第05話 後輩
都内のビル群。夕焼けを反射するガラス窓の中でスーツの男が一人、大きな欠伸と共にデスクへと顔をつっ伏せた。
「ふぁ~あ、マジで眠むい。流石に土日両方とも徹夜で原稿作成はやりすぎたな」
「あれ、高蔵寺先輩サボりっすか? おぉう、なんか顔が大変なことになってるっすよ」
ふと聞こえたダウナー声に顔を上げると、銀色のウルフカットが視界に入り込む。デスク横には心配そうな顔でこちらを覗き込む一人の女性が立っていた。
彼女は
「んーちょっとね。土日徹夜で寝てなくってさ、もう帰ろうかな急ぎの仕事ないし」
「まじっすか。確かにけっこう遅くまで起きてるなとは思ってたっすけど、まさか徹夜とは......(くっ、もっと夜更かしすればよかった)」
「ん? なんて? あ、ごめん。もしかしてうるさかった?」
「いえいえ全然。アタシが勝手に聞き耳──っじゃなくて、ベランダの明かりが見えてただけっすから、先輩は何も気にしないで自由に生活して下さいっす」
「? お、おう」
うーむ……。
よく考えるとあのマンション、駅に近く、安い。という圧倒的なメリットはあるものの……男女分け隔てなく社員がぶち込まれるというのは時代錯誤な気がしなくはない。俺みたいな陰キャオタクが隣人になってしまうこともあるのだから、女性社員からしてみればきっと良い気はしないだろう。
「もし部屋変わりたいとかあったら言ってね、俺もかけあうから」
そう告げると、ルビーのような赤い瞳を宿す切れ長の目がまんまると見開かれた。
「えっ⁉︎ な、なんでっすか⁉︎ ……急に」
「いや、俺みたいなのが隣だと嫌かなーって」
「そ、そんなわけないじゃないっすか‼︎ もしかしてアタシ……なんかご迷惑かけたっすか?」
「ううん全然。むしろ俺は杁ヶ池が隣だと助かるんだけどさ」
「へっ?! それってどういう意味 ──」
「在宅勤務の時、ネットが不調でも打ち合わせできるじゃん?」
「……っすよねー……」
デスクにぐっと身をのりだしたかと思うと、肘の関節が外れたかようにカクッと体勢を崩した杁ヶ池。
「? まぁ特に不満がないなら良かった」
「当たり前っす(先輩がいるからあの部屋にしたんすから。つかなんでこの人、気づかないんすか? こんだけ……)」
「ん?」
「あ、いえ……あ、アタシはなんの不満もないっすから。先輩はほら、早く帰って寝てください」
とりあえずは一安心。先輩としてまだなんとか信頼されているようだ。
とはいえ油断はできない……ボソボソと何かをつぶやいた彼女が、こちらへ睨みをきかせていた気がする。今のは建前で、本音は別の可能性もある。
気をつけないとな……寝不足でなにかやらかす前に退散するとしよう。
「じゃあ俺はお言葉に甘えて帰ろうかな」
「お疲れ様っす。あー、でも先輩帰るならどうしようかな」
ぱさっ。
十数枚の書類の束を抱えた
「ん、どした?」
「えっと。明日設計とのレビューなんすけど、ちょっと先輩にもダブルチェックしてもらいたかったなーって」
「あーそれくらいなら全然いいよ、どれ?」
「えっ、でも先輩もう帰ったほうが.....まじで死にそうっすよ顔」
「大丈夫、大丈夫。小型プリンターのやつだよね? 気にしないで見せて」
「先輩神様すぎっ......。これなんすけど」
ウチの会社は業界でまぁまぁ大手の精密機器製造メーカーで、俺の所属している部署は、設計が書いた図面を3Dモデル化するという仕事を担当している。平面情報を立体化させ、実際に物を作った時に細かいパーツ同士が干渉しないかを事前に3Dモデルでシミュレーションする。ってのが主な業務内容だ。
「十枚あって。一応チェックしたんすけど、どうも自信が」
「オッケーオッケー、任せて」
「ちょっとソフト立ち上げるっすね」
「あー、オプションパーツか。この程度なら……いけるな」
全てを眺め終わり、すぅーっと深い呼吸を一つ。
脳へと酸素を送り込む。
〝演算開始〟
そう頭のスイッチを切り替えた瞬間。紙の上にあった黒い線の束たちが、光のワイヤーフレームのように宙へと浮かび上がった。
シャフトの寸法が15cmで、公差が±0.3mm。緩いな、桁合ってる? フランジがここで、ボルト止めが6カ所 ──── 次、パラメータ。締結力、回転摩擦、応力分布は ──── ふむふむ。
角度、座標、寸法......線と点が連鎖的に結合し、紙面にあった二次元の情報が脳内で三次元構造へと昇華していく。
はい完成。
ものの数秒で、俺だけの眼前には計測機器のパーツがホログラムのように形を成していた。
あとはX軸回して ──── えーっと、このネジは干渉。こいつとこいつ、やっぱ寸法間違ってるっぽいな。
想像で作りだしたモデルをくるくると回転させながら詳細を確認していった結果、合計一分足らずで俺は全ての図面をチェックし終えた。
「こことここ。あとここが多分干渉するから、一応確認してみて」
「は? えっ? いやまだソフト立ち上がってないんすけど......」
「あー暗算。頭の中でチェックしてみたけど、一応ソフトでもちゃんと見るから安心して」
「ん?ん?ん? 先輩?」
三段階で首が傾いていく
あれ……これやるの初めてだっけか?
