第18話知るべき影(2)
日も高いと言うのにどこか薄暗い道を、ヒルダと二人で歩く。服装はなるべく目立たない物を、けれど足取りは堂々と。向かう先は重犯罪者区域――罪人ばかりのダイダリーの中でも、特に重い罪を犯した者が住んでいる監獄のような場所。
私がここに来た目的はひとつ。レインに話を聞くためだ。
「まさかこのようなところにロゼリア様が足を運ばれるなんて」
「私もそう思うわ。けれど、今は情報が必要なの」
初めて訪れるそこの空気は慣れないものだった。湿り気を帯び、どこか鉄のような錆びた匂いが混じっている。それが何を意味するかはあまり考えたくなかった。
(長居はしたくないものね……)
衛兵達も屋敷を警護する者達とは違って重々しい鎧をまとい、腰の剣に手をかけながら目を光らせている。その視線は鋼のように冷たく、警戒心を帯びていた。一歩間違えば容赦なく斬り捨てるとでも言わんばかりだ。
重犯罪者区域に繋がる門では、まるで陽の光すら閉め出し影に沈もうとしているかのように、分厚い城壁が静かにそびえ立っていた。両脇に立つ門番が私達の歩みを止める。彼らの目は一瞬訝しげに細められたが、すぐに敬礼の姿勢に戻った。
「本日はどのようなご要件でしょうか、領主様」
この区域への立ち入りは常に厳しく制限されている。いかに領主と言えど、ルールは守らなければならない。
「レイン・ヴェルゼという男に会いに来ました。彼の知識を必要としています」
私は少し声のトーンを落として続けた。
「……この区域の医療について、現状を把握しにきました」
門番は私の言葉を聞いた後、確認のためかしばらく沈黙した。重たい空気が流れる。衛兵は淡々と記録を取りながらちらりと私を見た。
「では、お気を付けて」
その言葉と共に、重々しく門が開かれる。
目の前には、広場のような空間が広がっていた。重犯罪者区域の内部とは異なり、ここは男女の境界に設けられた緩衝地帯――比較的秩序が保たれた場所だ。
敷地の中央には古びた教会がそびえ、その隣には診療所と衛兵の詰所が並んでいる。どの建物も長年の使用に耐えてきた歴史を刻みながらも、ある程度の手入れはされているようだった。
「思ったよりも静かですね……」
隣を歩くヒルダが低く呟く。私もその言葉に同意して頷いた。
この区域に足を踏み入れた瞬間は緊張を覚えた。だが目の前の光景は私の予想を裏切り、落ち着きと静けさを保っている。厳しい刑務所のような重犯罪者区域の印象とは違い、この場にいるのは衛兵と数人の神士、そして数名の患者らしき者達だけ。治療が終わったと思しき彼らは、衛兵に連れられそれぞれの区域に返っていくところだった。
(ここは別の空気が流れているみたい……)
衛兵の詰所の前には数人の兵士が立っていたが、私たちの姿を確認すると軽く敬礼をしてすぐに視線を戻す。緩衝地帯は彼らにとって日常の一部であり、私が通ることにいちいち干渉するつもりはないのだろう。
診療所の建物は、先日私がお世話になったところとは比べものにならないほど簡素だった。白い漆喰の壁にはところどころひびが入り、屋根の瓦はいくつか欠けている。それでも扉や窓枠は修理され、室内の明かりがもれているのが見えた。中で誰かが働いている証拠だ。
「これが、今のレインの診療所……」
あの時私を見た診療所とは何もかもが違う。けれど彼はここで治療を続けている――一人の、医師として。小さく息をつき、扉に手をかける。ギシリと軋んだ音を立てながら、診療所は私たちを迎え入れた。薬草の香りに混じって、血の匂いが鼻をくすぐる。私は先ほど立ち去った患者たちの姿を思い出した。
「帰ってくれ、貴重な休憩時間なんだ」
「そういう訳にもいきません、あなたに聞かなければならないことがあります」
入った瞬間冷たい言葉が飛んできたが、今更このくらいでは怯まない。私は固そうなパンを齧るレインの前、恐らく患者のためだろう椅子に座りこんだ。こちらを見るレインのじとりとした目にも構わず、辺りを見渡す。最低限の清潔さは保たれているが、それでもくたびれた印象は否めなかった。目の前のレインと同じだ。本当に忙しいらしい。ならば、手短に済ませよう。
「ヒルダ、ルーディック様のノートを」
「かしこまりました」
