人魚の肉
人魚の肉を食べたあと、ティグとアルのステータスに【不老不死】が加わった。
詳しいことはわからないが、人魚の肉を食べることによって細胞が作り変えられることは確かだ。
人魚族については不老不死ではない。
ティグがフィオーレから聴いた話では、平均年齢が五百歳の魔法使いより更に長生きで、およそ八百歳前後。
当人たちは不老不死ではないのに、その肉を人間と食べ適合して細胞の変化を乗り越えた者だけが不老不死になれるのだという。
適合しなかったとしても即命に関わるわけではないが、体表に鱗が出るなどの異常を生じることがあると言う。
魔物化に至れば、結果的に死に至ることもある。
それでも不老不死を望んで人魚を食べようとする者が多くいた時代があったらしい。
元々この世界にいる者達がステータスを開いた時と、ティグがステータスを開いた時に表示される内容にはいくつか違いがある。
それが転生によるものなのか、魔王の影響によるものなのか、ティグにもよくわからない。
確かなことは、ティグが誰かのステータスを見た時には、相手の年齢がわかるということだ。
フィオーレは四百二十九歳で、マリオンは五百八十六歳だった。
マリスには年齢が見えることを伝えていない。
もし、伝えれば二度とステータスを見せてくれなくなる気がして、ほとんど本能的に秘密にしていた。
ティグはマリオンとの会話を思い出していた。
「ドラゴンは、我々の肉を食べても不老不死になるわけではありません。
ドラゴンと言う生き物はこの陸上で最大級の身体をしている上に空を飛びますから、それだけエネルギーを必要とします。人魚の肉は、魔素の密度が高いのです。」
「つまり…効率がいいわけだ。」
ティグは一瞬言うのを躊躇いながらも、他に表現を見つけられずにそのまま言葉にした。
「はい。」
マリオンは特に気にしていない様子で話を続ける。
「ドラゴンは、自然を司る存在です。我々の個体数を常に把握し、本当に必要な時にだけ必要最低限の捕食をする。それが産卵を控えた時期と、産卵後なのです。」
子孫を残すことは、どの生物にとっても相応のエネルギーを必要とする。
人魚族とて、他の生物を捕食して生きているのだから、捕食されることもあるのだ。
「自然の摂理…か。でも、必要最低限なら、どうして?」
「ある時から、ドラゴンの数が急に増えたんです。あの年は特に多くて、私の妻と、妹がやられました。…妹はフィオーレの母親です。」
「そうだったんだね…」
マリオンが自らの肉を差し出し、ティグが治した後にマリオンが話したことだ。
「当時まだ小さかったフィオーレを守ろうとした妹と、それを助けようとした私の妻が同時に捕まってしまいました。」
辛く苦し気な表情を浮かべるマリオンに、ティグは思わず肩にそっと手を置き、慰めの言葉の代わりのつもりで力を込めた。
ティグのその行動にマリオンは涙がこみあげてくるのを堪え、少し俯いた。
しかし、すぐに気を取り直して顔をあげると。
「わたしは、フィオーレが居たから救われたのです。ですが、あの子の父親は…妻と子供を自分が守ることが出来なかったから、自分には父親の資格がないと思っていたようです。」
ティグはマリオンの話にじっと耳を傾けていた。
「フィオーレの父親は、自分を責めていました。当時、家族をやられた人魚族によって結成されたドラゴン狩り部隊に参加して…」
ドラゴンと人魚が真っ向から戦えばどちらが勝つのか想像に容易い。
「そんな…」
幼い娘を残して死地に赴くなど、ティグには考えられないことだった。
もっとも、実際に子供はおろか結婚すらしたことがないから、実際にその立場になってみて初めて分かることがあるかもしれない。
それでも、奥さんが命がけで守った娘を残してだなんて。
「あいつは、早々に命を落としました。それで、私がずっとフィオーレを育ててきました。私も、ドラゴンへの憎さはありましたが、あの子を放ってはおけない。妻と妹が命がけで守った血の繋がった家族です。だから、私はあの子に救われたのです。」
この先もフィオーレを守りたいという思いが伝わり、ティグは微笑んだ。
「フィオーレにとっても、あなたが居たことは幸いだったと思います。」
「…ありがとうございます。」
そんなマリオンの気持ちが込められた人魚の肉を、ティグは形が無くなるほどに煮込み、ほとんどエキスの状態になるよう調理していた。
アルが勇気を振り絞って食べた時、本当に肉を食べているのか疑問に感じた程だ。
「俺、魔王の従魔になっているから、恩恵も受けるんだ。滅多なことでは死なない。もし試した方が良ければ、食べるよ?」
