そもそも、熟練の退魔師の誰かが魔物を祓うのでは駄目な理由でもあるのか!」
イヒカの反論が止む。
先に退治されてしまったら、首輪の行方がわからなくなってしまうだろう。手がかりがある以上、早急に自分たちの手で倒す必要がある。
「……わたしたちじゃなきゃ、いけないの」
我が儘を言っている自覚はある。迷惑を掛けている自覚もある。
だが、それ以上に大切なものなのだ。
「私も、気長に待っていられないです」
ククもフキに意見する。
「今日はもう休め。明日、ワシが家に送り返してやるから」
泣きそうな顔をしているイヒカを見たフキは、深い息を吐いてから、用意した布団を指差す。
有無を言わせないその言い方に、二人は言う通りにするしかなかった。
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