第四章 2
「博士、本日の意見箱の内容を収集してまいりました」
「うむ」
シャントリーニ博士は試験管から目を離して、そこに置かれた紙片の山へ目をやった。 意見箱の願い事は、些末なようであって実は重要な情報源でもある。ちょっとした地道なことが、大きな道筋に繋がることがあるのはよくあることだ。
だから、毎日の意見箱の願い事には丁寧に目を通すことにしている。
「恋人とうまく別れる薬、海のなかで息ができる薬、隠された宝が見つけられる薬……ろくなものがないな。……うん?」
最後の願い事に、おかしなものがあった。博士はそれを読み上げた。
「『不老不死を治す薬がほしいです。もし興味がおありでしたら、明日お城に行く私を入れてください ルイーゼンハル』」
博士は椅子に座って、しげしげとその願い事を見つめた。
「不老不死を治す……?」
肘をついて、こめかみを指で押さえる。
いたずらにしては、凝りすぎている。名を名乗るというのも、おかしい。
「ふむ……」
彼は少し考えていたが、やがて立ち上がって召し使いを呼んだ。そして、あることを申しつけた。
翌朝、まだ朝靄が立ち込める時間に、城門に一人の女がやってきた。
立ちはだかる門番に、女は名を名乗った。
「ルイーゼンハルといいます」
門番は顔を見合わせた。
「ルイーゼンハル、といったか」
「確かにそうか」
「はい」
門番はひそひそと囁き合い、彼女を振り返ると、
「博士から話を聞いている」
「通ってよろしい」
と門を開けた。
城に入ってすぐの場所に、シャントリーニ博士が待っていた。
「ようこそルイーゼンハル。待っていたよ」
「ルイーゼ、と呼んでください」
「ではルイーゼ。君は先日街道で会った女戦士だね」
「そうです」
「君の血を調べさせてほしい」
「それをお願いしたくて、ここに来ました」
二人は城内を歩きながら話した。
「まず君の話を聞こうか。君は不老不死なのか」
「そうです。呪いによって、そうなってしまいました」
「何年生きているね」
「五百年と、少し」
「ふうむ。よろしい。ここが私の研究室だ。ここで君の血を採って、顕微鏡で解析する」「かつての私の恋人は、私の血はひどく活性化していると言っていました。当時の技術ではどうにもできないけれど、やがて医学が発達したら、どうにかできるかもしれない日が来るかもしれないと」
「ふむ。なかなか優秀な男が過去にもいたようだな。その通りだ。どれ、そこに横になりなさい。腕をまくって」
それから採血して、話をして、その日はそれで終わった。
「まずは、血を見てみないことには始まらない。今日のところはこれで終わりだが、明日から忙しくなるぞ。研究は少々過酷なものになると思うが、覚悟しておいてほしい。だが、必ず君の不老不死を治してみせよう。これで私の研究も進むというものだしね」
「ありがとうございます」
「今日はこの部屋で休みなさい」
ルイーゼを客間に案内して、シャントリーニ博士は研究室に戻った。
採血したルイーゼの血を試験管に移して、博士はにやりと笑った。
「ふふふふふ……これで長年の苦労が報われるぞ。あの馬鹿な国王をも騙して不老不死の謎を解こうとしてきた甲斐があったというものだ」
くつくつくつと笑いながら、博士は不気味に口元を歪めた。
「あの娘……逃がさんぞ。全身を切り刻んで、なんとしてでも謎を解いてみせる。切っても切っても傷が治るというのならなお結構。恰好の研究材料になろうというものだ」
薄暗い研究室のなかで、博士は高らかに笑った。
その笑い声を聞く者は、誰としていなかった。
朝、時間になっても食堂にルイーゼが下りて来ないので、エルリックは心配して彼女の部屋に行った。
「ルイーゼ?」
扉をノックしても、返事はない。
「ルイーゼ、具合でも悪いのかい」
問いかけてもなお、
「ルイーゼ、入るよ」
なかに入ってみてみれば、もぬけの殻である。
枕元に、紙片が置かれていた。
エルリックはそれを手に取り、さっと目を走らせると顔色を変え、階下へ下りていった。「ヴィズル」
「どうした」
「大変だ」
エルリックはルイーゼが置いていった紙片をヴィズルに見せた。彼はそれを読んだ。
「『不老不死を治してもらいに、お城に行きます。ごめんなさい ルイーゼ』」
「あの馬鹿……」
エルリックは拳を握って、やり場のない怒りをどうしていいかわからないようにテーブルに叩きつけた。
「なんで……」
「見つかるかどうかわからないヒカリゴケを探しに行くより、より確かなものに頼った方がいいと判断したんだろう」
「おっさん、なに冷静なこと言ってんだよ。一大事だよ」
「しかし、彼女の選んだことだ」
「なんかいやな予感がするんだよ。自分の護衛が死んで、いなくなってせいせいするなんて言う奴だ。ろくでもないこと考えてるに違いないよ」
「それには賛成だ。だいたい、人の手で不老不死を創り出そうとすること自体が間違っている。それはもう、神の領域だ。奢りだよ」
「そんな男のところにルイーゼが行って、安全であるはずがない。助けなきゃ」
