第32話:決定的な一撃

 黒瀬は目を細め、悠斗を見据えた。戦況を見極める冷静な瞳。その足元の地面が、じわりと沈み込み始める。


「もう終わりだ」


 低く響く声と共に、重力が一気に増幅した。


 地面が波のようにうねりながら沈降する。黒瀬の足元を中心に、周囲の大地が強制的に沈み込み、深いクレーターが形成されていく。悠斗はその場から跳躍しようとしたが、足元が重力に捕らわれ、思うように動けない。


「逃げられると思うな」


 黒瀬の手が微かに動くと、さらに重力が増し、悠斗の体が軋むような圧力に包まれた。まるで巨大な見えない手が彼を押しつぶそうとしているかのようだ。


“まずい、このままでは圧殺される…!”


 悠斗は必死に抵抗しながら、ストックしていたエネルギーを確認した。自身の能力──ベクトル操作を駆使し、重力の影響を反転させれば、一瞬だけ黒瀬の支配する重力場を打ち消せるかもしれない。


「やるしかない…!」


 悠斗はベクトル操作の力を使い、黒瀬の重力場に干渉する。自身の体にかかる重力を瞬間的にゼロにし、さらに地面の重力ベクトルを上向きに操作した。


 次の瞬間、悠斗の体はまるで弾かれたように宙へと浮かび上がる。地面の圧力が解放され、局地的に黒瀬の重力場が揺らいだ。


 黒瀬の目がわずかに細められる。


「重力の操作を相殺したか…ならば──」


 黒瀬は腕を振り上げ、さらに重力を一点に収束させようとする。悠斗の動きを封じるべく、即座に局地的な重力の偏りを作り出した。


 しかし、悠斗はすでに次の一手を打っていた。


「ここだ──!」


 無重力状態の中でベクトルを操作し、一気に加速する。空気を裂く衝撃音とともに、黒瀬との距離が瞬時に詰まった。重力の抑圧を振り切り、全身を研ぎ澄ませる。


 黒瀬は咄嗟に防御の体勢を取るが、悠斗はそれを見越していた。彼の狙いは攻撃ではなく、接触だった。


「終わらせる!」


「これで終わりだ…!」


 黒瀬が反応するよりも早く、悠斗は黒瀬の腕を掴んだ。その瞬間、悠斗の手のひらから急速に熱が奪われていく。黒瀬の体温が急激に低下し、筋肉の動きが鈍る。


「…なっ…」


 黒瀬の体がわずかに震える。悠斗はさらにベクトル操作を駆使し、黒瀬の熱エネルギーを極限まで奪い取る。彼の皮膚が白く変色し、口から小さく白い息が漏れた。


 だが、黒瀬も最後の抵抗を試みる。わずかに残った力で重力場を反転させ、悠斗を押し返そうとする。しかし、その瞬間にはすでに体温の低下が限界に達していた。


「──…っ!」


 黒瀬の膝が崩れ落ちる。


 黒瀬の体が硬直し、足元の地面に膝をつく。呼吸は浅く、寒さに震えながら悠斗を見上げた。


「……なるほど」


 わずかに苦笑しながら、黒瀬は膝をついた。彼の作り上げた戦場は、悠斗の能力によって完全に崩壊していた。


「俺の負け、か」


 悠斗は荒い息をつきながら、黒瀬を見下ろした。


「重力は強い…でも、環境を操る力があれば、それを崩せる」


 静寂が訪れる。


 風が吹き抜け、荒れた大地に細かな砂埃が舞う。悠斗の額から汗が流れ落ち、それが地面に落ちて蒸発した。


 黒瀬は一瞬だけ空を見上げ、そして目を閉じた。疲労と敗北の重みが彼の体を押し沈める。


 勝者と敗者、その差はわずかだった。しかし、この戦いの結末は、悠斗の勝利として刻まれた。

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