第9話 遥かなる大社

 その日の夕暮れ、やっと門に辿り着いた風情の客があった。二騎。大原村から馬を走らせて来た、領主とその従士であった。


「広重殿」

「おお、行長殿」


 広重は神宮で、行長と一緒に仕事をしたこともあるが、こちらの里に代行として来てからは、さらに親交を深めていた。

 近くにある村は大原村しかない、というだけではなく、行長の人柄、知識、経験をいたく尊敬していた。


「えらく早かったではないか」



 手早く用意された湯を使い、行長は旅装を解き、身を改めて、御子様にご挨拶した。行長はうっすらと目に涙を浮かべていた。

 広重は思った。


 ――行長殿は領主として大原村に赴任したが、その昔、大原村がまだ小さな里だった頃、今から百年以上も昔だ、黒髪の御子様がお生まれの時に、思いを馳せているのであろう。


 ――今、大原村は行長殿の行政手腕宜しく繫栄し、近隣の里にも手を伸ばしている。


 ――私はこれからだ。


 広重は心に念じ、身を引き締め、行長と共に御子の元から下がった。



 行長の歓迎の夕食会が、まずは御子様誕生を祝って始まった。社にいる者、主だった者、手すきの者も呼ばれ、入れ替わり立ち替わりしている。

 先の代行を覚えている里人も多かったが、広重が代行として来てからは、他に正位の方を見たことがなかった。


「代行様と並んでおられるのが」

「大原村の領主様」


 里人は小皿一つ、または小鉢一つ食べると、『お相伴した』という顔つきで、満足気に下がっていった。


「御血筋の方を紹介せねば」


 広重が床を離れたキクカと、タカト他、甘木姓を次々と紹介する。


「甘木殿……甘木……、もしや甘柑にゆかりの方か」


 大原村でも甘柑は珍重されているという。

 季節に先駆けて出荷され、持ちも良く、痛みも少ない、味はいうまでもないことだと手放しで褒める行長に、タカトは言葉につまってしまう。


「コセト殿が改良し、タカト殿とキクカ殿が継いでいる」

 代わりに、広重が自慢そうに答える。


「キクカ殿は幼い頃より甘柑が好きであったと聞く。甘柑が好きで、甘木が好きで、よくコセト殿のところに行って、タカト殿と一緒に甘木の世話をしたと」


 広重はこの間、クミカやキクカの姉たちから聞いた話を披露した。


「キクカ殿が結婚する時は、タカト殿と結婚するのか、甘木と結婚するのかわからないと言われていたと」

「それこそ天の思し召しであろう」

「貴い御血筋が、甘木に結ばれた」


 真面目に交わす広重と行長の会話に居たたまれずに、タカトは救いを求めるように話題を変えた。


「あのう、御子様の御様子は……」

「そのう、そろそろ目を覚まされる頃……」


 キクカもほっとした様に、すかさず頷き一緒に失礼した。

 トラトもストカも、その前にはキクカの姉たちがさっさと逃げ出しており、御血筋の方々は皆、退散した。

 廊下では、ジルト等が待っていた。


「今日はお屋敷まで来て、御子様にご挨拶していない」

「そうだ」


 トラトもブルトも頷いた。

 一同静かに、御子様のお部屋に伺った。

 お血筋の方々がみな夕食に招かれたので、お部屋では範士と長老ブレカが布を畳んでいた。

 範士は一礼して布を片づけた。


「良くお眠りです」


 頷いて、御簾をサラッと上げた。

 黒髪の御子。

 見紛うこと無き黒髪の、その黒髪の光沢が、日々増しているよう思われた。



 夕食会の方は、お血筋の方々が去ると、広重と行長の他、選士たちだけになった。

 広重が改めて言った。


「早かったな。どんなに急いでも明日か、明後日かと思っていた」

「夜明け前に出発して、走りづめだ」


 行長は、谷丘の里の言付けが里の社づたいに楽な道を取らず、夜は近くの里の小屋に泊めてもらいながら、越せぬ坂を越し、昨日、二月六日、日暮れて到着した様子を語った。


「この行長も楽は出来ぬよ」


 ――いや、そうではない。

 ――行長殿は、谷丘の里が未だ広重と連絡を取れないでいるのでは、と心配して飛んで来てくれたのだ。


