レベッカの商人ライフ奮闘記〜婚約破棄から始まる恋と靴と陰謀の物語〜

はな

プロローグ 疑惑の種

「監査官のスティーブ・ブライアンだ。ラグス・マディソンだな?」


 スティーブは名乗り、無言で机に資料を並べた。

 向こう側に座らせられている四十代ほどのやせた男は、汗ばんだ額に手を当てている。その指がわずかに震えていた。

 窓もなく薄暗い地下室。机一つと椅子一つしかないそこには、明らかな閉塞感が横たわっている。


「貴殿の密売容疑について取り調べを行う」


 静かに告げたスティーブに、ラグスはぶるっと身を縮こまらせた。

 スティーブの外見から、年齢的には全盛期とは言えないとわかるはずだ。それでもスティーブは、大柄で見るからに体格も良く武人然としている。そこから発せられる威圧感に、ラグスは顔を上げられないでいる様子だ。


「これは貴殿の供述書だ。間違いないな?」

「え、ええ……」


 小さく頷いたラグスの視線の先を指で示す。


「改めて問おう。なぜこの名を出した」


 スティーブの静かな声に、ラグスの目が泳いだ。


「嘘を言ってるわけじゃねえ、本当なんだ。俺をアヴァロ商団に紹介したのは、あの嬢ちゃんだ。市場でもよく見かける顔で……」


 二人は市場でよく言葉を交わしていた。そこで、ラグスの扱う絹を仕入れたいと話していた目撃証言はすでに取れている。

 嘘を言っているわけではなさそうだ。


「だが、お前の記録にはアヴァロ商団との正規の取引はない」

「そうだ、アヴァロとの契約はこれからだった……契約出来てれば……アヴァロ商団を介して荷を運べるはずだったんだ」

「それはアヴァロ商団の中に密売人がいるということか? たとえば、そのお嬢ちゃんとか」

「さあ、そこまでは知らねえ」


 机を中心にして部屋の中を歩きながら、ラグスの様子を観察する。

 いかにも小心そうな小男だ。密売をこの男が首謀してというのは見るからに想像がつかない。抜き打ちとはいえ、検問で簡単に引っかかったのも密売にしては杜撰だ。

 裏で糸を引いている何者かがいる。


「とにかく、アヴァロ商団と契約するように持ち込む。そういう指示だった」


 やはり指示役がいるようだ。


「俺はただ、言われた通りにしただけだ。場所を指定されて荷物を運んで、金を受け取って……そ、それだけだ」


 嘘を言っているようには見えない。

 ラグスの言う荷物の中身は火薬だった。火薬は国が管理しているため、一般の流通に許可なく乗ることはない。ラグスはその火薬を許可なく運んでいた。明らかな密売だ。

 密売品が国管理の火薬であることから、指示役は軍内部にいる可能性が高い。ラグスはその末端といったところだろう。

 これが本当なら、軍部の汚職事件としては最悪だ。


「言われた通りとは、誰に?」


 沈黙。

 ラグスは大きく苦しそうな息を吐き、少しだけ視線を上げた。なにやら苦悩するかのように口を引き結ぶ。


「……言えねぇな」

「言えば、減刑の可能性もある」


 とたんに、ラグスが短く笑った。自嘲めいたその乾いた笑いが、次の瞬間には怒りに変わる。

 小心の奥に隠れていたものがあふれ、瞳が見開かれた。


「なにが減刑だ! お前監査官だろ⁉︎ お前たちが無能なせいで……ッ」

「質問を変えよう。お前に指示を出した者は軍の関係者か?」


 ラグスははっとしたように視線を逸らした。それが答えのようなものだ。

 やはり、軍部に密売を斡旋している者がいる————。

 そして、そいつは今まで監査局の監査をかい潜っていたのだ。無能と言われても返す言葉もない。


「俺の妻子はすごいお屋敷に招待されている。今頃接待されて夢見心地だろうよ。わかるだろ?」

「……人質に取られたか」


 卑劣な手段だ。妻子を手の中に置き、逆らったらいつでも危害を加えられると脅されたのだろう。

 ラグスが再び下を向く。その瞳には、明らかな怯えの色がうかがえた。


「検挙時に所持していた暗号文の解読法は?」


 机の上の資料を指差す。

 それは、ラグスが所持していた暗号文の写しだった。解読法はラグスが口を割らず、いまだにつかめていないままだ。

 これが指示役とを繋ぐなんらかの証拠であることは想像に難くない。


「もうこれ以上はなにも喋れねぇ……」

「いいだろう」


 ラグスの取り調べは継続するだろうが、監査局としてやるべき事は決まった。

 ラグスを残し、部屋を出る。外で待機していた憲兵と挨拶を交わし交代する。


(厄介だな。あいつには外れてもらうしかない)


 脳裏に浮かんだ真っ直ぐな瞳に、少しだけスティーブの胸が痛んだ。

 しかしそれも束の間。自分を鼓舞するように背筋を伸ばし、スティーブは地上へと上がった。


   * * *


 一礼をして入室してきた部下を、スティーブは執務机で出迎えた。すっと背筋を伸ばし立つその姿に目を細める。

 真っ直ぐなその瞳は、かつてスティーブが共に戦った男の姿を彷彿とさせてくる。それは彼と同じ赤茶の髪や瞳などの顔形というよりは、立ち振る舞いの方に強く出ている気がした。

