寡婦のクローディアが幸せになるまで

招杜羅147

第1話:死が2人を分かつまで

「奥様! 大変でございます!」


普段作法に厳格な家令が、今日はノックもせず執務室に飛び込んできます。

エントランスからここまで走ってきたのでしょう。肩で息をしています。


「誰かヘンリーに水を! …呼吸を整えてからにしましょう。今喋っては体に毒だわ。

 …それは王宮からの封書ね?」

「…っはい。この封書の色、おそらくは…」


水の飲んで一息ついた家令はひどく青褪めています。老体に鞭打って走ってきたばかりが原因ではないでしょう。


「旦那様が戦死したのですね」


それは隣国との戦争に駆り出されていた夫・ミハイル様の訃報だったのです。



⌘ ⌘ ⌘



わたくしの名はクローディア・イェルニー。元はクローディア・ランヴェックと言うしがない子爵家の娘です。

冒頭であっさり亡くなってしまった夫はミハイル・イェルニーと申しまして、若き伯爵でございました。

イェルニー伯爵家は先代が大きな事業失敗をして、先代の命と共に多額の財産を失った家門でした。

お義母様は言わずもがな、旦那様も騎士団勤めで領地経営などは携わっていなかったため、お二人では家門を盛り立てるのが困難な状況でした。


そこで家格が低いものの、先代と当代がやり手で財を増やし続ける我がランヴェック子爵家に縁談が来たのです。多額の持参金を用意出来るであろう懐事情と、父の業務を手伝っているため多少書類業務が出来るところを買われたということです。

夫のミハイル様は見目は良いのですが酒と女にはだらしがなく、わたくしが領地運営の仕事に携わることに興味は無いようでした。


しかしお義母様は違います。元侯爵家の令嬢で気位の高いお義母様は、家門に子爵家が入ることも、女だてらに経営に関わるのも許せないようでした。長年伯爵家に仕える家令のヘンリーに『ランヴェック家の持参金と経営手腕がなければ今までのような贅沢は出来ない』とやんわり諭されたことで、渋々了承を得たのです。


ミハイル様は結婚式を挙げるとすぐさま隣国ローダンとの戦争に駆り出されて行きました。

良家の嫡子はよくお金を収めて参戦を見逃してもらう方途を取るのですが、わたくしの輿入れが直近過ぎたため、今戦は参戦が確定となっていたのです。

ミハイル様とは枕を交わす暇もなく出立されました。


すると持参金はすぐさまお義母様が取り上げて使い込みを始めたのです。

息子がいなくなってたがが外れたようで、誰の聞く耳も持ちません。

運営費用はわたくしが独身時代に立ち上げた事業の利益を充てることにしました。

勿論お義母様には内緒です。執務室に顔を出すこともないので、ヘンリーたちの口止めをしていれば知られる心配は無いでしょうが、念のため事業の方は信頼のおける従業員を店長にしておきました。



