出航2

 翌朝、目覚めたティグは、まだ寝入っているアルを寝かせたまま甲板へ出た。

確認しなくてはならないことがある。

錨が機能し、昨夜と同じ場所に止まっていることが出来たか、だ。


「大丈夫そう、かな。」


船を下ろした時と同程度の高さの上空から見まわした限り、錨が付いている鎖の可動範囲内にとどまっていることが伺えた。

錨が着地した場所には、他の者でも使用可能な魔法で印をつけていたが、念のため目視でも確認しておきたかったのだ。


アルはきっとお腹を空かせて目を覚ますだろう。

空間魔法で作り出した異空間の収納場所へ、既に出来上がった食事を相当量保存してある。


空間内は時間経過がないため、出来上がった時のままいつまでも保存可能。

出来立てをいつでも美味しく食べることが出来て、とても便利だ。


とはいえ、作った時点では、保存食用として淡々と作業をした。

心を込めて料理をしたとは言い難い。

ティグは、あたたかい食事をアルの為に作ってやりたいと思った。


「魚、釣ってみるか?」


食料を現地調達できるか否かで、旅の行程が変わる可能性がある。

ティグやアルほどの空間魔法を使える者は珍しい。

空間魔法を使えるというだけでも、貴重な存在だ。


しかし、いずれは魚釣りに挑戦するにしても、いまは他にやるべきことがある。


「その前に、荷積みしなくちゃな。」


空間魔法が使える者を、いつでも必要としているのは、いわゆる運送業。

運送業は国家にとっても大切な職業であるため、営業妨害になるようなことは避けたい。

そうなると、空間魔法使用者を旅に同行させるのは困難と考えるのが妥当だ。

現地調達できたほうが、旅はしやすいだろう。

同時に、実際どこまでの量を人の手で運ぶことが出来るのかは、別途検証が必要になりそうだ。

船の積載量を、実際の旅の際と近づける必要があるが、今は最大量で検証を進めるしかない。

スペースが余っていても問題はないから、減らすことはしない。

だが、足りない場合には、荷物を積めるスペースを増やす必要がある。


ティグは、考えごとをしながら、空間魔法で収納した缶詰などの保存食品を厨房や倉庫に相当するスペースに置いていく。

置いていくとっても、直接手を使うわけではない。

魔法で任意の場所に出現させるだけだ。


『お兄ちゃん』


アルの声が頭の中に聞こえてきて、目覚めて自分を探していることを知ったティグは、魔法通信で居場所を伝えようとした。

が、まだ船内を案内していないことを思いだした。


『迎えに行くから、部屋にいて。』

『うん。わかった。』


ティグはアルを迎えに行くと、船内を一通り簡単に案内してから、元居た場所へ一緒に戻った。


厨房の隣に設けられた缶詰棚は、奥行一メートル、幅は缶二個分の薄型で、中央の背板を挟み左右それぞれ奥行き方向に十三缶が並ぶ構造。

使用缶詰は米国製トマト缶サイズで、一段の高さは約十二センチ、段数は二十段で棚高は約二メートル二十センチだ。

各段は棚板で仕切られ、端から端へ細い棒状のストッパーが渡され缶の飛び出しを防いでいる。

棚は、床のレールに沿って前後にスライドし、幅約二メートル五十センチの空間に十四台が並んでいる。

各棚は前面ハンドルと床の揺れ止めストッパーを備え、片面二百六十缶、両面で一台当たり五百二十缶、十四台で合計七千二百八十個の収容が可能となっている。


三十人が一人一日あたり三缶消費するとして、八十日ほど保つ計算だ。

各部屋にも、ある程度食料を保管できる構造に造られているから、総量は缶詰だけで約百五十日分収納できる。


ティグはアルに説明しながら、作業を続けていたが、説明が終わったところで食事にすることにした。


「アル、お腹空いてるだろ? 食事にしよう。」

「うん。」


アルが昨夜気にしていた魔物のことを考えると、穀物のみのメニューにした方が良いように思えた。


「今日はリゾットにしようか。」

この世界の魚は動物なのか魔物なのか。

確かに純粋な動物には、魔力がない。

魔力を持たない魚が居れば、それは動物という事になるだろう。


あるいは、海に住む哺乳類や、その獣人が存在しているのだろうか?

