出立2

 ティグは、転生したこの世界に差別はないと思ってきた。

ずっと、何の疑問も抱かなかった。


ビルキル先生が教えてくれなかったら、ずっと知らないままだったのかもしれない。

そう思うと、血の気が引くような感覚になる。


 『ゴブリン』と呼ばれる彼らを、ビルキル先生は救っていた。


「これが本当に救いと言えるのか、わしにはわからんがな。」

と、嘲笑するビルキル先生。


生きていることを許されず、産まれた途端に命を絶たれる。

存在しないことが前提の世界に生き延びたとて、彼らは隠れて一生を送ることになる。


「最初は、こんななりで生きていることに何の意味があるのかと思いましたよ。」

キャルが相変わらずあっけらかんと話す。

「けれど、今はこの子たちを見ていて、生きていてよかったと思います。」

ティグは背中を向けたまま、身体を震わせていた。


「お兄ちゃん? 大丈夫?」

クロヒョウの少女がティグの足に人間の手の方で触れた。


「うん、大丈夫。

ちょっと、目が痛くてね。

しばらくしたら、治るから。」

ティグは、そう言いながらわざとクロヒョウの手に触れた。

一瞬、反射的に手を引いたが、両手で包み込むようにすると安心したらしい。


「お兄ちゃん、くすぐったい。」

笑い声はごく軽かったが、笑顔は満面に広がっている。


「エレナ、座っていなさい。」

「はーい。」

キャルに促されるまま、エレナは元居た席へ戻って行った。


「俺、アルの様子を見てきますね。」

「ええ、奥の部屋です。」


 小屋の中に入ると六畳二間続きほどの大きさの空間があった。

大森林のど真ん中、結界の中にぽつんと建っているアマビリスの家よりは広い。

だが、十二人で暮らすにはだいぶ窮屈だろう。

奥の部屋には所せましとベッドが置かれていた。


「アル…」

ティグが声をかけても、アルは天井を見つめたまま。

「兄さん、あれはなに?」


アルは初めて見た彼らのことを、自分と同じ命だと認識できないでいる。仕方がないことだとわかっていても、どうしても胸が締め付けられた。


「アル、あの子たちは俺たちと同じ獣人だよ。」

ティグは、万が一にもあの子たちに話を聞かせたくないと思い、周囲に結界を張る。


「でもっ…」

ティグの一睨みに、アルは言葉を失う。

自分にこんな怖い目を向けた兄を見たのは、初めてのことだった。


「俺は、別の世界から転生してきたから、彼らのことを理解できる。

アルが理解できないのは仕方がないと思うけれど、あの子たちは俺たちと同じ獣人なんだよ。」

語気が強くなっている自覚がありながらも、ティグは抑えようとしなかった。


 出発までの間、アルに前世のいろんな話をしてきたが、この世界には差別がないと思っていた。

いま存在していない嫌な事象について、敢えて話すこともないと思ったのだけれど、今後起こり得ることとして話しておけばよかった。


次の瞬間、頭が締め付けられる感覚と耳鳴りに襲われたティグ。

「…っ…」


<お前の言うその”差別”とやら、お前たち人間と獣人が魔族に対してきたことではないのか。>

もうずっと静かにしていた魔王が、ティグの内側から問いかけた。


魔族は敵対する存在と認識していた。

戦わなければこちらの命が危ないから、仕方がないのだと。


ワレにまだ肉体があった頃、我らは人間や獣人を無闇に殺すようなことはしていなかった。少なくとも、脅かすようなことはしていなかったつもりだ。>


 人間、獣人、魔族が揃って平和に暮らすため。

それは敵対関係を解消するという解釈でいたティグ。

しかし、根底には差別があったというのか。


途端に、ティグは全身が震えるような感情の揺れを覚えた。

ティグ自身が明確な差別を、差別として認識していなかった現実を、魔王に突き付けられた。


前世地球でも人間はいつだってそうだった。

意識的な差別。

無意識の差別。

日常の中に紛れ込み何の疑問も抱かない差別。


 「兄さん?」

アルが心配そうに身体を起こし、ティグの肩へ触れた。

「<お前に少し分けてやろう>」

ティグの身体を使って発声した魔王は、肩に置かれていたアルの手を掴むと少量の魔力に記憶の一部を転写して流し込んだ。


「ぁ…うぁああああああ…」

アルの叫びに、ほんの一瞬魔王に支配されいたティグはすぐ我に返った。

「アル!?」

結界が解けていた為、アルの声は小屋の外へ漏れたらしい。

全員が慌てて駆け付けた。


 「何があった!?」

筆頭にいたのはビルキル先生。

いざという時には、本当に腰が曲がっているのだろうか、という動きをする。


「…大丈夫です…すみません、驚かせてしまって。」

