第01話 ガチ恋勢


 久々の全力疾走は鉄の味がした。


「やばいやばいやばい、もう始まるって‼ なんでよりによって今日残業なんだよ‼ はぁ……はぁ……」


 マンション一階のエントランス。いくらボタンを連打しても一向に下りてくる気配のないエレベーターを見限り、三段飛ばしで階段を駆け上がる。

 四回のターンを経て悲鳴を上げた心臓と、肺と、ふくらはぎ達を心配したのか、身体は冷たいコンクリートの階段へと倒れこんだ。


「ぜぇ……はぁ……ごふっ。あと少し……踏ん張れ……うっぷ」


 手すりを握った左腕で強引に身体を引き上げ、廊下の端までラスト10mをフラつきながらも駆け抜ける。

 玄関を開ける前から脱ぎ始めていた靴を放り、転がり込んだマンションの一室。その1DKの暗い部屋を、32インチのデュアルディスプレイがぼやりと照らした。


「はぁ……はぁ。三分前、ギリ間に合った。げっ、ログアウトされてんじゃん」


 カチッカチカチ。と響く乾いたマウスのクリック音に合わせ、ブラウザのアカウント欄に表示された一つの名前 ──── 『高蔵寺こうぞうじ 十理とおり』。


「だぁっくそっ紛らわしいな、もう本名アカは消すか」


 その下1センチに光る『とりぞう』と書かれた可愛いヒヨコのアイコンを再選択し、流れるようなマウス操作で開いた動画配信サイト『ヴァーチューブ』。登録チャンネル欄のトップ画面には、ポツンとサムネイルがひとつ、ミディアムボブカットの金髪白ギャルが近未来的な銃をこちらに向けて構えていた。


「か……可愛すぎる……。おぉ、もう三千人も待機してんじゃん」


 カチッ ────。っと一切の迷いなく押し込んだマウスの左ボタンに合わせ、そのサムネイルは深く沈み込み、暗転しながら画面いっぱいへと広がった。


 ──────

 ────

 ──


〔おぃーっす、リスナーのみんなコンフュージョン☆〕


「キタキタキター!!」


 先ほどまで全身に重くのしかかっていた仕事の疲労や全力疾走のダメージは一瞬で吹き飛び、爆発するテンションに合わせて顔の口角が吊り上がる。


「ぐへへ」


 良い年した大人の男がPCの画面を見ながらニヤついている。なんて、傍からみたらキモイのは分かっている。分かってはいるが弁解の余地は少しだけ、いや多いにあるだろう。


〔ヴァー学所属、オタクに優しいVギャルの~八重樫フューで~す☆〕


 業界最大手の事務所 『ヴァーチャ学園』に所属している大人気Vtuberアイドル、『八重樫やえがしフュー』たんの配信が始まったのだ。このニヤケ顔は熱いヤカンに触った手が咄嗟に離れるかの如く【kawaii】を目の当たりにした生物の本能的反応……そう〝反射〟なのである。それをキモイだという言葉で形容されるのは心外甚だしい。


〔みんないつも配信みに来てくれてありがとね☆ にしし〕


 明るく澄んだ声が二万九千円のイヤホンを通して鼓膜を刺激し、サファイヤのように輝く青色の瞳からバチコーンっと放たれたウィンクは、200Hzという滑らかな動きで俺のハートに深々と突き刺さる。


「おっふ、まったくもう今日も可愛すぎるよフューたん。よし、俺も挨拶コメを……コンフュージョン☆っと」タンッ。


: コンフュージョン☆

: 時間通り配信できて偉い!!

: コンフュージョン☆

: コンフュージョン☆

: ──────

: ────

: ──


 それはわずか一瞬の出来事で、ヴァーチューブへと書き込んだ俺の挨拶は画面の下から上へ激流のように流れていくコメントの中へと消えていった。


「全く追えん……。流石フューたん」


〔今日は金曜日だからアレだよっ。リスナーさん参加型のヴァペ配信〕


: キター!!

: 拙者今日のためにガチ練してたでござる

: フューたん俺がキャリーするよ

: 頼む頼む頼む頼む

: パスって何桁だっけ


「ふっ、まぁ落ち着けよぽまえら。ここは最古参パシリスの俺に譲ってもらうぜ」


〝パシリス〟というのはフューたんを推しているファンの総称で、ファンネームと呼ばれているものだ。ギャルにられるオタクくんナー……。ってな真の由来を知っているのは、おそらく彼女のデビュー初期から追っている古参くらいだろう。


 大盛り上がりなコメント欄を横目に眺めながら、静かな頷きみせる俺もまた当然初期から彼女を追っている古参パシリス一人で。ひよこの横に輝く星のマークは彼女を推しているファンの証……メンバーシップバッジである。青色に始まり、三年と六ヶ月の時を経て先月、虹色へと昇格したこのバッジを持っている者はそういまい。


〔さてさて、今日はどんなリスナーさんが来てくれるかなー☆〕


「まじで頼むぞ、今日こそはフューたんと一緒にヴァペらせてくれよ」


〔やっぱりヴァペックスの配信は人が多いね〜☆ そんでもってリスナー参加型だとコメもなかなか……オタクくん達、気合い入りすぎっしょ〕

 

