第一章 2
2
金儲けの話を聞きつけて、ジェルメーヌは宿に急いでいた。相棒は、きっと昼間から飲んでいるに違いないだろう。
「ブランウェン、いい話が……」
と、酒場に入ろうとしたとき、ガチャン、と酒瓶が割れる音がして、ジェルメーヌはその時嫌な予感がした。そしてそれは当たった。
「な、なにをしやがる」
「なにをしやがるじゃないわよ。今触ったでしょうここんとこ」
「さ、触っちゃいねえ。ちょっとかすっただけだ」
「そういうのを触ったっていうのよ。謝れこのくそ馬鹿」
「くそ馬鹿だあ? 黙って聞いてりゃいい気になりやがってこのアマ」
「酒でも飲まなきゃ女に喧嘩も売れないかアンポンタン。足の間にぶら下がってるのは、風鈴かなにかかいっ」
いかん、これは始まりそうだ。いやもう始まってる。
ジェルメーヌは相棒と男の間に割って入った。
「ちょっと待った。待って。待って。お願いブランウェン。騒ぎを起こさないで。ここは一つ穏便に。ねっ」
「穏便にじゃないわよ。なによこいつふざけてんのよ」
「はいはいそうだね」
ジェルメーヌは自分より背の高いブランウェンを引きずりながら、適当に受け流す。男の方も連れに止められて、身体を押さえられている。このままなんとかなりそうだ。
「なにようジェルメーヌいいとこだったのに」
「お願いだから喧嘩はやめてってば」
酒場の隅にブランウェンを連れてきて、ジェルメーヌはひそひそ声でブランウェンに言った。この女はいつもそうだ。初めて出会った時もそうだった。
術師風情がと言われて売られた喧嘩を買って、その言葉が気に入らなくてその喧嘩に乗った自分も自分だが。
「それより、いい話が舞い込んできたのよ」
「なによ」
ブランウェン、喧嘩は買ったがこれで素面である。儲け話があるのなら、聞かずにはいられない。
「北の森の洞窟に、すっごいお宝が隠してあるんだって。なんでも、金貨千枚くらいらしいわ。それを探してる古物商が『銅の樹』通りにいるんだって。そいつに高く売りつけてやろうよ」
「いいね」
いつ? とブランウェンは尋ねた。天文術師である彼女にとって、なにかを成しえるのに時間というものは大切な要素だ。
「昼間なら、あんた術が使えるでしょ。晴れてたら余計に」
「そうね。念のため、宝石をいくつか持っていく」
「曇るかもしれないからね」
ジェルメーヌもそれにうなづいて返した。茶色の巻き毛が、極めて露出の少ない服の胸元にかかる。その胸元からちらりと見える文様で、ひとは彼女が紋章術師だということがわかるだろう。
この世界には天文学師と天文術師、そして紋章学師と紋章術師に分けられた存在がある。 天文学師と紋章学師はその名の通り、天文学と紋章学を生涯をかけて学ぶ人間の総称のことである。古代からの書物の解読や、天体の動き、紋章の秘密や謎を解くのが生業だとされている。
しかし、その前に立ちはだかる問題がある。
それが、術の壁である。
天文学は天文術の、紋章学は紋章術の、それぞれ学問においてぶつかる課題において、その謎が解けないと先に進めないのはいつの世にもよくあることだ。しかし、学師は術を行使するわけではない。それには危険も伴う。
謎にぶつかる度にいちいち術をかけていては、身体がもたないほどの多くの謎に天文学も紋章学も包まれているのである。
そこで登場するのが術師である。
術師は学師の代わりに魔導を行うことによって謎を解き先に進ませることを目的とした存在だ。紋章術師は紋章をその肉体に刻み、天文術師は特定の天体と魔導を結ぶ契約をして、そうして魔導を行うことになっている。
それ以外では、人間は魔導を行うことはできないのだ。
だから、例えばブランウェンのように太陽で契約している天文術師がどうしても曇り空の時や夜に立ち働かなくてはならないといったとき、どうするかというと、魔導石という魔導の力が込められた特別な宝石を携行する。これによって、太陽で契約している天文術師は夜でも魔導が行える。が、魔魔導を使用したときの能力は本来の力の六割程度だと言われている。