答えたのはアル自身だった。

「大丈夫なんじゃな?」

「はい。すみませんが、もう少し休ませてもらいます。」

「ええ、ごゆっくりなさって。」


 みなが外へ出ていき、改めてあると向き合ったティグ。

「兄さん、大丈夫?」

アルはティグの手を引き、自分がいるところのすぐそばにあるベッドへ座るよう促した。

「ああ、大丈夫だ。もう静かにしているよ。」

素直に腰掛けたティグは、ため息を飲み込み、深呼吸をした。

「そっか…よかった。」


「それよりアルは、本当に大丈夫なのか?」

一息ついてからティグがアルへ向き直り、訊ねる。

「うん…魔王が、記憶を送ってきたんだ。」


アルは、ティグの意識が一瞬飛んでいたものと考えていた。

「ああ、そうみたいだな。俺の記憶も、流れただろう?」

「…うん。意識あったんだね。」

「ああ、完全に支配するほどの力はないさ。さっきは俺も油断していたから。」


ティグはアルの手を握り。

「もう、こんなことはないから。」

と、至極柔らかく告げた。


元より、アルは自分自身が白色亜種。

他のトラの獣人とは違う見た目をしている。

だが、産まれてこのかたコンプレックスと感じることはなかった。


綺麗な毛色ね。綺麗な瞳ね。

そう言われ続けたアルは、他にはいない自分だけの毛色と瞳を誇らしくすら感じている。


他と違うことで周囲の者が否定的なことを言わない環境にいると、コンプレックスと言う概念すら存在しないのかもしれない。

差別が当たり前に存在する世界では、他と違う事を恐れる。

それこそがコンプレックスの発生源なのかもしれない。

思案しながらも、ティグはアルの様子を伺っていた。


一瞬で膨大な記憶が脳に流れこめば、混乱するだろう。

意識を保てたのが、奇跡ではないか?


何よりも、記憶の内容があまりにも凄惨だ。

ティグの記憶には戦争や人種差別の記憶がある。

魔王の記憶には、魔族差別の記憶があった。


ティグ自身、魔王と同居しながら、魔王の古い記憶には接してこなかった。

大人しくしているのだから、そのままで良いと思っていた。

今後は魔王とじっくり話す必要がありそうだ、とティグは感じていた。


 「まだ、整理がつかないだろう?」

話に聴くのと、イメージとして受け取るのでは全く印象が異なるだろう。

話を聞いてある程度は想像していた人の残酷な面。

全く想像もしていなかった凄惨な部分。


「整理はつかないし、全部を理解出来てはいないと思う。

だけど、さっき兄さんが怒ったのは当然だと思ってる。」

「…そうか。」

「ごめんなさい。」

「いいんだ。おれのほうこそ、きつく言って、悪かった。」


 そのあと、ここで暮らしている獣人の話を少ししてから、ティグとアルは揃って小屋の外へ出た。

もうすぐ日暮れだし、いつまでも外にいてもらうのは申し訳なかった。


 ティグが戸を開けるなり、エレナが駆け寄ってきた。

キツネが立ち上がり二足歩行しているような姿の子はフィン。

ふさふさのしっぽがゆらゆらと揺れている。

ここに来た時、最初にビルキル先生に駆け寄ろうとしたヴィリは、下半身のみが完全に動物のウサギで、上半身はまるきり人間だ。


 子供が全部で十一人。

改めて、キャルを含めて十二人であの狭い部屋に身を寄せ合い眠る様子を想像すると、ティグはせめて何かしたいと強く思った。


ビルキル先生に確認したところ、この場所には誰も来ないからどこをどうしても構わないだろうと言う話だったし、いざとなれば元に戻すことも可能だ。

そこで、小屋の奥にある洞窟の一部に家を建てることにした。


土魔法で、基礎と外壁を洞窟の壁面に合わせて作る。

自然な凹凸はそのまま生かすように、敢えて何もしない。


太陽光を取り込めるよう、洞窟の天井に穴をあけ、そこに魔法で作り出したガラスの天窓をはめ込む。

最上階である四階部分が洞窟の天井に沿うように調整して、サンルームにした。


安全かつ遊び心をもって、三、四階の間には螺旋階段の他に、四階から三階への滑り台を設置した。

更に風魔法で生み出せる植物を使い、四階壁面に木を這わせ、登って遊べるようにする。

落下防止のネットは葉っぱで造った。


一階には皆が揃って広々と食事が出来るリビングと、数人で作業できるキッチンを作り上げた。

そして、それぞれが個室で眠れ、なおかつビルキル先生が泊まれるよう寝室は全部で十五部屋。

一階に三部屋、二階、三階に六部屋ずつだ。

各階にトイレを設置し、風呂は四階意外全てに設置した。


あっという間の出来事に、ビルキル先生を含めた全員が驚嘆していた。

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