第十一話 たのしいたのしいわるくない

 振り向いた先に並んで立っていたのは、李衣と、久保川――そして、大善だった。

 

「あらぁ、李衣さん。それに、久保川さんも大善さんもこんにちは。三人揃ってどうしたの」

「お久しぶりですぅ、明野さん。お元気そうで何よりやわぁ。……そこでね、皆さんにばったり会ったんですよ」

「ねー。皆、ちーちゃんに用があるから、一緒に来ちゃった」

「……私に?」 


 李衣は、私と同じ色のアイシャドウを乗せた瞼で笑いながら、その後ろ手に持っていたレジ袋を私に差し出した。


「はい。メイク落とし買ってきたよ。無いって言ってたでしょ」

「……え、ぁ……ありがとう、ございます」

「ううん。当然。お化粧させてくれてありがとね、楽しかった」

「あら、知瀬さんのお化粧は、李衣さんが? 道理でとっても可愛らしいと思ったわぁ」

「でしょ! 知瀬ちゃん、盛りがいがありました! 髪の毛もちょっと巻いてみたの。雰囲気柔らかくなってかぁわいいでしょ」

「ほんまやぁ、かわいいー、似合ってるぅー」


 明野さんと李衣にがちやほやと私を褒めそやし、それに大善が乗っかってくる。

 

 一方、この場で唯一の男性である久保川さんは、きゃいきゃいとはしゃぐ女性陣の向こうで、何やら気まずそうにしていた。

 視線が合うと、彼は苦笑しながら手に持った小さな紙袋を差し出してきた。


「あの……この間は、すいませんでした。で、これ……」

「すいません……って何が?」

「うちのペットせいで、救急車なんか呼ぶことになっちゃって。お詫びです。駅前のケーキ屋の、マカロン。……甘いもの、大丈夫でしたか?」

「いえ……あ、はい、好きです、甘いの」

「良かった」


 私がその袋を受け取ると、久保川さんはあからさまにホッとした顔をした。


「あれぇ、久保川くん、緊張してる?」

「いや、そんなことは……」

「あら本当、知瀬さんに見惚れてるんじゃないかしら?」

「イメチェンしましたもんねぇ」

「そんなことは……! あ、いえ、そんなこと、というのは、志方さんはイメチェン前からとっても」

「へええぇ?」「ほぉー」「あらあら」


 慌てて何かを否定する久保川さんに、女性達はニヤニヤと含みのある笑みを向ける。心なし耳のあたりが赤い彼は、困り顔でごにょごにょと何か言い訳をしていた。


 晴天の下の、平和な光景。仲の良い住人たち。

 色とりどりのマカロンが入った袋を握りしめると、かさりと乾いた音がした。


「……どないです?」


 住人たちの輪から外れ、私に近寄ってきた大善に耳打ちされる。

 あの女は悪魔だ、という、和田さんの台詞を思い出した。


 おかしなことばかりだ。彼らは事実狂っているのだろう。それでも、私は思ってしまった。


 悪くない。――少なくとも、この瞬間は。


 しばらく和気藹々とした後で、四人はそれぞれの部屋へと帰っていく。李衣とは今度の休みに買い物に行く約束を、明野さんとはおいしいケーキ屋さんを教えてもらう約束をした

 久保川さんは――何か言いたそうな顔をして、李衣に冷やかされていた。

 

 大善は後ろ手を組んで、何も語らず、ただそれを見つめていた。

 

 私はのろのろと歩き、誰もいない管理事務所へと戻る。ドアを開ける。リビングに入る。


 部屋の中の井戸の蓋の上に、出かけた時にはなかったはずの菓子パンが一つ、まるで私の分だというように置かれていた。


「……ありがとう」


 手を伸ばして、パンを受け取る。蓋の内側から、カタン、という乾いた音がした。


 ソファに座り、チョコレートのかかったパンの封を切って、口に運ぶ。

 

 口に広がった甘ったるい味も、困ったことに悪くなかった。

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