第35話 出すぎた杭でも、打たれ強く。
昨日、文化祭が終わった。
こころちゃんと
一方、私は。
「…………うーん」
私はベッドの上で唸りながら、スマホから鳴り響く軽快なラッパの音を止めた。
今日は文化祭明けの振り替え休日。今年は土日とも合わさって三連休だ。
「げ、もう十一時だ……」
……まぁ、昨日はしばらく眠れなかったし。
私は休日を無駄にした喪失感に包まれながらも、再び毛布にくるまった。
寝巻代わりにしていたジャージの襟を少し緩めながら、目をぎゅうっとつむる。
「おーい、かのん」
そうして心地よい微睡みが瞼の奥から登ってきたところで、部屋の扉がこんこんとノックされた。
「入るぞー……って、まだ寝てんの」
「……朝ごはんなら、いらない」
「いや、そうじゃなくて。かのんにお客さんが来てるんだけど」
「え?」
私が重い体を引きずりながら一階に降りると、玄関には確かにお客さんが立っていた。
「あ、かのんちゃんおはよっ♡」
佐久間さんが猫なで声を出しながら、ひらひら手を振っている。
薄紫色のワンピースにカーディガンをゆったりと羽織ったその姿は、いつもよりも純粋なイメージを感じさせた。
そして、なんだか大きな紙袋を片手に持っている。
「……何しにきたんですか」
「もう、ひどいなぁかのんちゃん。前に約束したじゃん♡」
前かがみになった佐久間さんに、鼻のてっぺんをつつかれた。
……そういえば、八百長オーディションの時にそんな約束をしたような。
なんて命知らずな。今思えばあの時の私は少しおかしかった気がする。
「いやでも今日はちょっと具合が悪――」
「お、おいかのん。この子友達? 綺麗すぎやしない?」
「……あ、かのんちゃんのお兄さんですかぁ? いつもかのんちゃんと仲良くさせてもらってる撫子ですっ♡」
「そそそそれはどうも、いつもありがとうございます。……あ、かのんの兄の
お兄ちゃんは見てるこちらが恥ずかしくなってくるくらいキョドりながら、深々とお辞儀をした。
「ああ、いつまでも玄関で話させてごめんね。さぁ、どうぞ上がって」
「怜音さん、ありがとうございまぁす♡ じゃあお邪魔しますね~」
「いやちょっと待って……」
佐久間さんは流れるように家に上がってくる。
「よ、よぉしかのん。撫子ちゃんと部屋で待ってろ、俺今からパンケーキ焼くから」
「わぁ、いいんですかぁっ? 楽しみ~♡」
「……はぁ」
お兄ちゃんは猫を被った佐久間さんにすっかり懐柔されてしまっていた。
……お兄ちゃん、妹は心配です。
△▼△▼△
私は渋々佐久間さんを部屋に案内し、ベッドと勉強机の間のカーペットの上に座ってもらった。
佐久間さんは持っていた高級そうな紙袋を床に置くと体育座りをして、ベッドに腰掛けている私を見つめている。
「かのんちゃんの部屋、まさに女の子のお部屋だねぇ。ピンク色で、ぬいぐるみさんがいっぱい」
「……子供っぽくて恥ずかしいですけどね」
「あはは、そうかなぁ?」
佐久間さんはいつも通りへらへらしながら私をからかう。
そう、いつも通り――のはずなのに、そこには何か違和感があった。
よく見ると今日はいつもより化粧が薄くて、耳にはピアスがついていない。
……いつもと違うって、なんだか怖い。
「その紙袋、何が入ってるんですか?」
私は一抹の不安を打ち消すために、佐久間さんに話しかけた。
「ふふ、かのんちゃんと遊べるかなと思って持って来たんだ。でもまだこれの出番は早いかなぁ」
佐久間さんは含みのある笑みを浮かべている。
「……今日は何をしに来たんですか」
私は手元の毛布をぎゅっと掴みながら、意を決して問いかける。
すると佐久間さんは口角をくいっと上げて、立ち上がった。
「今日はねぇ、かのんちゃんを慰めてあげようと思って来たんだ♡」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
「……えっ」
「こころん、ひじりんと付き合ったんでしょ?」
