答え合わせ編
26. ヘイ大将
「なんですか。真舟編集長」
早朝1番、出社するなり編集長に呼ばれた。
声色と表情からどうも不機嫌そうなご様子だ。
胃がキリキリする。
「なんですか、じゃねぇよ。なんでお前今日もパーカーなんだよ。」
いつになく苛立ってる真舟編集長。
何?パーカー?
昨日と同じくしてパーカーを着てきた何が悪いんだろう。
「弊社、パーカー禁止令でも出たんすか?」
眉間に少しの皺を寄せてわたしは尋ねる。
内心、どこか挑発的なわたしとは対照的に、
編集長は結構真剣にわたしを睨みつける。
え?うわ。これほんとに怒ってる。
まさかほんとに出たんだろうか。パーカー禁止令。
わたしはキョロキョロと目を泳がせる。
しびれを切らした編集長が机を両手でバンバン!と叩く。
鉛筆がコロコロと転がって、落ちた。
「今日はジャパンメディアアワードの表彰式だろうが!正装で来いって言っただろ!!」
オフィスに怒号が響く。
…ジャパンメディアアワード?? 正装??
朝から最大出力で怒鳴られて、まだ完全に起きていない脳みそが飛び跳ねる。
そして飛び跳ねたわたしの脳みそは、心当たりが全くない単語の羅列に困惑している。可哀想に。
「はぁ?なんだよお前、その恰好で壇上に上がってスピーチすんのか!?えぇ!?」
ちょうど出社した潮田が不意打ちの怒号に「ヒッ」と声を上げ、『最悪…』の顔をする。
完全に臨戦態勢の編集長。沸点到達。
ボルテージMAX。なんちゃらサイア人。だ。
しかし当の矛先わたしはというと、困ったことに何のことを言っているのかほんとにさっぱりわからないのである。
壇上??スピーチ??アワード???
「ちょちょ、ちょっと、待ってくださいよ」
ご立腹の編集長を、手のひらを大きく広げて制する。
「そのジャパン…アワード?ってなんです?何?
壇上で、スピーチ??って?なんですか?」
オフィスに沈黙が流れ、エアコンの音だけが聞こえる。
「…は?お前…メール見てねぇの?」
氷水でもぶっかけられたかのように、編集長の怒りの熱が冷める。束の間の沈着。
「…見ました。だからパーカーで来ました」
オフィスに沈黙とクエスチョンマークが充満する。
相変わらずエアコンの音だけが聞こえている。
「編集長、これ…。」
潮田がパソコンでメールボックスを確認する。
画面に映る、昨日受信した編集長からわたしへのメールを3人で覗き込む。
そこには【明日は清掃。】とだけ書いてあった。
「これ、漢字…間違ってません?」
解釈次第では『犯人はお前だ』とも取れる潮田の言葉に、オフィスの空気は完全に凍りつく。
「ピッ」とエアコンの温度を1度上げて、わたしは一言。
「"汚れてもいい服"で来たつもりなんですけど」
片方の手でフードの紐をつかみ、ぶらぶら揺らしてみせた。
編集長の顔が青ざめていく。
「正装」と「清掃」の漢字を間違えたのだ。
自分の左腕にパチンっとしっぺをして
「ごめんな、」とわたしに謝る。
「だからいつも言ってるじゃないですか!メールは送信する前にちゃんと確認してくださいって!壇上にパーカーで立つの、サメ子先輩さすがに可哀想過ぎません!?」
潮田が編集長の耳元で叫喚する。
ほほほ。入社して半年。彼女も言うようになったもんじゃわい、と笑う脳内の能天気お爺さんを蹴飛ばして、正気のわたしは脳内センターマイクを奪う。
「ちょっと待ってってば。何なの、その壇上に立つっての」
「え。だからジャパンメディアアワードの。」
「だから!そのなんちゃらアワードってなんなんですか!?」
またもやオフィスを沈黙が支配する。
オフィスの静寂が飽和静寂量に到達し、窓ガラスにピシッと亀裂が入る。
「…もしかして、サメ子先輩、自分の記事がジャーナリズム賞を受賞したって話、聞いてません?」
「……うん。…聞いてないよ」
「……お前、…まさか…ほんとに全部、何も聞かされてねぇのか?」
「……? 何も聞かされてねぇ、です」
「じゃあ先輩、賞金70万円のことも、聞かされてないんですか?」
「何?70万っ?え?わたしの記事、なんか賞、取ったんですか?」
混沌だ。これをカオスと呼ばずして何時が混沌だ。
わたしの知らないところで、何やらビッグなわたしの三面記事が号外で出されているらしい。
「これヤべぇわ。完全に俺の伝達ミスだ。当の本人だけに知ってると思い込んでた。サメ子、すまん。」
