第二十三話 お父さんとお母さん

 寝入ってしまった優愛を背負って翔子さんの部屋に届けたあと、自分の部屋の布団に倒れ込み、アラームの音に起こされた。

 いつの間にか、朝日が差し込む時間になっていたらしい。夜中はあれだけ眠れなかったのに。許容範囲を超えて、脳が強制終了したようだ。


 重たい体を持ち上げて、スマホのアラームを止める。トークアプリのメッセージ通知を見て、ぼんやりとしていた脳が急速に覚醒した。

 

 大善からのメッセージだった。

 送られてきたのは、動画とブログサイトのURL。


 *

 

 動画の中で、男が探索していたのは、このマンション――「レジデンスこうふく」だ。当時は廃墟だったようだが、所々の特徴でわかる。


 そして、彼が侵入した部屋は、昨晩優愛が迷い込んだ一階の居室だ。生々しい火事の跡があった。きっとあれは、更谷くんが亡くなった部屋だ。

 

 このマンションは全てがおかしい。でも、あの部屋は、特に異常な気がする。そしてその異常さはきっと、更谷くんの死に関係がある。


 考え込む私の耳に、階下から、賑やかな話し声が聞こえてきた。


 *


「あ、知瀬ちゃん、おはよう! 朝ごはん、先にいただいちゃっててごめんね」

 

 リビングに降りると、炊きたてのご飯と、味噌汁の匂いが漂っていた。

 翔子さんはダイニングテーブルに腰掛けて、箸で目玉焼きの黄身を割っているところだった。


 優愛はその隣に腰掛けて、もくもくと、うさぎ型に剥かれたりんごを頬張っていた。


「遅かったのねぇ。ご飯、どのくらい食べられそう?」


 エプロン姿のお母さんがキッチンに立って、私のお茶碗を片手に、にこりと微笑む。


「なんだ、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」


 翔子さんの正面に腰掛けて、新聞を読むお父さんが、コーヒーを一口啜る。


 死んだはずの両親が、まるで当たり前のように、そこにいた。

 

「……………………なん、で…………いるの?」

「何で……って。お父さんとお母さんなんだから、いるのは当たり前じゃない」

「そうだぞ。お父さんとお母さんなんだからな」


 父と母の顔をした何かは、あくまで笑顔のまま、私の問いに答えた。その顔は、生きていたときの両親と同じだ。

 あの日――死亡確認のために病院を訪れたことや、葬儀場で棺の外から覗いた死顔は、まるきり嘘だったかのように、両親は、動いて、話して、存在している。


「どうしたの、知瀬ちゃん? お味噌汁冷めちゃうよ。早く食べなって」


 翔子さんはこの状況を、何も疑問視することない。喪服で通夜と葬儀に参加したことなど、すっかり忘れた顔をして、上機嫌で朝食を続けていた。

 私は迷って――それでも逆らうことなど思いもよらず、父の隣の席に腰掛ける。


「はい。具合悪そうだから、少なめにしといたわよ。でもこれくらいは食べなきゃね」

 

 私はぎこちなく席につくと、母はお茶碗によそった白米と、味噌汁を目の前に出してくれた。目玉焼きは私の好きな半熟だ。震える手を合わせて、いただきますを言う。


「おいしいかしら?」

「おいしいよなあ?」

 

 母は、私の右側に留まったままだ。父は半身をこちらに向けて座り直し、肘をついている。

  

 両親の顔をした何かは、気持ち悪いくらいの笑顔を近づけて、私が箸を進めるのを見守っていた。

 両側から穴が開きそうなほどの視線を浴びながら、私は――恐怖に、泣き出しそうになりながら、味のしない食事を噛んでは飲み込んだ。


 りんごを食べ終えたらしい優愛が、私たちの様子を見ながら、足をぶらぶらさせている。

 

「じいじとばーばは帰ってきたの? お別れなんじゃなかったの?」


 その言葉を聞いて、父と母はお互いの視線を見合わせる。そしてその笑みをにんまりと深め、優愛に向かって同時に口を開いた。

 

「じいじじゃないぞ。お父さんだ」

「ばあばじゃないわ。お母さんよ」

「ふぅん?」


 その表情も抑揚も、まるでロボットのように機械じみている。優愛はよくわからないというように首を傾げて、それ以上コメントをしなかった。

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