また、紋章術師は肉体に紋章を刻むため、一つ一つの魔導の効能は強いが、また肉体にかかる負担も大きい。彼らの多くは自分が紋章を多く刻んでいないように見せるため、わざと露出の少ない服を好んで着るとされている。
「明日の昼、地元の人間に案内させてさ、行ってみようよ」
そこでブランウェンは手持ちの魔導石の調子を確かめて、もう割れてしまいそうなものは仕舞い、新しいものを宝石屋で二、三買って、明日に備えた。
そしていざ北の森に挑むと、昼でも日の光の射さない迷路のような場所である。
これでは、いくら太陽が出ているといっても自分の魔導は効きそうにもない。案内人の背中を見ながら、ブランウェンは夜用の魔導石、持ってきてたかな、効くかな、などと考えたりしながら歩いていた。
「あそこでさあ」
「あれが例の洞窟?」
へい、と言われてみてみれば、ぽっかりと口を開けた洞窟がこちらをのぞいていて、辺りが真っ暗なのも手伝ってなかなか不気味である。
なかに入ると益々暗く、松明をつけないことには前も後ろもわからない。案内人が灯かりを点け、闇を透かして見てみると、前方に同じようにうっすらと灯かりが見えてきた。
「先客だわ」
ジェルメーヌが囁くと同時に、前の方から若い男の声がした。
「これか、例の首飾り」
「ああ、間違いない」
「早く行きましょうよ。嫌な予感がするわ」
若い男が二人。それに、女の声もする。妙な組み合わせだ。ブランウェンが様子を見ようよ、と言おうとしたとき、相棒は早くも身を乗り出していた。
「お待ち。首飾りは私たちのものよ」
ざっ、とこちらを振り返る気配がした。あーあー。ブランウェンは頭を抱える。こりゃ、小競り合いになる。小競り合いとはこの場合、戦闘だ。
「よしなよジェルメーヌ。民間人だよ」
「なら余計のこと引っ込んでなさいよ。術師様のお通りよ。それをこっちに寄越しなさい」
「術師だあ? こちとら竜騎士でい。はいそうですかと譲るわけにはいかねえんだよっ」 抜刀する音が二回聞こえた。二人の男が剣を引き抜いたのだ。いけない、太陽の光が届かないのでは、こちらが不利だ。と、ブランウェンが思っている矢先に、暗闇のなかでジェルメーヌの身体の一部が奇妙な光に輝いた。
「聖なる紋章の名において!」
バッ、と錫杖を掲げ、ジェルメーヌが素早く詠唱する。たちまち輝いていた紋章が青白く光り始め、そこから奔流のような光が迸る。
洞窟内は青い光に包まれた。
「なんだあいつら、紋章術師だ」
「近くまで行かないと戦えないぞ」
「相手は女だ。戦いたくない」
「そんなこと言ってる場合かよ。首飾り取られたら牢屋に入れられちまうんだぞ」
「む、それはそうだが」
エスラスとガウェインが言い合っている間にも、ジェルメーヌの矢継ぎ早の攻撃は手を緩めず飛んできた。
「もう一人術師がいるな。なぜなにもしてこない」
「恐らく、天文術師が太陽で契約してるんだろう。ここは暗いから、日の光が届かないんだ。日中だと思って夜用の宝石を持ってこなかったと見える」
「なら、紋章術師が疲れた頃に近づけば勝算はあるだろう」
よし、と二人はうなづき合って、ジェルメーヌが手を休めるのを待った。紋章術師は肉体に紋章を刻み、それによって術を発動させるため身体への負担が大きい。そのため、必ず隙ができる。
はあっ、と暗闇のなかでため息のような声が聞こえた。
「今だ」
エスラスとガウェインが剣を構えて走り出した時である。
「そう来ると思ったでしょ」
ブランウェンがそれを待っていたかのように術を発動した。洞窟内が赤い光に包まれる。
「な……なんだ?」
「夜用の宝石……持ってきてたのか」
「まずいぞ。殺される」
攻撃の手は緩められるどころか、激しくなる一方である。このままでは、全員皆殺しだ。 一か八か、ここからキーウェを呼ぶか、来てくれるか、あいつに俺の声が聞こえるかな、エスラスがそんなことを考えているとき、なにかがぶつぶつと聞こえてきた。え? と振り返ると同時に、顔が熱くなって、エスラスは爆風で吹っ飛んだ。
