第7話 黒髪の血筋の方

 広重たちが谷岡の里に入る前に、従士モラトが追いついてきた。一人だった。

「私も従士の端くれ、お伴させていただきます」


 息を切らせながら、他の選士たちもすぐ出発し、後を追っていることを報告した。


「フム」

 広重は頷きながら、馬から降りた。

「この近くに水場があったな。馬を休ませよう」


 ――モラトがこの調子なら、他の選士たちは泡ふいて馬を走らせていることだろう。待った方が良さそうだ。


 広重は、谷丘の社まであと一駆け。隊伍を整えて行った方が良い、と判断した。


 ――モラトが残りの者をまとめて、ゆっくり追って来てくれれば良いと思って先行したが。


 広重は小さく笑った。


 ――黒髪の髪の御子がお生まれになったのだ。神宮の新たな宮様が誕生なさったのだ。このような時に、誰が平常心を保っておれるものか。


 馬を放ち、また乾物に水を混ぜる。このまま食べることもできる。火を通せたら、上等なほどだ。

 彼らは火を起こして、追いかけて来る選士たちを待った。


「代行様」

 モラトが報告する。


「社主には『倉を開けよ』と指示しました。ともかく皆で後を追おうと」

「ああ、それで良い。谷丘の里の者は、社に着いたか」

「いえ」


 モラトは意味ありげに笑った。

「あのあと社に向かわずに、そのまま戻ったようです。途中で追い越して来ました」


 広重は少し驚いた。

「昨日からずっと歩いて来ただろうに」


「はい、あの二人は、『代行様に言付けを伝えたのは自分たちだ』と喜んでおりました。私にも、『どうぞ、お早く、谷丘の里へ』と手を振っておりました」


「……谷丘の里に栄あれ」

「はい」


 皆が追いついて来た。従士たちがさっと飛び出して、馬の手綱を受け取った。


「代行様」

「遅くなりました」


 声も絶え絶えに、ずるずるっと馬を伝うように下りた選士たちは、水をもらって飲み、少し落ち着きを取り戻し、しかしそれでも、自分たちの治める里に神の御子が誕生したことを、直接口に上らせることができない風で。


「何もかも、放ってまいりました」

と、選士が遠回しに言う。


「あ、私も……工具袋だけは、引っ掴んでまいりましたが」

と、工士。

 皆、ほとんど身一つで駆けつけたのだ。


 食事をしながら選士たちは小さい声で、大君様の御姿を見たことがあるとか、里に志願した時、宮様に声をかけられたとか、語り合っている。


「では、出発だ」

 広重は立ち上がった。

「黒髪の御子様が居られる。列を整え、進め。モラト、先導せよ」




 軽く馬を走らせ、谷丘の里に入った。すぐに気付いた里人たちが大騒ぎして迎える中、速度を落として社へ向かう。


「代行様だ、道を開けよ」

 モラトが声を張り上げてそう言うも。


「代行さまあ」

「代行さまあ」


 里人が口々に叫んで寄せて来るので、なかなか進めない。

 けれど、気持ちは一緒だ、とモラトは思った。手を取り、肩を叩き合い、大声で祝いたい。


「代行様だ、道を開けよ」


 やっと門に辿り着く。

 いつもは乗馬したまま通り抜ける門の前で全員下馬し、手綱を引いて行き、広重は残ったモラト・範士・薬士を従え、玄関に入る。

 社主、長老たちが膝をつき、待っていた。


「お帰りなさいませ」



 ――黒髪の御子様は、お健やかにお眠りだ。

 ――お小さいのに、眠っておられるのに、なんと神々しい。


「私は正二位、神都神宮・代行広重と、広重直人と申します」

 低い声でご挨拶した。


「ご尊母殿にも、御挨拶申し上げる」


 静かに御子の元を下がり、範士に屋敷の倉を開けるよう命じた。

 谷丘の里は、社が三の倉まで持っており、主に穀豆を備蓄している。屋敷の倉は、布や綿、工具や材料を納めている。


 社主がつかえながら、事情を説明する。

 広重は一つ一つ頷きながら聞いた。


「ウム、真夜中のことであったか」


「ウム、では隣の大原村に言付けを出したと。良い判断であった」


 何か腑に落ちぬ思いはしたが――急かしてはならん――とゆっくり労をねぎらいながら、社主の話を聞いた。


「代行殿」

 範士が呼びに来た。


「御子様に何事か」

 広重はすぐ立ち上がった。


「いえ、御子様はご機嫌うるわしく、と薬士が。ただ、お部屋が通路に近く……」


「フム、あの部屋は良くないな」


「代行様がいつもお使いですので、社主は屋敷の中で一番良い部屋だと思っておりましたようで……」


「私は便利で使っていただけだ。フム……。お小さい御子様には、そうだな、細長い中庭の奥の部屋はどうだ」


「はい、承知いたしました。藁を敷き、用意いたします」


 範士はこんな事を相談しにきたのではないようだった。


「あのう……御子様のところで……長老のアロカは見知っております……。ご尊母様と、もう一人はクミカと、いや、そう呼ばれておりましたが……どうも尊祖母様にあたる御方のようで……」


