第6話「物語を変えるのは、いつだって主人公」

「シャロット・レトナークの断罪に関しては、ジェフリー・ランデ様に一任されております」

「それは承知しております。ですから、これからジェフリーと話をするための時間を……」


 衛兵とミリアーナが話し合いを進めていく様子を見て、もう大丈夫だと安堵の気持ちに浸っていた。

 きっとシャロットも同じ気持ちを抱いていると信じて彼女を見ると、彼女は至って冷静だった。

 感動の涙も、喜びの感情もシャロットには存在しない。

 進行方向に向けていたはずの視線は、なぜか地面へと向けられてしまっている。


「シャロットお嬢さ……」


 主の気持ちを気遣うために、一歩前へと歩み出ようとしたとき。


「ミリアーナ!」


 この場に、新たな人物が加わった。


「カレン、ちょうど良かった……」

「私の話、信じてくれなかったの……?」


 この学園で、生徒会長のミリアーナを上回る好感度を持つカレンが場をかき乱していく。


「違う……違うの、カレン! 私はただ、冤罪の可能性があると思って……」


 ミリアーナは優しく彼女の肩に手を置き、カレンの涙を拭おうとする。

 けれど、カレンはミリアーナの手を振り払うようにして、涙を溢れさせた。


「冤罪の可能性があるってことは、私の話を信じてないってことだよね……?」

「そういうつもりではなくて……」

「ミリアーナなら、私の話……信じてくれると思ってたのに……」


 カレンは涙で滲んだ瞳を擦りながら、ミリアーナと見つめ合う。


「ごめんなさい……カレンの話を信じていないとか、そういうことじゃなくて……」

「私は、ずっとずっと、シャロット様に心を傷つけられてきたの……!」


 カレンの震えた声は、この場にいる人たちの胸を打ち始める。


「ごめんなさい……ごめんなさい、カレン……」

「ずっとミリアーナのことを信じてたのに……私の親友は、ミリアーナだけだと思ってきたのに……」


 カレンの心はミリアーナに裏切られたという誤解に満ち、ミリアーナは胸が締めつけられるような気持ちに駆られているのが伝わってくる。

 ミリアーナだけでなく、衛兵たちまでもがカレンの言葉に感化されていく。


「カレン、お願い、話を聞いて……誤解なの、信じて……?」


 ミリアーナはカレンの手をしっかりと握り締め、カレンを裏切っていないことをアピールしていく。


「信じてくれるの……?」

「本当よ、カレン。私はずっと、あなたの味方よ」


 なんて素敵な友情だと感動せずにはいられなくなるような名場面だけど、このままカレンのペースに巻き込まれるわけにはいかない。

 今まで立ててきた計画が、すべて水の泡になってしまう。


「ごめんなさい……ごめんなさい、カレン……私……あなたが冤罪になると思ったら怖くて怖くて……」

「ミリアーナは、疲れているの。少しくらい判断を間違うときもあるわ」

「カレン様、お待ちください!」


 シャロットの立場が悪くなると感じた私はとっさに、カレンを呼び止めるために彼女の名前を叫ぶ。


「侍女の方も、随分と苦しい想いをされてきましたよね」


 でも、カレンから返ってきた言葉は気遣いの言葉。

 悪役令嬢に仕える侍女を気遣う言葉が投げかけられるだけで、シャロットは侍女に酷い仕打ちをする少女だと印象づけられていく。


「シャロット様には、とても良くしてもらいました」


 ゲームの中で描かれているのは、あくまで主人公と悪役令嬢のやりとり。

 悪役令嬢と侍女のやりとりなんて、まったくといっていいほど描かれていない。

 記憶にない物語を作り出すのは難しいけれど、シャロットが善き主だったことを精いっぱい語るために口を動かす。


「誰も私のことなんて気にも留めてくれなかったのに、お嬢様だけは弱かった私に手を差し伸べてくれました」


 シャロットの元に仕えることができた短い時間を思い返すだけで、心に温かい感謝の気持ちが広がる。

 シャロットの優しさと強さに触れるたびに、私は彼女に心を温かさで包んでもらった。

 たとえ短い時間の中でも、シャロットは侍女を大切に想ってくれる主だったことを主張していく。


「シャロットお嬢様がいなければ、今の私は……」

「本当に、そうだったのですか?」


 本当に、という言葉を強調するカレン。

 侍女に、シャロットとの思い出がないことに気づいているような言い回しを怖いと思った。


(でも、ここで負けるわけにはいかない)


 ここで口を止めてしまったら、カレンに主導権を握られてしまう。

 カレンが作り出した流れに乗っかったら、シャロットは確実に断罪ルートに進んでしまう。


「もちろんです! シャロットお嬢様は、いつだって私にお恵みを……」

「以前、あなたが泣いていたのをお見かけしたことがありますよ」


 カレンの言葉を真っ向から否定することができず、私は言葉を詰まらせた。

 転生令嬢は、シャロットから酷い仕打ちを受けたことはない。

 でも、私が転生する前の侍女が、シャロットのことをどう思っていたかなんて分からない。


「それは……シャロット様のお優しさに感動して……」

「適当なことを言わないで」


 シャロットを救うために言葉を紡いでいたはずなのに、その言葉たちはシャロットの声に遮られた。


「さっさと連れていきなさい。断罪の時刻が過ぎてしまうわ」


 蔑むような視線を向けてくるシャロット。

 その視線を受けて、もう何も言葉を発することができなくなってしまった。


「さあ、今日で何もかもが終わります。さあ、一緒に広場へ向かいましょう」


 学園の人気者であるカレンから、令嬢に仕える侍女へと手が差し伸べられる。

 周囲から、なんて情に深い人なんだろうと感嘆の声が上がっていく。

 みんながみんな、カレンの味方になっていく。

 みんながみんな、カレンの虜になっていく。


「カレン様!」


 それでも、声を上げなければ始まらない。

 これは、悪役令嬢シャロット・レトナークを救うための物語だと信じて声を出し続ける。


「どうか、お嬢様を助けてください! カレン様のためなら、なんでもします! どうか、お嬢様の命を救ってください!」


 カレンはしばらくの間、無言で私を見つめていた。

 彼女は主人公らしい可愛い笑みで溢れているのに、私には何を考えているのか分からない笑みこそ不気味に思えてしまった。


「カレン……ダメよ……」

「ミリアーナ? どうかした?」


 考えごとをしていたカレンは、ミリアーナに名前を呼ばれることで口を開いた。


「だって、私をそそのかしたのは、そこの侍女だもの! 恵みなんて必要ない!」


 いつも冷静で頼りになる生徒会長のはずが、今日は違った。

 カレンに嫌われたかもしれないという思い込みに耐え切れず、地面に膝をついた。

 ミリアーナの肩は震え、涙が頬を伝って落ちていく。


「私は……私、そこにいる侍女のせいで……カレンに嫌われて……」


 声までが震え始め、言葉にならないミリアーナの悲しみが一気に空気を汚染していく。


「お願い、カレン……侍女の話に、耳を傾けないで……」


 ミリアーナの涙は止まらず、誰がどう見ても私とシャロットにとって分が悪い環境が整えられていく。


「ミリアーナが、こんなに苦しんでいるのはあなたのせいだったんですね」


 カレンから、主人公らしい柔らかな笑みが消えた。


「さきほど、おっしゃいましたよね」

「何、を……」

「シャロット様を救うためなら、なんでもすると」


 でも、すぐにカレンは主人公らしい笑顔を整える。

 彼女は優しい笑みを浮かべているはずなのに、まとっている空気は凍りついているかのように冷たい。

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