「この仕事してるとさぁ、やっちゃうんだよね。職業病ってやつ?」
「は、え? ちょっと意味が……」
「なんか空間把握能力? みたいなのが人より高いらしくてさ」
「いや、そういう次元じゃない気が......専用のソフト使ってやる作業っすよこれ」
「ははっ、まぁ
「いやいや……って。まじで先輩の言ったとこ当たってますね。ちょっと怖いんすけど、まじドン引きっす」
「チェックしたのに酷くない!?」
もちろん
やっぱこれってキモイ感じ?
まぁたしかにちょっとオタクっぽいか。
「くくっ、冗談っすよ。てか先輩がヴァペックス上手いのってその才能が影響してるんじゃないんすか?」
「あーそれはあるかも、ゲームって空間把握能力が大事らしいから。この職場の人間全員上手かったりするかもな……って、
「あっ……いやっ……ほら、あれっす。先輩の同期さんが言ってたっすよ? 確か」
「同期? 誰だ? 豊田とか?」
「そそそっ、そうっす。豊田さんが言ってました」
んー? 豊田って俺がヴァペやってるって知ってたっけな?
まぁいいか。
「そっ、そうだ。アタシも最近始めたんすよねー、ヴァペックス」
「まじ? いいねぇ、面白いよねあのゲーム」
「はい。その……よ、良かったら先輩今度教えてくれないっすかー……? なんて」
「あぁもちろん、俺で良かったら全然。なんでも聞いてよ」
「約束っすよ? じゃあ今度の休みにで────」
「あっそうだ!」
「も……ん? どうしたんすか?」
「そういえば
「えっと何すか?」
「俺この日と、この日、休むから。すまんけどよろしく」
カレンダーの土日をマジックで引いた斜線で挟む。
「了解っす。四連休ってことは、どこか行くんすか?」
「あーうん、そんな感じ」
「もしかして……。彼女さんとかっすか……?」
「はいっ!? いや、だから俺彼女いないって何度言えば」
「ふーん。マジで不思議なんすよねぇ......(先輩、仕事もできるし、優しいし、顔も全然……むしろ……)嘘ついてないっすか?」
途中、
「ついてねーよ ──── うん、ソフトで見直しても他は大丈夫そうだな。じゃー俺はもう帰るわ、明日のレビュー頑張れよ」
「(ま、本当は全部リサーチ済っすけどね……)はい、おつかれ様っす。本当ありがとうございました」
──────
────
──
「彼女ねぇ……」
帰宅途中、俺は
フューたん以外の女の子で?
「ないな、ないない。フューたん以外と付き合うなど、もっての他だろ」
などと口に出してはみたが、この発言はあまりにもおこがましい気がした。
そもそも〝Vtuberと付き合う〟というのがファンの妄想の域を出ないあまりにキモい夢話なのだ。いちファンが彼女達と出会うきっかけなどあるはずがなく…… つまり、俺に彼女は必要な ──── いや、できないということで議論終了である。
「はい、解散……いや、だが待てよ!?」
ふと脳裏を過ったのは例の推しトーク券だった。
あれがあれば五分間だけフューたんと話すことができるわけだが、この五分という時間は俺にとって可能性の塊に思えた。
俺がフューたんの虜になるまでに要した時間は……初めて彼女を見た瞬間から三秒もかからなかっただろう。
ということはだ。
五分というのはその百倍の時間ということになる。
「ワンチャンどころかヒャクチャンあるな、この五分をものにできればフューたんと親密な関係になれる可能性がヒャクチャンある。あるな......あるある......あるぞこれは‼」
ガサッ‼
俺は鞄から、徹夜で作りだした原稿を取りだした。
「完璧なトークデッキだよな……」
全ての生物に通用するであろう天気デッキから始まり、デビュー配信に触れ、最近フューたんのハマっているカフェの話を挟み、日ごろの感謝を伝える……。
よしよしよし。
「ふっ、ふふ……フューたん……ははは」
夕下がりのオフィス街、ビルのガラスに反射する黒髪の男が一人。
その顔にはニヤニヤと不気味な笑みが浮かんでいた。
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