 そこへ、モラトが足早にやって来た。


「代行様」


 モラトは里人を指揮し、倉出し、荷ほどき、荷運びをやっていたという。その里人の中に「ブルト」という者が居り、と不審そうに報告する。


「あのう、里人たちに『ブルトはいつでも社に入れるだろ。タカトの所に行って、お茶でも飲んでろ』と追い払われておりました。

 どうも……そのう、タカト様は御尊父様……? ブルト様はその兄上様のようなのですが……」


 広重はやっと腑に落ちた。社主は一言も親族について話していない。

 この里は、何も知らないのだ。小さな里だったのだ。


 里人の総力を挙げて社の用意できる一番良い物を使って、一生懸命に御子様にお仕えしている。都の選士たちと比べても遜色のない働きに……失念していた。


「……社主は、何もわかっていないようだ。里人も何も知らんようだな。もう一度、社主と話す。御親族も詳しく聞こう。

 いや、直接、皆に話した方が良いな」


 広重は範士を伴い、社主、長老たちを呼んだ。そして、社にいる者を集めて、静かに話し始めた。


「この谷丘の里の行いと祈りは神の御心に届き、善を重ね、徳を積んだ御血筋に、黒髪の御子様をくださったのだ」


 里人の間に声にならないどよめきが生じ、喜色満面に代行の話に耳を傾ける。

 広重は一つ一つ、説明していく。


 黒髪の御子より生まれる子孫は正位を持ち、子を一位、孫を二位、曾孫を三位ということ。

 さらに、御子をいただいた尊い血筋もまた正位を得、御尊父、御尊母が一位、尊祖父母が二位、尊父母の兄弟姉妹が三位であること。

 今後、御尊父、御尊母より生まれる方々が二位、その子が三位となることを話すと、聴衆の間で小さな驚きの声が押さえきれずに発せられ、座ったままにじって動き、数人が取り残され、浮いた。


 ――御血筋の方々であるな。


 浮いた数人を見やりながら、広重は話し続けた。

 神都は遠いこと、神都神宮へ今から連絡すること、神宮よりお迎えが来るまで、この里で御子様をお守りすることを、粛々と説いた。

 里人は皆、拳を握りしめ、大きく頷く。

 

「御血筋の方は?」


 広重は社主に聞きながら、屋敷に御血筋の方と社主たちを範士に案内させ、それから広重は残った者たちに相対し、ゆっくり左手、中央、右、と大きく頷き、今までの労をねぎらい、各々、穀豆や綿、木材や道具等、望むものを良く考えてから申し出るように言った。


 広重は部屋に入ると、三々五々と身を寄せている者、バラバラに居る者――隅に居るあの若者が御尊父殿であろうか、入口の壁にへばりついている若者の方であろうか、と考えながら上座に着き、皆に楽にするように言った。


「お茶にしよう」

「はい」


 長老エスカが、さっと立ち上がった。

 出遅れた者は、もそもそと座り直した。


「御尊父殿は?」

 誰に問うでもなく見回すと、皆の視線をあびて、隅の若者が姿勢を正した。


「は、はい、タカトです」

「御尊父タカト殿」


 広重は一礼し、続けてタカトの両親を聞き、

「二位トラト殿、二位ストカ殿」

と礼をして、次々に確認していく。


 キクカの両親、タカトの兄ブルトとその妻、キクカの姉二人とその夫たち。

 お茶が配られると、皆の舌のこわばりも解け、少しなめらかに話が進んだ。


「ほう、タカト殿には祖父殿が居られる。御子様の御血筋、尊曾祖父殿にあたる方、三位コセト殿だな」


 広重は血筋をしっかり把握すると、夕食にタカトたちを招待した。

「選士たちを紹介しよう」


 モラトには簡素な指示を出した。

「今夜は全員ゆっくり休み、明朝、従士二名を神都神宮へ使いに出すよう」


 それから社主に笑って頷いた。

「里をあげて祝いだ。里人みなに行き渡るようにせよ」






 












 






































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