第42話貴族の決断

 翌日、私は書類を机の上に並べ、帳簿を開いた。ルカの手紙から手に入れたアルヴィン家にまつわる情報は多いが、整理しなければ活かせない。ヒルダの淹れてくれた紅茶を一口飲み、深く息をつく。


「アルヴィン家がヴィオラ様の死に関与していたなんて……これは確実なのですか?」


 ヒルダはカップを置き、僅かに眉を寄せる。私もまた、まさかここにアルヴィン家が絡んでいるとは思わなかった。しかし、資料を読み進めればその意図は見えてくる。


 ルーディックに養子縁組を断られたアルヴィン家。彼らはライオネルの名を継ぐ者を減らすことで、無理やり状況を変えようとしたのだ。


「後を継ぐ者がいなくなれば、ルーディックも受け入れると考えたのか……」

 思わず呟くと、ヒルダが沈痛な面持ちで頷いた。


「あるいは、ヴィオラ様を殺すことで、彼女を慕う者からルーディック様を恨ませるよう仕向けたのかもしれませんね」


 テオドアが冷静に補足する。彼の指が書類の端を軽く弾いた。


「影の市の記録は動かぬ証拠になるわ。彼らが呪いの首飾りに関わっていたことは間違いない」


 私は拳に力を込める。彼女を間接的に殺し、その死すら利用する。これほど卑劣な手があるだろうか。


「もしエルンスト家がこれを知れば、感情的になるでしょうね」

 テオドアが静かに続ける。「彼らを味方につけるなら、慎重に話を進めたほうがいいでしょう」


 その言葉に、私は小さく頷いた。人には感情があり、そして立場がある。エルンスト家がどちらを取るのか、それはまだ見えなかった。


 そんな中、扉の向こうから静かな声がした。


「一方で、ディートリヒ男爵は今、機嫌が良いようです」


 シグベルだった。いつの間にか屋敷を訪れていたらしい。彼はゆっくりと室内に入ると、テーブルの上の書類を一瞥する。


「大義が手に入り、目的も達成した。協力を引き出すなら、今が好機でしょう」


 私は唇を噛む。自分が迂闊だったせいで、彼らに強硬手段を取らせるお題目を与えてしまった。あれさえなければ、もっと別の道を選べたかもしれないのに……。けれど、後悔しても仕方のないことだ。


「大きな貸しを作ってしまったけれど、対応できそうね。ヴェルナー家は?」

「慎重さは崩れませんが、今のところ敵対する気配もございません」


 テオドアが答え、ヒルダが頷く。そこへ、陽気な声が割って入った。


「あっ! ドレイク家ですがね!」


 ギフティオが勢いよく部屋に入ってくる。


「奥様の病状が良くなって、浪費も治まったらしいですよ! おかげで良い食材が手に入りました、今度お出ししますね!」

「ちゃんと毒は抜いてね」

「えぇ~、それが美味しいのに……」


 思わずため息が漏れるが、ドレイク家の状況が落ち着いたのは朗報だった。シグベルに頼んで一度診てもらった結果、当主夫人の部屋に呪いの品があった。それを破壊してから回復したということもあり、今後は味方になってくれる可能性が高い。


 私は机の書類を見回し、改めて状況を整理した。


「見えてきたわね。まずは貴族達と話し合い……アルヴィン家を追い詰める準備を整えましょう」


 そうと決まれば貴族会合の準備だ。各々の家に連絡を取り、使用人や衛兵に指示を出す。私は、進み続けなければならないのだ。


―――――――――――


 重厚な木製の扉が静かに閉じられ、応接室の中は外界から切り離された静寂に包まれた。壁際にはヒルダが控え、茶器の揃った小さなテーブルが中央に置かれている。しかし、この場に漂うのは穏やかな談笑の空気ではなく、緊張感を孕んだ沈黙だった。