アイリーがそう言うので、ほんの少しだけ食べてみるように促したティグ。
異常が起きた時すぐに魔法を発動できるように構えて見守った。
幸い、アイリーの身体にはそこまで大きな変化は起きなかった。
「具合が悪いということでもないけど、ちょっとで満腹になった。少し苦しい。あと、身体が熱い。」
アイリーの感想を受け、ティグが身体の状態を調べてみると、過剰な魔素を受け入れるために細胞がかなり過活動な状態になっていた。
多くの魔物にとって、人魚の肉はむしろ毒になるのかもしれない。
ほんの少しならば問題はないだろうが、たくさん食べれば細胞破壊をおこしそうだ。
前世の世界でも描かれていたように、ドラゴンは魔物の中でも特別なのかもしれない、と、ティグは感じていた。
そもそも、人間や獣人が魔物を食べることは一定のリスクを伴う。
この世界には、生月症候群という病気がある。
魔素を異常に吸収してしまう状態だから、食事から魔素を取り込めば当然悪化する。
健康な者でも、魔素の取り込みすぎれば、具合が悪くなったり魔素過剰症になる。
この世界の植物や魔物には魔素が含まれており、動物にも当然魔素が含まれている。
具体的な境界線は不明瞭ではあるものの、動物は魔素が少なく、魔物は魔素が多いというのがおおまかな分類だと、ティグは判断していた。
しかし、動物だと思っていたものが、実は魔物だったケースがあった。
更に、ここ数年で考えを改めざるを得なくなった。
魔力量だけを捉えたら、自分はもちろんアルもはや魔物としか言いようが無くなるからだ。
そこで、一度基本に立ち返って考えてみることにした。
ティグはどうやら聴きそびれたらしい、学校でまず最初に習うこと。
”獣人が存在しているのが動物”と言う話だ。
そう考える方が明白で健全だという結論に至り、それ以降は獣人が存在しているのが動物でそれ以外が魔物と考えるようにしている。
生月症候群の者が安心して食べられるよう、魔物の肉から魔素を取り除く仕事が存在する。
取り除いた魔素は魔道具などの動力として使用されるため、処理を施すことによって特別価格が高くなることはない。
高くなるのは魔道具の方である。
健康な者が魔物の肉を食べる際にも、食べすぎには注意が必要だ。
特に魔素の調整を行っていない新鮮な肉の場合は、魔素の量が多い。
通常の調理では魔素は抜けない。
命を失えば、時間と共に魔素が飛散していくもので、時間経過と共に魔素の含有量は減るのが一般的だ。
だが、異空間収納をすれば時間経過が止まり魔素の量を維持したままになるから、注意が必要だ。
どうやら人魚の肉はそのまま放置しても魔素の飛散が殆ど起きず、腐敗の進行も遅いらしい。
そういった意味では、保存食としての価値がある。
それでも、人魚を捕食するのはほぼドラゴンだけ。
「深海を拠点にしているドラゴンが遠い昔にはいたようなのですが、最近ではとんと見かけません。」
それなら人魚はもっと数を減らしていたんじゃないか?と、ティグは疑問に思う。
「人魚族がドラゴン狩りで滅ぼしたというわけではないのかな?」
「私も詳しいことはわからないのですが、海の中にある日それまでなかった壁が現れたという伝説が残っています。」
「…それって…」
海の中にも結界が張られているとしたら、海そのものが分断されていることになる。
「その壁の向こう側にも、海が続いているということですか?」
「私にも詳しいことはわかりません。ただ、大長老様は”海が分かたれた”と仰っていました。」
「その大長老と言う方は? もし可能なら話を伺いたいのですが。」
問われたマリオンは言いづらそうに。
「…残念ながら数年前に海へ還られました。五千年は生きたとお話しされていました。」
「一番長生きされている人魚族の方は? 大長老様の他にはいらっしゃらないのですか?」
珍しく矢継ぎ早に問いかけるティグに、マリオンは少し戸惑った。
「い、いえ…。 いま、人魚族の中で一番長生きをしているのは私です。最長老などと大げさな呼び方をされていますが、ただ一番長生きなだけです。」
ティグはその話を聞き、マリオンにスキル【絶対君主】を発動し、人魚族の長を正式に任命することにしたのだった。
「お兄ちゃん?」
急激に現実へと意識が戻り、軽くめまいを感じるティグ。
マリオンの肉を食べたことをきっかけに回想に没頭していたことを自覚した。
軽く頭を振ると。
「ごめん、大丈夫だよ。」
と、アルへ笑いかけた。
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