「謝ってくれればそれでいいんですよ…(^^)、じゃない!!!!ちゃんと1からわたしに分かるように説明してくださいって!」
怒りと混乱から柄にもなくノリツッコミまでしてしまった。
編集長がチラリと潮田を見る。
代わりに説明してくれ、って意味だろう。
「今日は東京でジャパンメディアアワードっていう、編集者やら記者やらカメラマンなんかを対象にした、報道やメディアに関連する職業全般の表彰イベントがあります。主催は文部科学省。まぁまあ規模は大きめです。ちなみに、3ヶ月前くらいには社内で通達されてました。」
「そこでお前のジョブログの記事がジャーナリズム賞を取った。世の中の出来事や日々の時事的な問題にいい感じに突っ込んだ記事に贈られる名誉ある賞だ。流石は俺の見込んだ部下。天才。最高。当事者のお前にはサプライズのために黙ってた。ってことにしてくれ。マジゴメン。ホントにゴメン。」
この期に及んで、さっきの怒号と沈黙をチャラにしようとしてる。
大人げないなぁ、とか思いつつも、わたしの鼓動は早くなる。
わたしの記事が、賞を取ったらしい。
わたしの仕事が、なんかとんでもなく偉い人たちに評価されたんだ。多分、そういうことだ。
「すご…。凄いことですね。それ」
「サメ子先輩にはスピーチの時だけわたしの服貸しますんで。喜ぶのはそれくらいにして、もう会社出ないと新幹線間に合わないです。チケットは私が3人分持ってます。」
喜びに浸るわたしに、潮田が腕時計を指さして言う。
文字盤が長ネギくらいの直径しかなくて、それ時間見えんの?と聞きたくなるが、この子がいてくれてよかった、と思った。
1番若くてキャピキャピしてるくせに、この中の誰よりも大人だ。
急いで机の上のファイルやら筆箱なんかを適当にリュックに詰め込んで、早足にオフィスを出ようとする2人の後ろを追いかける。
「ねぇねぇ。わたしの賞取った記事ってどれ?このあいだのお弁当やさんのやつでしょ?え、もしかして占い師さんのやつ?それか駄菓子屋さんのかな?あれ自信あったんだよ我ながら」
そうだったらいいな。と思った。
岬ばあが脳内でわたしに親指を立てる。
編集長がこっちを振り向く。
「いや、あれだ。屠畜場のやつ。」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「サメ子、悪かったって。ごめんって。」
辞を低く、わざとらしくわたしに媚びへつらう真舟編集長をわたしは睨みつけながら口いっぱいにお寿司を詰め込む。
「ほら、サーモン食うか?サーモン。へい大将、こいつにサーモン握ってやってよ。デカいやつ。」
東京での表彰式も終わり、今は五反田のお寿司屋さんのカウンター席。
結局わたしは、文部科学大臣含むお偉い方や日本中の記者、その数約2000人の前で(潮田の服はサイズが合わなかったので)、"汚れてもいい服装"ことパーカーにジーパンの格好で壇上に上がり、ほぼアドリブで短いスピーチをした。
その時の記憶はもちろんほぼ無いが、潮田曰く、屠畜場で見た残虐な光景を淡々とロボットみたいに話すわたしが、会場にドン引きの狂飆を巻き起こしたらしい。
「な、サメ子、そんなに詰め込むなって。ゆっくり食べろよ。服、汚れるぞ。」
「汚れてもいい服で来たんです!!間違えて!」
反抗期の子供のようにわたしは喚く。
ごはん粒がポロポロとパーカーに溢れる。
「そいえばサメ子先輩、賞金の70万は何に使うんですか?」
潮田が甘海老をちまちまと食べながら聞いてくる。
寿司を一口で食べない人間がいるんだ、と自分の世界が今日も広がる。
「あぁ…あれ、実はさっき全部使っちゃったんだよね」
「ドォヘ!!ゴッボォゴフゴフガフ!!!!」
編集長がブサイクな犬のように大きく咳き込む。
苦しそうに咽た後、お茶をガブ飲みする。
潮田が編集長の背中を平手でバンバンと叩き、ゴックンと無理矢理飲み込ませる。
「ハァ、ハァはぁ!? もう全額使ったぁ!? なに、お前、車でも買ったのか?借金か?まさか競馬か!?競艇!?いや、ホストクラブか!?」
「もしかして男ですか?ついに男できたんですか先輩!結婚ですか!?」
「いや、車でも馬でも男でもないんですけど…、うーん…内緒。内緒です」
賞金70万円は、正しい使い方をしたと思う。
「ヘイ大将っ」と手を上げて、わたしは大トロを頼んだ。
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