「ありがとう」

「なに、大吉事だ。飛んで来るとも。ところで、神都神宮へ知らせは?」


 広重は最初から説明した。

 御子様誕生が二月一日、真夜中のことであったと。

 二日に荒川の里で言付けを受け取り、午後遅くに谷丘の里に着いたこと。

 三日早朝、神都に知らせを出したこと。


「ではまだ神都に着いておらんな」

「飛んで行って大君様にお知らせしたいところだが」

「真に。大君様にお知らせする役でなくとも、飛んで行ってその場に居合わせたいものだが……」


 行長は広重と顔を見合わせた。二人は共に、大君様に仕えた時期がある。


「春であったかな。御子様誕生の知らせをお聞きになり、そのまま部屋を出られ、廊下から庭に降りられ、風に乗せて歌われた」

「大空に吸い込まれるような歌であった」


 どのような歌であったのあろう、選士たち青い空を思い浮かべた。微かに笛の音が聞こえたような気がした。


「会議の時に知らせが入ったことがあった」

「ああ、あの時は、左手を上げ、右手を掲げ歩を進め、舞を舞われた」


 どんな舞だったんだろう、選士たちは思わず目をつむった。そうすれば、舞が見えるかのように。瞼の裏で、大君様の黒髪がふわりと揺れた。


「しかし、あと二日はかかるだろう」

「遠いな、神都は」


 神都を南北に貫く神道は、幅も広く整備されている。

 東西線は単に街道と呼ばれ、それも途中で途切れている。里の社から社へ通じる道があるだけだ。

 行長が身を乗り出して言った。


「谷丘の里に御子様がお生まれになったのだ。これを機に、ドンと街道を谷丘の里まで引っ張って来るのだ」


 行長は、長年考えていたのだと言った。

 村が独りなのは良くない。

 交流が無ければ停滞する。


「神都と連絡を密にしたいと思っても、往復に一月近くかかる。荷も無しで行き、神都の門で取って返すわけではないからな」


「この谷丘の里に大社を建立しようと思う」


 広重も、静かに考えを述べた。今までは力が及ばないのではないかと躊躇いがあった。

 だが、御子様がお生まれになったのだ。微力ながら広重、生涯かけて持てる力すべてを谷丘の里――いやさ、谷丘村の発展に尽くそう。

 叶わずとも良い。後を託せる者が必ず現れる。


「谷丘の里から荒川の里までの道を整備し、大原村に直接向かう道を開こう」

「そうだ、大原村からも谷丘に向かう道を開こう。ほほう、大社とな。道が通いやすくなる頃には、馬で楽に一日のところに、新しい村があるということか、有難い」


 広重と行長の話は尽きず、夜は更けていった。



 翌日広重は、考えている大社の予定地に行長を案内した。

「これはこれは、何と気持ちの良い丘ではないか」


 行長は緩い傾斜をみながら言った。


「段、段、と二段の大社だな。面白い」

「向こうに見えるのが、甘柑の木だな」


 広重たちは丘の周りを歩き回り、それからコセトの小屋に寄り、行長とコセトを紹介して社に戻った。

 行長は、明朝早くに立つという。


「広重殿が居られ、神都神宮への使いも届く頃であろう、安心した。御子様にご挨拶もかなった」


 行長は広重の耳元に口を寄せると、小さな声で囁いた。


「お小さい御子様にお目にかかるのは初めてだ」

「私もだ」


 広重も頷いて、お小さいのに神々しい様子を、目で称えあった。



 翌朝行長は、忘れていたといって、二つの包みを広重に渡した。

 来る時に、とりあえず手に持てるほどの物を、従士と二人で馬に積んで来たのだという。


「ささやかながら、お祝いに」


 二人を見送ってから包みを開けると、柔らかい子牛の皮ばかりであった。

 大原村は、本当に大原なのだ。

 馬と牛を飼い、牛の皮のなめしたものは絶品である。

 広重は深く感謝した。


 この谷丘の里が大きな村となり、大原村と交流し、共に繁栄する未来を一瞬見せてもらった、と思った。

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