 ヴァペックス ――― 三人一チームのバトルロワイヤル型FPSゲームで、通称ヴァペと呼ばれているこのゲームはフューたんのお気に入りである。特に毎週金曜日は、このヴァペのカジュアルマッチ配信が定番となっていた。


 そして、リスナー参加型というは配信者とリスナーが一緒にゲームをプレイする配信スタイルのこと……つまりこれから俺はゲーム内でフューたんのチームメイトになることを賭けて、現在配信を見ている三万人のリスナーとマッチング戦争を行うことになるわけだ。


「……こいっ」


 深呼吸を一つ。

 そして全神経を両目へと集中させていく。


〔はい、じゃあ部屋のパスワードはこれでーすっ〕


 まばたきすら許されない勝負の瞬間ときはきた。


《hoge85v0》


 画面中央に現れた八桁の英数字。


 目に飛び込んできたそれを網膜がキャッチするや否や、脳を経由せずに指先へ直接電気信号を流したといっても過言ではないスピードで俺はキーボードを叩き込んだ。


 タタタタタタタタ、ッタン!!


「どうだ!?」



《セッションは既に満席です》



「ぐっ。これでもダメか.......。ま、まぁまだ焦る時間じゃない」

 

 ヴァペの一試合は平均十五分程度。いつも二時間は配信してくれるフューたんなら、まだまだチャンスは十二分にあるだろう。


〔速っ⁉︎ えっと、ヌヌヌニンジャさん。八重樫やえがし弟さん。よろしくねー☆〕

「ふぅむ……」


 このように、マッチングした激運の持ち主はフューたんに名前を呼んでもらえるのだ……なんというご褒美だろうか。もしフューたんに『とり蔵さん』と呼んでもらえたのならば、興奮しすぎてきっと俺の血管はどこかはち切れるに違いない。


〔二人ともヴァー学だと誰推し~? まぁ八重樫やえがし弟さんは名前的にあーしか。ヌヌヌニンジャさんも、もちろんあーしだよねっ? ……って先週もいなかったっけヌヌヌニンジャさん〕


 そんなフューたんの問いに、ブンブンブンブンっと、頭がもげるんじゃないかという速度でゲーム内のキャラクター達が首を縦に振る。

 ヴァペックスにはゲーム内ボイスチャットの機能があるのだが、一部のヤバイリスナーからの荒し行為予防として、参加者はホストからボイスチャットを切られている。そのため、リスナーはゲーム内のエモート機能を使って配信者と簡易的なコミュニケーションをとるというのが暗黙の了解となっているわけだ。


〔あはっ。やっぱり☆ 二人ともあーし推しか、ありがとー!〕


「うん、可愛いが過ぎる……そんでもってこのヌヌヌニンジャってやつ、先週も入れてたのか。うらやま......いや、ズルいぞ。くそー!」


〔よーし、じゃあ行っちゃうぞー! マッチスタート〕


──────

────

──

 

「おい、ヌヌヌニンジャ‼︎ 違うだろそこはフューたんにシールド渡さないと」


 ダンッ‼︎


「だぁー‼︎ 八重樫やえがし弟。ポジションがマズイって‼︎ 安置読んでかないと詰むだろこれ」


 ダンッ‼︎


「バカバカ⁉︎ フューたん取り残されてんじゃん、死ぬ気で守れよアホー‼︎」


 ダンッ‼︎


〔わぁ、八重樫やえがし弟さん凄‼︎〕

〔ヌヌヌニンジャさん逃げて逃げてー‼︎ あはははっ。めっちゃウケる〕

〔え⁉︎ 二人共うまっ‼︎ カッコイイー‼︎〕


 ドゴッ‼︎‼︎


「くそっ……俺の方が……」


 試合が始まって十分弱。フューたんが他のリスナーを褒める度に腹の中に芽生えてくるドス黒い感情達を、俺は気合で抑えていた。

 右手付近、デスクの表面が少しひび割れているのはご愛敬である。


〔あー負けちゃったか、でも惜しかったね☆ は~い、じゃあ二人ともありがとー。次の人と交代してねー……ってあれ、部屋壊れちゃったかな? ちょっと立て直しまーす〕


「よし、ここだぞ。早くタイピングするだけじゃだめだ。考えるな......感じろ......」


〔次のパスワードはこれでーす〕

「うぉおおおおおお!!!!」


 タタタタタタタ、ッターン!!!!

 

 《セッションは既に満席です》


「くそがあああああ!!!!」


 ──────

 ────

 ──


〔今日はいっぱいリスナーさんと遊べてめちゃめちゃ楽しかったよっ。またやろうねー。じゃぁ、ここからはウルチャ読みの時間にしまーす〕


「終わった......。結局一戦も入れなかった......。かれこれ三年はやってくれているのに、未だに一回も入れないとは.......。神様......どうして......ん?」


 スポッ。という通知音と共にデスク上のスマホが光る。


「そうだ、俺が使う運はここじゃない。神様、どうか、どうかお願いします......さえ当たれば……もう俺はそれで……」


 スマホを握りしめ一人見上げた部屋の天井は暗く、ディスプレイのぼやけた光は鼠色に陰を落としどこか不穏な空気を漂わせていた。

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