ヒルダの持つ鞄からルーディックの研究成果を取り出す。そこに書かれている薬――ソルミナについて。まずはここからだ。
「ソルミナという薬をご存知?」
私が切り出すと、レインはパンを齧る手を止めた。じとりとした目がこちらを刺す。
「…………なんでお前がそれを?」
声は低く、苛立ちと驚きが混じっている。私は彼の視線を真正面から受け止めた。
「知っているのね。どんな薬か教えてほしいの」
レインは一瞬黙り、パンを乱暴に皿に置いた。疲れた溜息が、診療所の薄暗い空気に溶ける。
「ソルミナ、か。裏での方がよく聞く薬だ。体に活力を与えるが、飲み続けると酷い副作用が出る代物だな。自律神経の乱れ、情緒不安定、不妊……俺が処方したわけじゃない。持ち込むなら商人だな」
「商人……セイラー?」
彼の目がわずかに細まる。私はノートを手に持ったまま、反応を待った。
「名前までは知らない。ただ……そいつが闇市から仕入れてきた可能性はあるな。あそこなら、妙な薬がいくらでも転がってる」
「闇市……」
ルーディックが情報を得るために出入りしていた場所。情報を得るために取引を繰り返した、都市の裏側。息を呑む私をレインは鼻で笑い、椅子の背にもたれかかった。
「知らないわけじゃないみたいだな。あそこなら薬も揃う。ソルミナみたいな胡散臭い物が流れ込むにはちょうどいい場所だ」
私は彼の言葉を頭に刻んだ。やはり闇市は重要な場所だ。ルーディックの調べていたことや、ヴィオラ様に降りかかった呪いとも繋がるかもしれない。もう一歩踏み込もうと、私は口を開く。
「クレイヴと言う名の商人に、心当たりはある?」
レインの表情が一瞬凍りついた。疲れた目が鋭く光り、私をじっと見据える。長い沈黙の後、彼は低い声で呟いた。
「さあな。聞いたことがあるような、ないような……」
「今の反応。聞いたことがあるのね?」
「……噂だけだ。闇市で暗躍してる奴だろ。貴族とも繋がりがあるだの、物好きが勝手に囁いてるだけだと思ったが……お前、どこでその名を?」
「ルカ・フィッツからよ。彼が教えてくれた」
「ルカ?」
レインが顔をしかめる。その声には嫌悪が滲んでいた。彼は立ち上がり、机に手を突いてこちらを睨んだ。
「アイツか。アレのことは信じるなよ? 分かっているだろう、ルカはルーディックが死んだことと無関係じゃない。人が死んでも利益を得るのが商人ってやつだ」
ルカに対する反応も気になるが、それよりもクレイヴだ。名前を出した時の動揺が引っかかる。私はそこをさらに追求することにした。
「さっきの反応……クレイヴのこと、本当にただの噂で済ませるつもり?」
レインの指が机の上で動いたのは無意識だろう。彼でも制御できない部分に、何かがある。
「ルーディック様が調べていたことと関係があるのでは?」
そう問いかけると、レインが短く舌打ちをした。
「……俺は知らない。ただ――」
「ただ?」
「……あいつは、貴族の注文を受けて妙な品を用意するって話がある。表の商人が扱えないような、な」
「例えば?」
「そこまでは知らん」
私はその言葉を黙って受け止めた。ソルミナ、闇市、クレイヴ、ルカへの忠告……そして、貴族との繋がり。必要な情報は十分引き出せた。でも、レインの目にはまだ何か隠れている気がしてならなかった。
「もう良いだろう。俺に話を聞いたところで、お前の立場が安全になるわけじゃない」
「分かってる。でも、知るべきことを知るのは領主の役目よ」
「ご立派なことだ。……どこまで持つか、見ものだな」
そこで会話は打ち切られた。レインは残りのパンを口に詰め込みながらカルテに目を通す。シッシッと追い出すような仕草はとても領主に向けるものではなかったが、邪魔をしているのはこちらだ。私は「ありがとう」と一礼し、振り返らずに診療所を後にした。
(ルーディックの追っていた謎。ヴィオラ様にかけられた呪い。ソルミナ。そして、クレイヴ……)
手に入れた情報をまとめていけば、自然と次に調べるべき場所が見えてくる。――闇市。そこには大きな手がかりがあるはずだ。私は拳を握りしめる。
「もう少し深く踏み込む必要があるわね」
決意を固め、私は再び歩き出した。
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