なにも聞こえなくなって、キーンという耳鳴りの後、自分を呼ぶガウェインの声が遠くから聞こえてきて、それで初めて気を失っていたのだとわかった。
「……なんだ? なにがあった」
「ああ気がついたか。死んだかと思ったぜ。ほら起きろよ」
ガウェインに助け起こされて起き上がってみれば、身体中擦り傷だらけである。彼同様、ガウェインも傷ついている。少し向こうでは、二人の女が煤だらけの顔で唖然としている。 あれがさっきの術師か。さっきのはあいつらがやったんじゃないのか。じゃあさっきのあれは……
ジャリ、と土を踏む音がして、後ろから誰かが近づいてきた。案内人だ。
「あ……あんた」
案内人は、腰を抜かしたようだった。
「あんた……魔導を使えるのか」
わなわなと震える指で指さすその先には、グラツィアが立っていた。
「――」
「あんた……魔導師だったのか!」
グラツィアはなにか言おうとして口を開きかけ、案内人に歩み寄ろうとした。しかし、それに恐れをなしたように案内人が先に動いた。
「こいつは大変だ……!」
案内人は弾かれたように立ち上がり、もう一人の案内人と連れだって放たれた矢のように洞窟を走り去っていってしまった。
「……」
グラツィアはそれを見て、片手で我が身を掻き抱いた。
「魔導師? あんた、魔導師だったのか」
ガウェインが松明を拾ってグラツィアを照らした。
「なーんだ、金払って損したな。金、返してもらえないの? 案外妹のこともほんとじゃないんじゃないのか」
「よせよ」
エスラスが思わず止めても、ガウェインはグラツィアに対する追及をやめようとしない。「なあ、教えてくれよ。どうせみんないんちきなんだろ。言えよ。運命のひとってのも嘘なんだろ? え? 言えよ、ほら」
「やめろって」
そこへ、倒れていた二人の女も近寄ってきた。
「すごい爆発だったわねえ……あれ、あんたがやったの? どっちの術師? 天文? 紋章?」
「それにしちゃ露出が少ない。天文術師? どんな魔導石を持っていればあんな爆発が起こせるの?」
グラツィアは黙ったままだ。
「違うよ姉ちゃんたち。こいつは魔導師さ。『天然』だ」
ガウェインが吐き捨てるように言った。
「――え?」
「さっきのは、こいつがやったんだ。こいつは魔導師だ」
「魔導師? あんた、魔導師なの? へえ、私初めて」
ジェルメーヌが松明を掲げてグラツィアに近づけた。
「もっとよく顔を見せてよ」
グラツィアは顔を反らした。
「……めて」
「え?」
「……やめて」
「なんですって?」
「やめて。見世物じゃない」
ジェルメーヌの、整った眉が意地悪く歪んだ。
「あんた、何様のつもり? 魔導師のくせに、一人前みたいな口利いてんじゃないわよ。 あんたはね、魔導師なの。蔑まれ忌み嫌われる日陰者の魔導師なのよ。ちょっと、近寄らないで。臭いったらありゃしない」
「……」
たまりかねて、グラツィアが洞窟から飛び出した。エスラスはそれを止めようとして、彼女のあまりの剣幕に、とうとうそれを止めることができなかった。
「まあまあいいじゃねえか。魔導師なんかほっとけよ。それよか首飾りだぜ。無事見つかったし、お城に持っていこう」
「あ、ああ」
「ちょっと、それは私たちのよ」
「こっちが先だったんだ。俺たちのだ」
「そうはいかない」
「もう一度やりあったっていいんだぜ」
「なんですって」
錫杖を構えなおしたジェルメーヌに、ブランウェンが静かに言った。
「やめようよジェルメーヌ」
「なんでよ」
「分が悪いよ」
「……」
先ほどの爆発で、こちらも傷を負っている。天文術師のブランウェンは、ほとんど戦えない。ジェルメーヌはするどく舌打ちした。
「ふん、この借りは返すわよ」
そう言って、二人の女は出て行った。
「俺たちも行こう」
ガウェインに促されて、エスラスも洞窟を後にした。が、頭にあるのはグラツィアの悲しげな顔だけであった。
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