第78話 「善悪」

コスタスが戸をノックすると、少し間があったが、すぐに先ほどの、星砂の小ビンを籠に持っていた年長の少年が出てきた。コスタスとトゥーリの姿を認めると、ああ、さっきの、と笑顔を浮かべた。


「どうかしましたか?」


「あのお土産を作っているところを、ぜひ見たくて。見せてもらうことはできるのかな?」


コスタスはお気楽で好奇心旺盛な観光客といった風情で少年に訊ねた。少年は、ああ!と合点がいったように頷いて、いいですよ、どうぞ、と、あっさりトゥーリたちを家の中に招いた。


建物に入るとすぐに、広い部屋に机がいくつも並んでいて、そこに星砂や、貝殻、小石、ガラスの破片、そして小さなビンと蓋にするコルクなどが小皿に分けて置いてあって、年齢のバラバラな子どもたちがわらわらと群がっておしゃべりしながらお土産を作っていた。子どもたちは来客には慣れているのか、トゥーリたちの姿を認めると人懐こく、こんにちはと言って、作っているものを見せてきた。


「ここはルテル孤児院です。アートス・ルテル様が建てた孤児院で、こうやってお土産を作ったり、観光案内をしたり、あとは、勉強をしたりして、みんなで暮らしています」


トゥーリたちは思わず顔を見合わせた。アートス・ルテル。それはサーニガルドで起こったクーデターの結果、ロジエ家を滅ぼし、現在サーニガルドの元首を名乗っている人物ではなかったか。


「アートス・ルテル様は、よくここに来るのか?」


コスタスが訊ねると、少年は少し寂しげに、いいえ、と首を振った。


「でも新しい年の始めには必ずいらっしゃいます。そのときに、新しくここに入る子どもたちの歓迎会をして、それからここを卒業する子はアートス様と一緒について行くんです。十六になると、子どもから大人になったということで、サーニガルドや、ノールガルド、クハル山脈の方に、アートス様のお仕事を手伝うために旅に出るんです」


少年は希望に満ちた表情で説明した。トゥーリは心臓が嫌な速さで脈打ち始めるのを感じた。


「クハル山脈の方は、プランダラーにとってすら厳しい環境だと聞いたことがある……大変じゃないか?」


コスタスがその名を出して訊ねたので、トゥーリはドキンとした。少年は今度は強く首を振った。


「プランダラーとは、人々が勝手に言い出した名前で、僕たちに名前はありません。しかも最近は、度を過ぎた人たちも現れていて、彼らと僕たちは違います。僕たちはただ、必要な人たちのために、必要な分だけ、採取するのが難しい薬草や魔物をとって分け与えるのが使命です」


かかってしまった、と、トゥーリは、思わずコスタスの表情を見たが、コスタスはただのお気楽な観光客の顔を張り付かせたままだ。コスタスは少年たちをプランダラーと呼んだわけではない。プランダラーにとってすら厳しい、と、比喩的に言っただけなのだ。その曖昧な言い方はどうとでも捉えられたはずだが、少年は自分たちがその一党に関わりがあると、コスタスの欲しかったであろう情報をまんまと喋ってしまった。コスタスは巧妙な罠を仕掛けたのだ。


トゥーリの心を乱したのはそれだけではなかった。少年の言った、必要な人たちのために、必要な分だけ、採取するのが難しい薬草や魔物をとって分け与えるということ。それはまさにラースが生業としていたことで、ラウリもトゥーリもその探索に一緒に出かけたではないか。それが、プランダラーのやっていることと紙一重だったことに気がついて、トゥーリはさあと血の気が引いていく思いがした。


そして少年は、度を過ぎたプランダラーと自分たちとは違うのだと言った。トゥーリだって、ラースのやっていることはプランダラーと一緒だと言われたら、それは違う、と言うに決まっていた。けれど、プランダラーと呼ばれる者たちを、誰がはっきりとそうであると定義できよう。どこからどこまでが、人々のための仕事で、どこからがプランダラーなのか。誰がそれを線引きし、許し、あるいは許さずにいるのか。店を構えていれば、市国同盟間やギルド内で共通のルールが守られているだろうが、ラースは完全にそれらの外にいる。言わば慣習的に、見逃されていただけと言える。


トゥーリの葛藤をよそに、コスタスはどんどん話を進めてしまう。薬草も集めているのか、見てもいいかい、と朗らかに言って、奥の部屋へと入って行った。トゥーリはそれに遅れないようについて行くだけで精一杯だった。


そしてそれはそこにあった。『星の湖』を取り巻く岩肌に生えるコモレビソウ。タソガレソウ。オツキミソウ。トモシビソウ。他にも、ヒカリニンジン、ユメキキョウ、ワスレッポイネンの蕾など、プランダラーが森を荒らして採取していたものがあった。それらは籠に広げられて乾燥され、細かく砕かれ、きちんと畳まれた薬包紙に包まれて山積みにされていた。部屋中に、あの『命の花』の気配が、薄らと漂っている。コスタスが、見てもいいかい、と少年に訊ねると、少年は親切に、どうぞ、と、薬包を一つコスタスに手渡した。それをためつすがめつして、指先で感触を確かめると、コスタスは頷いた。あの娘から取り上げたもの、それからマックスがカフェ・ジェムで手に入れたものと、同じだったのだ。


「これは何に効くんだい?」


コスタスが興味津々といった風に訊ねると、少年は自信満々に、何にでも、と答えた。


「頭痛、咳、熱、腹痛、何にでも効きます。煎じ方を変えるだけなんです。頭痛のときは普通の熱湯で、熱の時はシナモンを入れたお湯で煎じるんです」


なるほど、とコスタスは感心している様子を見せた。トゥーリはもうやめてほしかった。


「一つ、持って行ってください。お嬢さんは、あまり元気がないみたいだから」


少年がトゥーリを気遣わしげに見て言った。コスタスは、少年によくお礼を言って、その場を辞した。


ルテル孤児院を出て十分離れたところまで来ると、コスタスは手にした薬包を日に翳した。


「どうやって煎じる?トゥーリ」


「ふざけないで」


「本当に具合が悪そうだ」


「あんな、騙すようなこと……コスタス、酷いよ」


「酷い?」


コスタスは心外だという顔をしてトゥーリと向き直った。そして、トゥーリが自分を睨みつけているのを見ると、鼻で笑って言った。


「俺が綺麗事ばかり言うと思っていたか?これは遊びじゃない。はじめに言ったろ、お嬢さん」


トゥーリはカッと頭に血が昇るのを感じた。ラウリが、トゥーリ、と宥めるように名を呼んで、肩にそっと手を置いたが、それを振り払った。コスタスと、彼に詰め寄ろうとするトゥーリの間にラースが割って入った。そして静かにコスタスの目を見た。コスタスはため息をついて、肩をすくめた。


「すまない。上品な方ではないんでね」


懐に薬包をしまうと、一人その場から離れて、町の中へと消えて行った。トゥーリはそれを追わなかった。ラウリとラースは、トゥーリの傍らに残った。

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