 当時はまだ幼い子供だったが、今や十九歳の士官だ。時が経つのは早い。


「ご用でしょうか」

「ああ。実は、先日火薬の密売人が摘発された」

「⁉︎ 火薬という事はつまり……」

「そうだ、軍内部に手引きしている者がいる可能性が高い」


 部下——レオン・スタンフィールド大尉が眉根に力を入れた。

 レオンはスティーブの直属の部下で、監査補佐官だ。監査業務の実働はレオンをはじめとした補佐官が担っている。


「分かりました、関係各所に————」

「いや、待て」


 すぐにでも飛び出して行きそうなレオンを手で制し、スティーブは深く息を吐く。

 彼には酷な通告だが、言わないわけにはいかない。


「スタンフィールド監査補佐官。悪いが、君はこの件から外れてもらう」


 レオンは表情を変えない。ただ無言でスティーブを見つめて来る。

 その様子は冷静で、監査局に引き抜いてきたスティーブの目に狂いがなかったことを感じさせるものだった。


「理由を、お聞きしても?」

「感情が入るからだ。お前は冷静で優秀な補佐官だが、人間だ。監査は感情抜きでやらなければいけない。まして————」


 スティーブの口元がわずかに苦く歪む。

 監査官として着任してから、軍内部の仲間の粗を探し、詰める日々を過ごして来た。それでも、これからレオンに告げることよりはずっとましだ。


「対象が、身内となれば話は別だ」


 机の引き出しを開け、一枚の資料を取り出す。レオンに差し出すと、彼はなんの躊躇もなくそれを受け取って内容に目を通した。

 そして、今度こそはっきりと顔色を変えた。声にならない声が彼の喉を震わせ、息がもれる。


「証拠は密売人の証言のみだ。彼女がただ利用されている可能性も否定できない。だが、嫌疑不十分だと見逃すことも出来ない」


 軍内部に指示役がいるのなら、不用意な拘束は逃げるタイミングを知らせ逆効果になる恐れもある。

 今はまだ泳がせて、指示役との接触を待つ方が得策だ。


「知っての通り、監査局規定では身内の調査には携われない。君たちは正式に婚約を交わしている。もう身内だと言っていい関係だ。監査局規定は適応される」


 そのままどれくらいの時間か経っただろう。資料から顔を上げたレオンは、スティーブを真っ直ぐに見つめた。その精悍な顔つきは、やや青ざめているものの、なにかを決意した表情をしている。

 その口元が一度苦しげに歪んだと思うと、次の瞬間には滑らかに、毅然と言葉を紡ぎ出す。


「ご心配には及びません。私は、彼女との関係悪化により関係を解消しようとしていたところでした」

「なにを言っている?」


 そんなわけがないことくらいスティーブにもわかっている。レオンがその日を心待ちにしていたことも。

 堅物で融通が利かないと揶揄されがちな真面目一辺倒のレオン。そのレオンが唯一柔らかな表情をするのが、彼女の話をする時なのだ。


「私は、彼女を擁護するような感情は持っていません。むしろ、我が家の名誉のためにも罪を暴かなければならない」

「本気か?」

「ええ。平民でありながら我が子爵家と縁を結んだのも、なにかの策略かもしれません。許されざることです」


 強く言い切るその声は、明らかに虚勢だった。それがわかるくらいには顔色が優れない。


「それに、我が子爵家を利用できないと判断すればボロを出すやもしれません。彼女は貴族になりたがっていた。おりを見て揺さぶればあるいは」

「身を切る選択だな」

「切る身は持ち合わせておりません。そもそもがもう破綻している関係です」

「……もういい」


 これ以上をレオンの口から聞くのは、スティーブの方が耐えられそうになかった。

 スティーブにとって、レオンも捜査上に浮上したお嬢さんも、それなりに特別な感情を持つ人物だ。

 二人の幸せを願っていた。


(私情を抜かなければならないのは私の方だな……)


 レオンの決断を無にしてはならない。自分も、監査官として職務を遂行しよう。


「……言っておくが、証拠が出れば誰であろうと容赦はしない。いいな?」


 レオンが頷いた。その表情には決意の色が浮かび、瞳には光が灯っている。

 信じているのだ。


「ブライアン大佐。私は監査補佐官として職務を遂行します」

「わかった。追って指示を出す。下がれ」

「はい」


 一礼し、レオンが退出していく。

 閉ざされた重い扉の余韻が、否応なく室内の静寂を伝えて来る。

 机に両膝を置き、スティーブは何度目かわからない息を吐いた。


「あんな顔をするようになったんだな……」


 あれは守りたいもののある男の目だ。かつて、騎士団の副隊長として、そんな目をした男とスティーブは共に戦った。

 そう親しくしていたわけではない。それでも、彼の瞳の色は今でも忘れることが出来ない。


「彼も……お前の伯父も、同じ目をしていたよ、レオン……」


 十五年前、簒奪された王座を取り戻すために戦い、王を庇って命を落とした男。

 守りたいものを護るために命を賭して走り抜いた男。

 その男の甥は今、愛する女のために魂をかけて職務に挑もうとしているのだ。


「なら見せてもらおう、お前の信念を」


 そっと自分の右肩を撫でる。四年前に起こったシヴァ公国との戦いで負傷し、今でも関節が少し不自由だ。そのために、王宮騎士団総団長を退任した。

 今のスティーブが戦うのは、国家の秩序を乱す者や事だ。この職務も、国を護るかなめだという自覚がある。


「私も腹を括ろう。たとえ相手がレベッカ・アヴァロだとしても——黒なら私が手を下す」


 剣を握らずとも、護れるものはある。スティーブにとって護るものは、この国だ。

 相手が誰であろうと、それだけは譲れない。その思いを、スティーブは改めて胸に刻むのだった。

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