⑩・月夜

 奈緒の部屋。窓から月が見える。

 奈緒と礼子は、いつものように仕事終わりの女子会だ。

 今夜は盃で日本酒を飲んでいる。

 「なんで今日もあたしの部屋なの? なんか最近、あたしの部屋で飲むことが多くないですかぁ?」奈緒が不満そうに言った。

 礼子は、するめをライターで炙りながら言い返す。「嫌なの?」

 「じゃないけど……。でも一応、人様が来るから片づけなきゃなんないしさぁ」

 「だからいいんじゃない。あんたの部屋、人が来ないとゴミ屋敷になっちゃうでしょ」

 奈緒は言い返すのを諦めて、盃の酒を一口飲む。

 「あっ。これ美味しい!」

 「でしょ。これ、下手な吟醸酒より美味しいと思うよ」

 「やっぱり礼子さんの地元、宮城のお酒?」

 「残念ながら、これは違うのよ。青森の酒。『田酒』っていうんだけどね」

 「へー。あたし、日本酒って職場のオジサンたちが飲み会で無理やり注がせるイメージだったから敬遠してたけど……これ、いいよね」

 「次はワイングラスで飲んでみよっか」

 礼子は二人のワイングラスに酒を注いだ。

 奈緒がワイングラスに入った日本酒を一口すすって目を輝かせる。

 「うわぁ。こっちのほうが、香りが立つわね」

 礼子がにやりと笑う。

 「なんで今までコレで飲まなかったんだろうって思うよね~」

 「それにしても、マスターの正体って一体……」

 奈緒が再びグラスの日本酒をぐいっと一口飲んで言った。

 「まぁ人それぞれ意外な一面があるわよ」と礼子。

 「意外すぎでしょ! 牧師なのに元戦争のプロって。……ん? あれっ。マスターって元特派員じゃなかったっけ?」

 「何かワケがありそうね。でも、これ以上は詮索しないほうがいいんじゃない?」

 奈緒、スマホをいじって調べ始める。

 礼子が呆れ顔で言う。「おいっ。人の話、聞いてないな」

 「やっぱり、そこまでは分からないか~」奈緒がスマホを放り出して言う。「本人に聞くのもナンだし。奥さんが外国で亡くなってることと何か関係があるのかなぁ?」


 佐原は自分の部屋でひとり、窓辺にもたれて夜空を見ている。

 サイドテーブルには、美佐子の写真立てが置いてある。

 今夜も、佐原の想いは十年前のバルジ共和国へと飛んでいく―

 首都ラウダ。

 佐原と美佐子は、織物や雑貨の露天商が並ぶ通りを歩いていた。

 「こんな地球の果てまで美佐ちゃんを連れて来てホントに良かったのかなぁ。二人分の大事な体なのに……」若き日の佐原が妻を見て心配顔で言った。

 「こっちの産婦人科は設備も整ってるから大丈夫よ。こんな素敵な国、やっぱり一緒に来て正解だったわ。それに、サトル君、わたしがいないと淋しくて眠れないくせに」

 そう言って美佐子は悪戯っぽく佐原に微笑んだ。

 佐原は頭を掻く。

 「う~ん……ここだと日本語が通じないから、こんな会話をしてても恥ずかしくないんだよなあ」

 佐原と美佐子は、互いの顔を見つめて笑う。

 ふたりは、アクセサリーを売る露天商の前で立ち止まった。

 「あら。これ綺麗!」と美佐子が三日月型のネックレスを指差す。

 「美佐ちゃんの方が綺麗だよ」と佐原が言った。

 「もう……」と美佐子が恥ずかしそうに言う。「サトルくん、外国だからって調子に乗りすぎよ!」

 「いらっしゃい。安くしとくよ」

 突然日本語を喋り出した露天商の男に、二人は驚いた。

 「日本語、分かるの⁈」と美佐子。

 「はい。昔、日本に留学してました」と露天商が淀みない日本語で答えた。

 佐原は顔を真っ赤にして横を向く。

 そんな佐原を見て、美佐子はくすくすと笑った。

 美佐子の笑顔……

 ―遠い日の記憶だ。

 妻の言葉や表情が鮮明によみがえり、佐原は眠れなくなった。

 三日月型のネックレスを手のひらに置いて眺めてみる。

 窓から月が覗いている。

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