「急な招集にもかかわらず、お集まりいただき感謝いたします」


 視線を巡らせながら、なるべく落ち着いた声で切り出した。応接室には、ディートリヒ男爵、ヴェルナー家の長子、エルンスト家の代理人、ドレイク伯爵と、今回の影の市崩壊で重要な立場にある者たちが揃っている。


 影の市が崩壊した今、次に動くのは誰か。何が起こるのか。その答えを導き出すために、この場が設けられた。


「今回の件で、ダイダリーの均衡は大きく揺らぎました。これを好機とするか、混乱の火種と見るか……皆様の意見をお聞かせください」


 ロゼリアの言葉に、出席者たちはそれぞれの思惑を胸に、静かに息を整えた。


「ハッ、これで少しはまともな街になったか? いや、むしろ今までが異常すぎたんだ」


 最初に口を開いたのは、ディートリヒ男爵だった。彼は満足げに指輪を弄り、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


「影の市が潰れたことで、犯罪の温床が一つ消えた。これで少しは秩序が戻るはずだ」

「確かに影の市は問題でしたが、混乱も避けねばなりません」

「チッ、どいつもこいつも慎重すぎる! そんなだから影の市なんかに好き勝手されるんだ」



 冷静な声で応じたのはヴェルナー家の長子だった。慎重な家柄らしく、彼は目の前の茶器に視線を落としつつも、場の雰囲気をしっかりと見定めている。ディートリヒ男爵の挑発にも反応しない。


「急激な変化は不安定を生みます。影の市がなくなったことで、新たな混乱を招く可能性もあるのでは?」

「確かに、それも一理ある」


 ディートリヒ男爵が鼻を鳴らした。彼にとって影の市は敵だったが、それを潰した後のことは深く考えていなかったのかもしれない。


「そんなことより、アルヴィン家がヴィオラ様を……!」


 怒りを露わにしたのはエルンスト家の代理人だ。彼は拳を握りしめ、声を震わせながら続ける。


「これは本当なのですか? アルヴィン家が、ヴィオラ様の死に関与していたというのは……」


 静かに頷き、資料を差し出した。


「影の市の記録を調べた結果、ヴィオラ様に渡った呪いの首飾りがアルヴィン家の意向によるものだったことが分かりました」


 エルンスト家の代理人は目を閉じ、深く息を吐いた。資料を持つ手が震えている。怒りと悲しみを抑え込むように、しばらく沈黙が続く。


「……もしこれが真実なら、エルンスト家としても見過ごすことはできません」

「呪いの品に関しては私の妻の件もある……アルヴィン家が疑わしいのは、間違いない」

「私たちが取るべき道は明白です」


 私はゆっくりと視線を巡らせた。


「アルヴィン家を追い詰めるために、皆様の協力が必要です」

「なるほどな。面白くなってきた」


 ディートリヒ男爵が口元を歪める。


「アルヴィン家がこの街を牛耳るのは気に食わん。俺は協力しよう」

「ヴェルナー家としても、事実を見極めた上で、適切な判断を下すつもりです」


 長子が慎重な態度を崩さずに言った。彼のような立場の者が慎重になるのは当然だ。


 その時、使用人が慌てた様子で駆け込んできた。


「ご報告いたします! 屋敷の外に、アルヴィン家の兵が集まっています!」


 使用人の言葉に、室内の空気が一瞬で凍りついた。

 ディートリヒ男爵が眉を吊り上げ、「ほう……奴ら、もう動いたのか」と笑みを浮かべる。その一方でヴェルナー家の長子は眉をひそめ、静かに考え込んでいた。


「まずいですね……彼らの狙いは?」

「まさか我々全員を敵に回すということか?」


 エルンスト家の代理人が低く呟く。ドレイク伯爵もそれに続き、私に目を向けた。

 貴族達の視線が集まる中、静かに立ち上がる。


「迎え撃つ準備を」


 私の言葉が静かに部屋に響く。

 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、ディートリヒ男爵が笑い、エルンスト家の代理人が唇を噛んだ。

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