想像したティグは人魚のような容姿の獣人を想像し、わずかに胸を躍らせた。

前世で、想像上の生き物も大好きだったからだ。


「…ありがとう、お兄ちゃん。」

この世界の獣人は、人間とほとんど同様の体質だ。

肉食獣人でも、菜食主義者のような生活を送ることが出来る。


動物の本能が強く出る場合もあるから、食性に応じた欲求を伴うことがあるけれど、実のところ食性に合わせた食事を、必ずしも摂る必要はない。

精神的に問題が生じることがあるから、その場合は結果的に体調を崩すけれど、当人が食べたくないと本心から望んでいるのならばむしろ摂らない方が良い。


「気にすることはないよ。俺たちはトラの”獣人”だから、肉を食べなくてもいいんだ。」

アルが少しホッとした表情を見せたから、ティグも安堵した。


さすがに、急にアルが肉を受け付けなくなることを想定していなかったが、体調不良などにより穀物だけの食事を摂ることもあるかもしれない、と何食分か用意していた。

穀物そのものも、空間魔法で保管してあるから、いざという時には料理をすることが可能だ。


アルがティグが思ったよりも早く起きた事もあり、今回は出来上がったものを食べることにした。

もし魚を釣ることが出来たら、アルは食べられるだろうか。

そんなことを想像しながら、食事を済ませると、出航の準備を続けることにした。


「一度俺が収納している船の積み荷を全部甲板に下ろすから、各部屋のベッドした収納に入るだけ缶詰をいれてくれるか?」

「わかった。」

「魔法を使って良いし、アルも空間魔法を使って一瞬で終わらせて構わないから。」


実際には十五人程度の乗組員が作業をすることになるだろうから、それくらいのショートカットは許される。


当然、ティグの魔法やスキルを駆使すれば一瞬で終わる。

そもそも、荷積みを済ませた状態で船を空間魔法で収納しておけば済むことだ。

わざわざ荷積みをしているのは、目安程度に出航までの所要時間を検証するため。


ビルキル先生の登場により、海までの道のりを変更した上、寄り道までした。

だいぶ予定が狂っているが、まだ取り戻すことが可能な範囲だ。


もちろん、実際に旅をする人が旅をしている最中にどんなことに遭遇するかは、その時になって初めてわかること。

全てを完璧に検証することは不可能だとわかっている。

出かける前に、国の幹部に対して何度も説明したことだ。


今回の旅は、どんな危険があるかわからないから、誰も連れて行かない。

予測不能な危険な道に国の幹部を連れて突っ込んで行けば、予想もつかない危険な事態に遭遇し、幹部を危険に晒すかもしれない。

果ては自分自身やアルなら絶対に陥らない状況に追い込まれてしまう可能性がある。

だから、二人きりだけで下見をする。

それは前提条件として譲れないことだった。


検証は可能な限り行うが、二人で行う検証には限界がある。

さらに言えば、ティグとアルは規格外の存在だから、どの程度参考になるかは見当がつかない。

最初の旅には同行をするから、その時に改めて検証すること。


最後に最も大切なことは、ティグとアルはいつでも旅に同行できるわけではないし、基本的には同行しないものと考えて欲しい。

そう伝えていた。


周辺の国がどの程度見つかるのか。

どのような国交が行われるのか。

実際に同行が不可能だと考える方が正確だ。

三百六十度全方向に見知らぬ国があるかもしれないのだから。


真東の方向にある他国と、真西にある他国に使節団が同時に出発するようなことになれば、片方はティグがつきそい、もう片方をアルが、という状態を強いられることになる。

絶対にそれは避けたかった。


荷積みは早々に終わり、次は出航準備に取り掛かる。


「この船は風魔法を主な動力源に動かす。爆発的な推進力を得るために、時に冷や水を使うこともあるんだ。」

単純に風魔法で進めるのが一番早いと思うが、蒸気船のような方法をとるのも味があって良いかもしれない。


エンジンルームや燃料は積まなくてもいいけれど、機構は作る必要があるかもしれない。

前世、動物園の飼育員だった木原勇史は、生態系の問題を調べた時に、海洋生物のことから船のことについても調べた。

だから、船には詳しい方だ。


一通り説明を終えるといよいよ錨を上げ、出発の時。

未知の海にはどんな生き物が潜んでいるのか。


「さあ、行くよ。出航だ。」


ティグの声に合わせ、アルが魔法を発動。

船がゆっくりと動き出した。

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