2.俺の正体


「危ない、落ちる……!」


 彼に向って思わず叫んだ時にはすでに、私の体はけだしていた。


 その瞬間しゅんかんの私は、かさもカバンも、冷静な思考も、何も持ってなかった。

 ただ、空っぽになった自分の手を、彼に向って必死にばしていた。


 でも、悲しいかな。私は運動オンチだった。

 急に駆けだす、だなんて。慣れないことをしたばっかりに、私の足は見事にもつれて顔面から転んで――。


「何してんだ、お前」

 次の瞬間、私の頭上から妙にえらそうな声が落ちてきた。


 誰だろう?


 顔を上げた私が見たのは、さっきの白蛇しろへび幽霊ゆうれいみたいな男子。彼の赤いつり目が、ジロジロと私を見下ろしている。


 どうやら、彼はころびかけた私の首ねっこをつかんで助けてくれたらしい。

 結果、私は母猫にくわえられた子猫みたいな、情けない格好になっていた。


「ひょっとして、お前、俺を助けようとしたのか?」


 欄干らんかんの上でヤンキ―座りをしている彼が、からかうように笑った。


「まぁ、実際に助けたのは俺のようだが。この俺が間違って河に落ちるようなヘマをするとでも?」


 彼はひとしきり笑うと、無造作むぞうさに私の首根っこを解放かいほうした。


「……た、助けてくれてありがとう……」

 私は、制服のネクタイを直しながらモゴモゴと言う。

「……でも、そこ、危ないから降りた方が良いんじゃ――?」


「そんなことより」

 私のセリフをさえぎって、彼がたずねる。

「お前、名前は?」


黒川くろかわ――黒川ツバメ。笠臣かさおみ中学二年一組だよ」


 ボソボソと名乗る私に、彼は満足そうにうなずいた。


「ツバメ、か。幸運を招く小鳥の名とは縁起えんぎがいいな」


 ニヤリと笑みを浮かべる彼のつり目が、赤く不気味ぶきみに輝いている。

 どうにも居心地いごこちが悪い視線だ。まるで、カエルを見つけた大蛇だいじゃの目にらわれた気分になる。


 私は小さく咳払せきばらいをした。

「そういうあなたの名前は? その制服、私と同じ笠臣かさおみ中学でしょ? 何年何組なの?」


「そうだな……」

 雨の混じる風で乱れた白髪をかき上げながら、彼が思案しあんする。

「……では、この橋にちなんで、『カンダチ』とでも呼んでくれ」


「カンダチ、ね――」

 とりあえずうなずく私。

 でも、「カンダチ」だなんて聞いたことの無い名前だ。苗字みょうじなのか名前なのか、よくわからないし。

 と、いうよりも――


「――ん? 待って。『橋にちなんで』ってどういうこと?」


「なぁ、ツバメよ」

 カンダチは再び私をさえぎった。私の質問は完全にスル―。ひどくない?


「お前、先ほどは俺を助けようと走ったのだろう? そんなお前を見込んで頼みがあるのだ。聞いてくれ」


「……頼み?」


「あぁ」

 短くうなずくカンダチは、欄干らんかんに座り込んだまま、私に向き直った。

「昨晩、俺の大事なぎょくが何者かに盗まれたのだ」


 そう言うカンダチの顔を見て、私は小さく息をのむ。


 その顔からは、さっきまでの尊大そんだいなニヤリ笑いはすっかり消えていた。

 眉間みけんに深いシワが刻まれて、赤いつり目が爛々らんらんと輝いている。雨の混じった風の中で揺れる長い白髪は、威嚇いかくする無数のヘビのように見えた。


 私は恐る恐る口を開いた。

「ギョク……って何?」


「見た目は黒い石のような物でな。大きさはこれくらいだ」

 カンダチは右手の握りこぶしを掲げてみせた。

「盗人の顔は遠目で見えなかったが、服装はこれだ」

 そう言いながら、カンダチはゆっくりと自分のブレザーのすそを摘みあげた。


「……つまり、笠臣かさおみ中学の生徒が、カンダチのぎょくを盗んだってこと?」


 私の問いに、カンダチは不機嫌ふきげんそうにうなずく。


「俺は一刻も早く盗人ぬすびとを見つけて、ぎょくを取り返さなければならない。そこで、お前に協力してもらうことにしたのだ」


「え? なんで私?」

 私は慌てて問いかける。

「そんなの、学校の先生に言いなよ。それか、警察とかに――」


「それは無理なのだ」

 カンダチはバッサリと否定する。

「なにしろ、今の俺の力では人の町まで行くことができん。河から離れると極端きょくたんに力が弱くなるのでな。この姿を保つこともままならんのだ」


 気まずい沈黙が流れた。

 雨の混じった梅雨の風が、ひゅるる……と間の抜けた音を立てて通り過ぎていく。


「……それ、どういうこと?」

 私はなんとか口を開いた。

「ちょっと意味が分からないんだけど」


「……ツバメ。お前、にぶいやつだな」

 低い声で毒づくカンダチは、ガシガシと不機嫌ふきげんそうに白髪をかきむる。

 と、思えば「よし、見せた方が早いか」と唐突とうとつに手を打った。


 私はますます混乱する。

「見せるって何を?」


「俺の正体を、だ」

 その言葉と同時だった。

 欄干らんかんの上に立ったカンダチは突然、ぐいっと私の手を引いた。


 体が宙を舞う、浮遊感ふゆうかん

 カンダチと私は手をつないだまま欄干らんかんを乗り越え、二人一緒に橋から落っこちた。



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