⌘ ⌘ ⌘



「ミハイルが死んでしまったからお前を家に置いている理由がなくなったわ! 出ておゆき!」


ミハイル様の訃報が届いた翌日に、お義母様が離縁手続書を差し出し開口一番におっしゃいました。

…葬儀の手配や跡継ぎ問題とか大丈夫なのでしょうか…? きっとヘンリーたちが手配するから問題ないのでしょうね。

領地の経営も…優秀なヘンリーがいれば回るのでしょうね。 でもヘンリーは高齢です。 お義母様はその辺のことを考慮しているのでしょうか。


お義母様は事あるごとにわたくしを蔑み、罵っておいででした。


「女が働くなんて卑しいこと」

「パッとしない見目のお前が結婚できたのは金のおかげね」

「私が生んだ子に子爵家の血が混じるなんて耐えがたい屈辱だわ」


”大奥様”がその態度なので、多くの使用人も彼女に倣った態度をとっておりました。 ですのでイェルニー家には未練はありません。


「かしこまりました」


軽く腰を下げて応えます。 手続書も用意されていたようなので署名します。 困った顔のヘンリーに向かって告げます。


「では持参金の返却処理をお願いね。不足分は家財を売り払って充当してちょうだい」

「―承知いたしました」


これに面食らったのはお義母様です。


「何を言っているの! アレはもうイェルニー家のものでしょう!」

「大奥様…、持参金は離縁の際に嫁入り道具と共に返還されるもの と法で定められております」


お義母様は金切り声を上げていますが、何をおっしゃっているのかよく分かりません。

持参金はお義母様が殆ど使い潰してしまっていたので、ご自慢の宝石やドレス、美術品コレクションの大半を手放さないといけませんものね…。 戸惑っているのかもしれません。

わたくしは簡単に荷物をまとめ、ヘンリーに持参金は指定の口座に入金するよう指示し、イェルニー家を出ました。



⌘ ⌘ ⌘



これからどうしましょうか…。 わたくし、実家には戻れません。


祖父も父も冷淡な『金の亡者』で、厳しく教育された記憶はあれど、菓子や人形を買ってもらった記憶はありませんので『伯爵夫人』になり損ねた出戻り女など家に入れてもらえないでしょう。

此度の婚礼も相手の爵位が格上だから断れなかっただけで、貧乏伯爵家とは縁付きたくなかった我が家は、持参金以降せびってくることが無いよう、わたくしとは絶縁のていを取っているのです。


ちなみにわたくしの滞在を許してくれそうなご令嬢の知り合いはおりません。

ミハイル様は見目が良かった故にご令嬢に人気な方だったので、夜会に行けば必ず妬みによる嫌がらせを受けていたのです。 お義母様が家門で守ることもなさらなかったので尚のこと。


やはり自分が始めた店の従業員用宿舎に寝泊まりするのが良さそうです。



⌘ ⌘ ⌘



手持ちは小さなトランク一つだったので、タウンハウスのある貴族街から市街地までは歩いて参りました。 さすがにドレス姿で出歩くのは妙に思われますので町娘のような軽装をして屋敷を出て参りましたが…。 ここからは辻馬車等を拾い、南地区へ向かいたいと思います。


朝市は終わっている時間なので、広場前にいる人達は多少まばらになっています。 王都は戦地にはなっていませんが、物の集まりも悪く以前のような活気もありません。

…追い出されたのが冬でなくて良かったと思いました。


「イェルニー伯爵夫人ではありませんか?」


もう伯爵夫人ではありませんが、おそらくわたくしを指している言葉だと思うので声のする方を向きます。

声の主は小走りでわたくしの前に立ちました。


ああ、この方には見覚えがあります。 ミハイル様が出立の際にイェルニー邸にいらしゃってました。

波打つ金糸の髪、静かな湖面を思わせる青い瞳、整ったかんばせ、柔らかな声。

既婚者のわたくしでもドキリとしてしまいます。 あ、本日からまた独身なのでした。


「お久しぶりでございます。 マリオン卿」


ミハイル様と同じ騎士団に所属するマリオン卿です。

家名は…そう言えば存じ上げませんね。 ミハイル様が彼を名前で呼んでいたので、どこの令息なのか情報がないままでした。


「…イェルニー伯爵のことは大変残念でした。 喪に服す期間かと思いますが夫人は共も連れず何故こちらに?」


あら もしかしてわたくしは不貞を疑われているのでしょうか。


「先のイェルニー伯爵夫人に、離縁を申し渡されましたので伯爵邸を出た次第でございます」


わたくしが説明すれば、マリオン卿はぎょっとした顔になり小声で謝罪なさいます。


「立ち入ったことを聞いて申し訳ありません。

 あの…女性騎士を同席させますので馬車の中でどういうことがお伺いしてもよろしいでしょうか?」


どういうことも何も、今話したことが全てなのですが…。

マリオン卿は近くに停めてあったらしい自家の馬車までわたくしを連行し、押し込めたのでした。

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