「なんで……?」
私は思わず後退るが、狭いベッドの上なのですぐ壁に背中がぶつかる。
佐久間さんはベッドのに膝立ちになると、いたずらっぽくちろっと舌を出してみせた。
「ぼくも知ってるに決まってるじゃん♡ だってあの時中庭には、ぼくのストーキング対象しかいなかったもん。誰を尾けててもおかしくないって、思うでしょ?」
「え……あ……」
佐久間さんはじりじりと私の方へ迫ってくる。
「そんなことよりもさぁ、かのんちゃんはどんな気持ちだったの? 大好きなこころちゃんがひじりんにとられちゃったんだよ? つらいのかな、悔しいのかな、それとも……全部?」
佐久間さんは楽しそうに私の心を抉ってくる。
言葉をかけられるたびに昨日のあの光景がフラッシュバックして、あの時感じていたものがどんどん蘇っていった。
……怖い、辛い。
息がうまくできない。
「そんなかのんちゃんの気持ち、ぼくはわかるよ」
「さくま……さん……?」
佐久間さんは囁きながら、震える私をそっと抱きしめた。
体が柔らかさと甘い香りに包まれる。
「ぼくも昔、好きな人をとられちゃったことがあるんだ」
そう呟いた佐久間さんの指は、少し震えていたような気がした。
「その時は本当に何もかもがつまらなくて、くだらなくて…………だからぼくは今のぼくになってそれを忘れようとしたんだ」
……きっと、辛いことがあったんだ。
佐久間さんの声色がそれを物語っている。
――――『そうじゃないと寂しくて、寂しくて、おかしくなっちゃうから』
いつかのその言葉の裏側に、少しだけ近づけたような気がした。
「でも、かのんちゃんは多分そうはできない。このままずうっとこころんのことを忘れられないんだよ」
確かに私は佐久間さんのように吹っ切れることはできないだろう。
だってあの時この手で終わらせたはずの想いは、今もこの胸から消えてくれない。
もし、ずっとこのままだとしたら――――
「……じゃあ、私はどうしたらいいんですか」
私が絞り出すように言うと、佐久間さんは無言で私を抱く腕に力を込める。
「ぼくのこと、好きになって?」
その甘く優しい声は、私の傷だらけの心にすうっと染み込んでいった。
今この瞬間、初めて佐久間さんを理解できたような気がする。
……私の気持ちを、痛みを、佐久間さんも知っているんだ。
「佐久間さん……」
私は絞り出すように声を出して、腕に力を込める。
「ごめんなさい。離して、ください」
それでもやっぱり、私はこころちゃんのことが好きだ。
今も続く胸の痛みが何よりもそれを証明している。
……終わらせなきゃいけなかったんだ。
でも忘れたくない。このまま風化させたくない。
そのために私ができることが、苦しみ続けることだけだったとしても。
「そっかぁ……」
私が腕で抵抗していると、佐久間さんは思いのほかすんなりと離れてベッドから降りていく。
そのまま床に置かれていた紙袋をごそごそと漁り始めた。
何か金属が擦り合わさるような、不穏な音が響き始める。
「……あーあ、かのんちゃんはやっぱりいいなぁ」
佐久間さんは私に背を向けたまま、いつもの甘い声で言った。
「何をしてるんですか?」
佐久間さんは私の問いかけにも答えずに、結んだ髪を解き始めた。
長くて艶のある黒髪がぱさっと下りる。
……すごく、綺麗。
その髪は、先ほどまで結ばれていたとは思えないくらい美しかった。
「辛いはずなのに、気付いてるはずなのに、ずーっと意地張っちゃってさ。本当に――――」
私が思わず見とれていると、ふいに佐久間さんはこちらに振り向く。
その瞳はまるで振り向く前からこちらを見ていたかのように、確実に私を捉えていた。
「――――本当に、本当に、ほんっとうに……好き」
そう言って舌なめずりをする佐久間さんの手には、手錠が握られていた。
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