18. 延長線上

◇◇(1)◇◇


「それでは!9年ぶりの再会を祝って!乾杯!!」


と、なるはずだったんだ。


いつもより少しだけ高いウインナーを焼いて

ビールと駄菓子で夜通し話す。 

修学旅行みたいな、柄にもなくパーティーの真似事をできるもんだと思ってた。


9年も待ったんだ。

いいじゃないか。今日くらい。

少なくとも、ついさっきまではそう思ってた。




すっかり忘れてた。

計算が狂うんだ。人生ってたまに。





もみじや店主  岬 冬由華 は8月8日 83歳をもって逝去しました。

ここに生前のご厚情を感謝し謹んでお知らせ申し上げます。

なお、通夜及び葬儀は遺族の意向により亡母の生まれ育った高知の地にて近親者だけで執り行います。


           令和 12年 8月 9日

                喪主 岬 慶次郎



 


閉じたシャッターに貼られた張り紙を見つめたまま、ジリジリと照りつける太陽の真下。


わたしは立ちすくむ。

岬ばあが死んでしまった。


なぜだろう。

不思議と涙は出なかった。



「音季はもう社会人なんだから、少しは大人の女性らしくしなさい」


こんな時になぜかお母さんの言葉を思い出す。


大人らしくってなにさ。

迷わないこと?

仕事をしてお金を稼ぐこと?

それとも、こんなふうに涙が出ないことだろうか。


どうして大人は泣かないんだろう。

昔から不思議だったんだ。


どうして、

わたしも泣かなくなっちゃったんだろう。



背後から3人の視線を感じる。

心配してくれてるのが気配だけでわかる。

目の前の小学生たちもまるでわたしに気を使っているかのように黙って下を見ている。



半ば放心状態のわたしは

なんとか笑顔をつくってみせる。

大丈夫。とは口に出さなかった。



「岬ばあ、この駄菓子屋のおばあちゃんね、とっても仲良くしてたんだ。毎週遊びに来てお話したり、釣り堀で隣同士座ってお話したり。とっても優しいおばあちゃんだった。」


9年ぶりに再会した3人に、まるで自分に言い聞かせるように説明する。

まだ現実に思考が追いついてない。


いつの間にか思い出になってしまった岬ばあとの記憶に、表情筋を滅茶苦茶に動かしながら、わたしは歯を食いしばり、目を強く瞑り、頭を垂れる。



「読んだよ。"損益を鑑みない仕事" だろ。」


顔をあげると三宮和弘ジェットがわたしを見つめている。

今気づいたけど、卒業式の日よりだいぶ背が伸びた気がする。



「もみじやの岬おばあちゃんでしょ?私も覚えてる。確か4月の記事よ。」


続けて辻宮彩純あすみちゃんが私の手を握る。

彼女はわたしを喜ばそうとするとき、手を握るんだ。9年前と変わってない。




なんで?もしかしてみんな、週間テトラの、

わたしの記事…ずっと読んでたの?



「音季の記事好きだよ。」


京坂千鶴お京もわたしの背中を擦ってくれる。

月光のような強くて優しい眼光がわたしの意識を吸い込む。



なんだ。ずっと見られてたんだ。

タイムカプセルの中で、見ててくれたんだ。

自分の脈拍を忘れた心臓が、少しだけ落ち着いた。 



狂乱していたわたしの脳みそが【岬ばあは死んでしまった】という変わらぬ事実と、【できることなら、もう一度会いたい】という叶わぬ思いを交互にぶつけてくるフェーズに入る。


「お葬式ってもう終わっちゃったのかなぁ」


藁をも掴む思いでわたしは呟く。


「亡くなったのが一昨日なら、昨日がお通夜で今日が葬式と火葬だと思う。」


お京が教えてくれる。

あぁ。大人になるって、たぶんこういうことだ。

教養があるってことだ。

 


