19.群青色の空に

 いつの間にか、空は茜色あかねいろから群青色ぐんじょういろに変わっていた。


 川嶋河かわしまがわ河原かわらで起きあがった私は、頭の先からつま先まで、びしょ濡れだった。初夏とはいえ、びしょ濡れの体に夕風はちょっと冷たい。


 河原の草むらに座り込んだまま、小さく身震いした私の頭の上に――もふり。

 何か白くてやわらかい物が落ちてきて、視界をおおった。


「何これ――タオル?」


「よかったら使って。ちょっと湿ってて、悪いけど……」


 頭の上のをつまみ上げると、心配そうに私をのぞき込む、びしょ濡れのヒスイ君が見えた。明るい茶髪はぺちゃんこ。ダボついた紺のブレザーからは、ぽたり、ぽたりとしずくが垂れている。

 正直、ダサい。こんなヒスイ君の姿、クラスメイトの誰も想像さえしないだろう。


 私は小さくお礼をつぶやき、タオルを羽織はおった。

「ヒスイ君、大丈夫? ケガはない?」


「僕は平気だよ。それより……ごめんね、ツバメちゃん。ソバエのやつはともかく、僕自身は、こんなことをしたかったわけじゃないんだ」

 両手を広げて、ずぶ濡れになった姿を見せながら、ヒスイ君はしおしおと肩を落とす。

「ただ……家族以外で、僕と同じ境遇きょうぐうの人間って、そういなくてさ……だから、僕はその……なんて言ったらいいか……」


 言葉に詰まったヒスイ君の顔が、みるみる赤くなっていく。

 びしょ濡れのブレザーから、垂れる雫のせいだろう。なんだか、ヒスイ君が異常な汗っかきになったみたいに見える。


 私の知ってるヒスイ君は、教室の中心で、カワセミのようにキラキラ輝く人で。

 上の空をぼんやり飛ぶツバメとは、住んでる世界が違うと思っていた。


 だけど。目の前の、いつもよりちょっとダサいヒスイ君を見ているうちに、私は思い直した。ヒスイ君の言う『き物仲間』は、間違っていなかったんじゃないか、と。


 それは、単に『妖怪が憑いている人間同士』と言う意味じゃない。

 

 自分に憑いている妖怪――カンダチ――のことを、上手く伝えられず、理解してもらえなかった私の感じた寂しさと。

 自分の血に憑いている妖怪――ソバエ――の姿が見える友達に、巡り合えずにいたヒスイ君の気持ちは、どこか通じるものがあったんじゃないだろうか、という意味で。

 だから……


「……だから、憑き物に、なれると思ったんだよね? 私たち」


 ゆっくりと確認するように問いかける私に、ヒスイ君は「そ、そう! それそれ!」とますます顔を赤らめた。


「……あぁ~。どうも、妖怪がらみは、思いどおりにいかないな~」

 いつもの間延まのびした調子の明るい声で、ヒスイ君が頬をかく。

「人間相手なら、適当に笑ってたら、割とうまくいってたんだけどな~」


 「その言い方だと、私も妖怪みたいじゃない?」

 私はじとっ……とヒスイ君を横目でながめた。

「私、人間なんだけど?」


「――え? ……あ。いや、誤解だよ! そういう意味じゃないよ!」

 ヒスイ君は大げさに手をふる。

「そうだ! ツバメちゃんは、怪我は無いの? 河に落ちたでしょ?!」


「平気だよ。カンダチが憑いてるからね。私、川嶋河かわしまがわじゃ、おぼれないんだって」

 さらり、と答えながら、私はきょろきょろと草むらを見回した。

「そういえば、ソバエは? 姿が見えないけど」


「ソバエはここだよ」

 ヒスイ君が、自分の胸をトンと叩いた。

「どうも、カンダチの”力”に、あてらちゃったみたいでね~。姿を現す余力もないみたい。ま~、放っておけば、そのうち出てくるよ」


「そっか……」


 小さく安堵あんどのため息をもらす私の横で、ヒスイ君が低く笑った。


「ソバエの心配だけじゃなく、『カンダチが憑いてるからね』か~。やっぱり、ツバメちゃんの言う通りだったってことだね~」


「どういうこと?」


「ソバエは僕の血に憑いているからさ~。良くも悪くも僕の体の一部みたいなもんだと思ってるんだ~。でもさ、時々自分の体って嫌になることない? 例えば僕だったら、自分の背の低さに嫌気がさす時があるんだけどさ~」

 自分の明るい茶髪頭をポンポン叩きながら、ヒスイ君はいつも通りに微笑んだ。

「同じように、思うんだよね~。ソバエがいなかったら、僕は普通になれたのにってさ~」


「ヒスイ君……」

 おどけたような仕草で、妙に寂しい言葉を吐く彼を前に、私は何と言えばいいか、分からなかった。


 どうしようもなく、ただ名前を呼ぶだけの私に向かって、突然、ヒスイ君がニヤリと笑った。


「でも。キミと僕は違う。ツバメちゃんは、カンダチのこと好きなんでしょ?」


「な、な、なんでそうなるの?!」

 あんまり慌てて反論したせいだろうか。私は舌をみそうになりながら叫んだ。

「憑かれて迷惑してるの、わからないかな?! 昨日なんか、私、カンダチに体乗っ取られたんだよ?!」


「ツバメちゃん、耳が赤いよ~?」

 ヒスイ君がからかうように、私の耳を指さす。

「僕だったら、自分に憑いてる妖怪のために、河に飛び込むなんてしないけどな~?」


「そそ、それは……私はただ……!」

 今度は私が言葉に詰まる番だった。

 まともに反論できない代わりに、思わず立ち上がった私から、ヒスイ君は逃げる様に土手どてを上り始める。


「じゃあ、僕はこっちだから。帰り道、気を付けてね」

 川上の方を指さしたヒスイ君は、軽く手をふって見せた。


「あのさ、ヒスイ君!」

 背を向けて土手を歩き出すヒスイ君に向かって、私は叫ぶ。


「なに?」


「さっきの憑き物仲間の話だけどさ、その……」

 言いよどむ私と、ヒスイ君の間を夏風が通り抜けた。びしょ濡れの体には冷たい夏風だ。肩にかけていたヒスイ君のタオルのはしを、私はぎゅっと握る。 

「……同じじゃないと、無理なのかな。見えるものも、境遇も、気持ちも、同じじゃないと、分かり合えないままなのかな」


 土手の上のヒスイ君は、河原の私を見下ろした。いつもと同じ微笑みだけど、どこか寂しげに見える。

「逆に聞くけどさ。妖怪の見えない人間が、僕らの話に耳を傾けると思う? 妖怪が見えるうえ、妖怪に取り憑かれている、僕とキミでも、考えが違うのに?」


「……それは……」


「じゃあね、ツバメちゃん。さよなら」


 何も言えない私に背を向けて。

 ヒスイ君の紺色のブレザーは、群青色の空に紛れて見えなくなってしまった。


〈第二部 了〉


(※)上の〈第二部 了〉に違和感を持たれた方向けの、言い訳話はこちら↓

 https://kakuyomu.jp/works/16818093082635537007/episodes/16818792438801485385

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