16. ずいぶん南側を通るんだな
なにかが腐ったようなひどい臭いが倉庫内には充満していた。火薬に使われる硫黄の臭いだ。
その臭いの中に、火薬を詰めた樽が並んでいる。
「監査局のレオン・スタンフィールドだ。あなたが火薬庫監督官のベルジェ准尉か?」
「ええ、私です。お待ちしていました、スタンフィールド監査補佐官殿」
第三軍需補給局の第一倉庫、通称火薬庫。そこでレオンは、臭いに耐えつつ三十代後半の男と向き合っていた。
男はいかにも叩き上げと言った風情で、ロバートの部下ということに納得のいく貫禄がある。
二十近く歳上になるだろうか。明らかに経験豊富な相手だ。レオン個人としては敬意があるが、職務としては
それに、火薬だ。監査局は火薬の密売を追っている最中だ。しかも、密売の疑いがあろうことかレベッカにかけられている。
これが密売と関係あるかはわからないが、監査局としても、レオン個人としても看過できない事項だ。
「東部軍営から、軍事演習の際に火薬の不発が相次いだと品質疑義報告が届いたはずだ」
「届いております。調査にいらっしゃると思いましたので、資料をまとめてあります」
「助かる」
ベルジェが近くに設置されていた台の方へレオンを案内する。そこには、数冊の冊子が置いてあった。
冊子は、火薬の帳簿と伝票、検品庫から借りてきたらしい検収記録のようだ。さらには、火薬を運んだ軍とクラウス商団の運搬記録もある。
「まずは帳簿から見よう。品質不良のあった火薬は、第三軍需補給局から六月三日に搬出されたものだと報告書にあった。間違いないか」
「見ましょう……あぁ、これですね」
開いたページをベルジェが指し示す。
「五月一九日、第三軍需補給局第一倉庫に納品記録あり。六月三日搬出。よし、この納品伝票を」
「はい」
ベルジェの無骨な指が伝票の束をめくる。
「こちらが納品伝票です」
確かに、五月一九日納品で間違いない。念の為に他の伝票もめくっていくが、不審なものは見当たらない。
次に示されたのは検収記録だ。検品も納品と同日の五月一九日で、そこにもしっかりと検品済の記録が残っている。
「運搬記録を見よう」
「はい、ではこちらを」
ベルジェが、まず軍側の運搬記録の該当箇所を開く。
そこには、火薬運搬の詳細な記録がされている。火薬を六月三日の午前中に搬出。南へ進路を取り、中継地点の商業都市アルジャントンへと向かっている。
途中で一泊し、さらに南下。そしてアルジャントンに入り、クラウス商団と合流。そこで荷を引き渡し、護衛を残して軍本隊は王都へと引き返している。
「ずいぶん南側を通るんだな」
「クラウス商団側の運搬ルートが変わったようですね」
そう言いながら、ベルジェがクラウス商団の運搬記録を開く。
「そうか。運搬に支障がないなら構わないが……」
軍需品の補給は、国お抱えの商団などに一部が委託されている。運搬まで兵が全てやれればいいが、それでは人がいくらいても足りない。
その代わりに、運搬ルートは商団側にある程度の裁量が認められている。商団は自分たちの商品を運ぶ運搬ルートで、商品と同時に軍需品を運ぶ。そうする事で、収入を得ながら商品の輸送が出来るのだ。
クラウス商団はアルマール伯爵家が経営する名門商団。その特権で、火薬の運搬を一任されている。
「暴風雨に遭遇、延泊……かなり酷かったんだな」
品質疑義報告に基づき、監査官がクラウス商団の団員達への聞き取りも行っている。
その聞き取り報告によると、当該火薬の輸送中暴風雨に合い、幌馬車の中にも雨が降り込んだという事だった。
暴風の勢いで何かがぶつかったり、火薬樽が揺れたりして封印がゆるんだ可能性は大いにある。
「資料上問題は見当たらないな。倉庫での保管はどうなっていた?」
「火薬ですので、厳重に封印しておりました。もちろん、封印に異常がないかの確認は毎日行われています。異常の報告は上がっておりません」
「ふむ……」
「品質疑義報告には、天候の影響も考えうるとの注釈もございましたが?」
「そう、だな……」
その線が最も濃厚だろう。火薬の密売とは関係がなさそうだ。
「これはついでだが、現在の在庫を念の為に確認したい。今ここにある資料で確認できるな?」
「ええ、もちろんです」
胸を張ってベルジェが肯首した。自信があるようだ。
「椅子を貸してもらえるか? 記録を精査した後に在庫と封印をチェックする」
「資料の監査なら、管理部で行われると良いでしょう。私どもは慣れていますが、この臭いだ。体調を崩す者もいますので」
「そうか。ならそうさせてもらおう」
レオンが分厚い帳簿を持つと、その他の伝票や運搬記録をベルジェが持った。
大股で管理部へ向かうベルジェの背を追い、ため息を付く。おそらく精査したところでなにも見つからないだろう。
なにも見つからないのが普通だ。そうでなければならない。だからこそ焦りが生まれる。
密売の手がかりはまだつかめないままだ。
(俺が必ず、レベッカ嬢の潔白を証明してみせる————)
* * *
「そうか、ご苦労だったな」
椅子に深く腰掛けたスティーブが、調査を終えて報告に赴いたレオンを労った。
「まあ、雨で湿気を帯びてしまったというのが一番あり得る事態だな」
「そうですね、かなり激しい雨風だったようです」
「ふむ。この件は白だな」
スティーブがそう言いつつ、机の引き出しから何かを取り出した。立ち上がり、机を回ってレオンへと歩み寄って来る。
その手に握られていたのは、水色の封筒だった。色紙を使えるのは、明らかに裕福層だ。
「レオン」
「はい?」
スティーブがレオンを階級や役職を付けずに呼ぶ時は、職務外の時だ。
「君宛だ」
差し出された封筒の表書きには、確かに監査局所属レオン・スタンフィールド宛と記されている。
そして、その文字。
慌てて封筒を受け取り、開封する。
若干ずれて折り畳まれた便箋を開き、二度その全文に目を通す。
そして、便箋をスティーブへと差し出した。
「レベッカ・アヴァロ嬢からです」
「ふむ。私が読んでも良いものか?」
「はい。スティーブ殿のお力が必要です」
スティーブが便箋を受け取り、その内容に目を通した。なるほど、とひとりごちる。
「ヴィクター・クラウス卿は仕事が早いな」
頷き、レオンへと便箋を戻す。
「スタンフィールド監査補佐官。君はこれに返事を。それから、面会申請書を書いて提出すれば本日の業務は終了とする」
「はっ、了解しました」
敬礼したレオンに、凄みの増した表情でスティーブが頷く。
「ここへ連れて来るんだ。出来るだけ早くな」
* * *
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