頭の中で日本地図を広げて、高知まで線を引く。


「岬ばあのお葬式 高知県か…。

ここから、愛知からどれくらいかな」


「車で10時間近くかかると思う。ときちゃん、残念だけど、流石にもう間に合わないよ。」


どうやらテレポーテーションでもできない限り、どう頑張っても、最期に岬ばあに挨拶に行くことは叶わなそうだった。

今になって、ぐぢゅぐぢゅとした泥のような感情が加速する。


岬ばあが死んでしまった。


もう、会えないんだ。

お話もお別れもお礼も

まだまだ話したいこと、たくさんあるのに。

あの優しい笑顔に、もっともっと会いたかった。


じんわりと視界が涙で揺らぐ。

そのとき、


「ん~…いや、間に合うかもしれないよ。」


シャッターに貼られた張り紙を見つめたまま、ジェットがつぶやいた。


「ここから空港までタクシーで約25分。そこからすぐに高知空港まで飛べば、なんとか火葬する前には間に合うかもしれない。」


駄菓子屋の店先に沈黙が走る。

男という生き物特有の習性だ。

いきなり根拠もないデカいことを大真面目に言ったりする。


「でもさ、空港からすぐ飛べば、って簡単に言うけど、そんな都合よく愛知から高知へ直通便が飛んでるの?」


「もちろん、旅客機は無理だ。そもそもこの時間には直通便は無いし、チケットとって搭乗手続きやら保安検査するだけでも2時間近くはロスするね。」


「じゃあどうやって?ジェットくん、自家用ヘリでも持ってるわけ?」



「自家用ヘリは勿論持ってないんだけどね。

忘れちゃった?昼に飛ぶ貨物輸送機。」


ジリジリと照りつける太陽の真下。

8月の大空にジェットが人差し指を立てた。



「ドリームリフターだよ。」






◇◇(2)◆◇


13歳の夏。中学1年生の私がいたあの夏。

3人のすぐ頭上を大きな飛行機が通り抜けたあの夏。


私とあすみちゃんが"開いた口が塞がらない"のを照れくさそうに、でもどこか誇らしげに見ていた少年。


今、大人になった彼が目の前で、今にも零れ落ちそうな、大人になったわたしの涙を塞き止めた。


「今ならまだ間に合うよ。鮫川氏。」


行くんだろ?と目で語りかける。

そっか。本気で言ってるんだ。


「ドリームリフターって、あの、中1の夏休みに見に行った?」


あすみちゃんがわたしとジェットを交互に見る。

中3から登場したお京はキョトン、と「何それ?」

の顔をしている。


「現在ドリームリフターには日本各地域の工業地域に精密機器の部品なんかを運ぶ小型の機体があるんだ。ドリームリフターのプラットフォームは愛知県のセントレア空港。そして四国地方の拠点は高知空港からすぐの工業団地。今から空港に急いで四国の直行便に乗れば、約70分後には高知空港に到着するはずだよ。」


待ってましたと言わんばかりの自慢げな早口で話す航空オタク。

これだけの台詞を一文字も噛まない。


「ちょっと待って。理屈はわかったけどそう簡単に乗れるわけ?そのドリームリフターに。」


あすみちゃんが当然の疑問をぶつけると、ジェットがポケットから名刺入れを取り出した。



「約束通り、僕、パイロットにはなれなかったんだけどさ、あれから航空大学に進学して今は航空貨物の会社に勤めてる。技術職として機体の管理をしてるんだ。もちろんドリームリフターの管理もすることがあるわけ。まだ下っ端だから僕にそんな権限はないんだけど、上に無理言って何としてでも乗せてもらう。だから間に合う。急ごう。」


早口でジェットが言う。噛まずに。 


岬ばあにまだ会えるかもしれない。

ほんの僅かだが、真っ暗だったわたしの中にポツリと豆電球程の灯りが灯った。



「現在時刻は9時35分。10時15分発の高知空港行の小型機が1便ある。到着は50分後の11時5分。鮫川氏、岬ばあさんのご実家の住所はわかる?」


どうやら飛行機のダイヤは全部頭に入っているらしい。ジェットが早口で聞いてくる。


そうだ。仮に高知空港に着いたとしてもそこから岬ばあの故郷までどれくらいかかるかわからない。 


それに葬儀場の住所もわたしは知らな…

3人の顔を交互に見まわして、釣り竿のリールを回すジェスチャーをする。



「釣り竿!!釣り堀に置いてる岬ばあの釣り竿に住所が書いてあるタグが付いてた!」

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