「まあ待て。一人で行ったところでどうとなるわけではない。作戦を立てなければ」
「じゃあどうすんだよ。また謀反でも起こすのかよ。今度は国民は味方になってくれないぜ」
「ふむ」
ヴィズルは顎に手をやって、なにかを考え始めた。
「少し時間をくれ」
そう言うと、彼は次の日から城下を歩いて、なにかを探し始めた。
あちこちを聞き回っては人に尋ね、首を振られてはまた探し回るといった具合である。 毎日毎日、それは倦むことを知らないかのように続けられた。
アスラテという国は大きな王国である。そのため、城下も広大なものだ。
それを、一人で聞いて回るというのだから、膨大な時間が費やされるということになる。 いつの間にか盛夏は過ぎ、九番目の月、紺青がやってこようとしていた。
連日朝から街へ出かけていき、夕方まで帰って来ないヴィズルを、エルリックはじりじりとして待っている。
しかし、相手はヴィズルである。
なにか、思うことあってのことなのだ。
そう考えると、詰問する気にもなれない。心配なのは、ルイーゼの身だけだ。酒場から城を見上げては、青息吐息の毎日であった。
そうしてひと月が経ち、十番目の月、紺桔梗の月になった頃のことだ。
「やったぞ。とうとう見つけたぞ」
と、ヴィズルが興奮の面持ちで酒場に駆けこんできた。
「な、な、なんだ」
その日はうららかな午後であったので、エルリックは昼寝を決め込んでいた。そこへヴィズルが大声でやってきたものだから、彼は驚いて起き上がったものである。
「どうしたおっさん。なにが見つかったんだ」
「見つけたんだ。あの博士のことをよく思わない男のことを」
「それがどうしたっていうんだよ」
ヴィズルは息を切らせて座り、酒場の主人に酒を頼むと、まあ待てとエルリックに言った。そして注文した酒が来ると、それを一気に呷った。そうして人心地がつくと、彼はようやくエルリックに、
「考えてもみてくれ。これだけこの国であの博士が尊敬を集め、みなから礼賛されているんだぞ。そのなかであの博士を敵対視とまではいかないまでも、よくは思わないなんて言ったりしたらどうなると思う。石を投げられるだろう」
「あ、そうか……」
「だから当然そういう者は口を噤む。ひっそりと生きているに違いないんだ。探すのに苦労したぞ」
「で、そんな奴を探し出してどうしようっていうのさ」
ヴィズルはにやりと笑った。
「ちょっと協力してもらうのさ」
彼はそう言って、翌日エルリックをその男のもとへ連れて行った。
それは石工をしているオイントという男で、禿げ上がった頭にいかつい顔、むっつりと結ばれた口元がいかにも職人といった感じの、頑固一徹な印象の男であった。
「あんたに聞きたいことがあってやってきたんだ」
ヴィズルはなるべく彼の機嫌を損ねないよう言葉を選びながら尋ねた。それを聞くと、オイントはじろりと彼を睨みつけるように見て、黙ったまま石を切り出し始めた。
「なんか、険悪な感じだな」
エルリックはヴィズルに囁いた。ヴィズルは構わず続けた。
「お城を建てた大工に心当たりがあったら、紹介してほしい」
それを聞くとオイントは石を切る手を止め、ちらりとこちらを見て、また石を切り出した。
「おいおっさん」
エルリックはヴィズルの脇腹を肘でつついた。
「そんなこと聞いて、だいじょぶかよ」
「一か八か、それしか方法がないんだ」
手を休めないオイントの背中に向かって、ヴィズルは辛抱強く言った。
「もし知っていたら、教えてほしいんだ」
すると、手がぴたりと止んだ。
「そんなこと知って、どうするんだ」
手応えありか。ヴィズルの心がなにかを掴んだ。
「仲間が、シャントリーニ博士に捕まっているんだ。助け出したい」
すると、オイントが初めてこちらを振り向いた。
「あんたら、あの男のすることが気に食わねえか」
「まあ、だいたいのところは。人助けは結構だが、やり過ぎはいけないと思っている。人智の及ばないところにまで手を出していつか身を滅ぼす、典型的な類の人間だ」
オイントは工具をそこに置いて、よっこいせとそこに座り、汗を拭きながらヴィズルとエルリックを見て話し始めた。
「俺ぁ、学がないから難しいことはわかんねえ。わかんねえが、あの男がいけ好かねえってことだけはわかる。人間がやっちゃなんねえことをやってるってことだけは、わかる。 あいつは、危険だ。あいつをこの国にいさせちゃなんねえ。でもみんなそんなことには気がつかねえであいつが作る薬を有り難がってばかりいるんで、俺は仕方なく黙ってここでこうして石を切っているのよ」
「城を建てた大工に知り合いはいないか」
「いる。幸いにして、そいつもあの博士のことが嫌いだ。なんとかして話をつけてやる」 ヴィズルはエルリックと顔を見合わせて、そして二人してオイントの顔を見た。
「頼むよ」
そしてがっちりと、その手を握った。
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