十二

男と別れて向かい、二ヶ月ぶりにみた飛脚オフィスは、焼け落ちていた。仮住まいの屋根の下で、ニグスムルガルが座ってなにか話しているのが見える。

前に座っているのは、フンズだった。フンズが顔を上げ、ニグスムルガルが振り返る。

「無事だったのか」

ニサバの姿を認め、ニグスムルガルが立ち上がる。

「そうそう、届いたぞ」

発明家は嬉しそうに言う。

ニサバは、普段どおりの彼の様子に気が抜けてしまう。

「二回とも届いたんだ、やはりあの改良が良かったようだな」

「意味は、通じたの」

「この護衛は役立たず」

ニグスムルガルが、笑いながらニサバの顔を見る。

「それから二回目は、北の軍が来た、だった」

北の兵士のことは、すぐに役人にも知らせたよ、とニグスムルガルが言う。本気にはされなかったが、ともかく事務所の奴隷たちを開放し、避難させることはできた。

「でも結局、私の玩具は間に合わずに、すべて燃えてしまったけれどね」

襲撃は、突然始まったらしい。夕方近く、北の兵士たちはすでに、城壁から二ダンナほどの距離に迫っていた。農民たちは、兵士たちが来る前に、早々に、誰にも知らせずに、畑や家を放棄して避難していた。

王宮の見張りは機能しなかった。通信によって北の兵士たちのことを知ったニグスムルガルが、役人たちに危険を伝えたが、その知らせは役人たちの順列の中のどこかで消えてしまった。一方、ニグスムルガルのことを信じた、目端のきく何人かの役人は、その日のうちに王宮から姿を消した。

北の兵士たちが一ダンナほどの距離に迫り、馬の鳴き声やざわめきが聞こえて、やっと王宮の兵士たちが城壁の守りについた。しかし、人数は圧倒的に少なかった。そして、ほとんど何の抵抗もしないままに城壁が破られた。

襲撃を行ったのは、北の兵士だけではなかったらしい。東からも東山の国の兵士たちが合流した。東山の国からは、城壁を崩すための道具や、多くの弓兵が参加した。攻撃は、事前によく都の周囲の国に根回しをされていたようだった。

日暮れに、大きな櫓が城壁のすぐ外に建てられて、巨大な槌に何度か突かれると城壁は崩れた。火矢が放たれ、家々の屋根が燃え上がる。兵士たちが、城壁の中になだれ込んだ。王宮の兵士たちはほとんど抵抗もできずに、矢で貫かれたり、撲り殺されたりした。王宮のある東町は破壊された。

放火、暴行、そして略奪が二日ほど続いた。しかし、北の兵士たちは疲れ、今は町の中は落ち着いた状態なのだという。

「東町はほとんど手つかずに残っているよ。やはり東町は華やかでも燃やし甲斐があるからな」

襲撃の際に城壁の外に避難していたニグスムルガルも、城内の落ち着いた様子を聞いて、事務所跡に戻っていた所だという。

「王とその兄弟、家族は殺された」

ニグスムルガルは続ける。

「兵士たちは、今は主に王宮で過ごしているんだ。そして、規律を正すためか、みせしめの処刑を時々行うようだ」

煉瓦敷きの道に、蹄の音が響いた。馬たちが近づいてくる。

ニサバは恐慌状態になりかかるが、ニグスムルガルが動じない様子を見て、かろうじて自分を抑えた。フンズも、何気ない顔で通りを振り返る。

「ニグスムルガルというのは、あなたですか」

聞き覚えのある声。

ハラプシティという名前の、あの女の声だった。

彼女の横には、小柄な男が立っている。脇に従えている北の兵士たちとは、服装が違っていた。丈が長い目の細かい服を着て、羽飾りのついた帽子をかぶっている。

女は、ニグスムルガルのそばに立つニサバを見て、驚いたようすだった。

「死ななかったのか」

これがデイメリチアの話に出ていた、北の司令官なのか、と思う。

剣をさげてはいるが、腕は細い。しかし、狡猾な表情で、目つきもするどい。どこか、事務所に出入りしていた他国の商人たちの中でも、有能な者たちに似た雰囲気がする。

あなたが、飛脚業のニムスグルガルですか。あなたと大切な話をしたい。お互いのためになる、商売の話をしたい。女が、男の喋る北の言葉を、共通語に言い換える。

この店が焼かれたのは申し訳なかった。兵士たちを完全に、意のままにあやつれるものではないのだ。兵士たちには報酬を約束している。それがために、なんとか規律をたもってきたのだ。

この都の役人たちはまったく役に立たない。私の言うことを理解してくれない。私の請け負った仕事としては、マルドゥク神の像を得られれば、目的は果たせたのだ。もうすぐ雨の季節が来る。神の像は、北の国につれてゆく。使えそうな奴隷たちも集めてほしい。あとは、兵士たちのしばしの休息だ。食料と、酒と、女だ。

そのためには、ニムスグルガルの協力が必要なのだと男が言う。あなたは顔がひろく、人々のことを良く知っているという。あなたの言うことならば、人々は耳を傾けるという。

それまで黙っていたニグスムルガルが言った。

「それで、私になにをしろというのだ」

少しなまりはあるが、流暢な北の民の言葉だった。ニサバは、ニグスムルガルが北の民の言葉を操るのを初めて聞いた。

男はニグスムルガルの言葉に、不意をつかれたようだったが、今度は直接ニグスムルガルに語りかけた。

どうやら男は、ニグスムルガルに兵士たちと人々の仲介役をさせたいようだった。兵士ではなく、人々に信頼されているニグスムルガルに言われれば、従うものも多いだろう。

あなたならわかるだろう。これは商売のようなものだ、兵士たちが必要とするものを提供すれば、人々の安全は守る。

「気は進まないが、立場はわきまえている、協力はしてやろう」

ニグスムルガルが言う。

「しかし、私にもささやかな条件がある」

これは私の娘だ、と言う彼の言葉に、ニサバは驚いた。この娘の家族を安全に逃がしてほしい。その位の願いは聞いてくれるだろうな。そして、この男は私の商売仲間だ。彼が、私の娘の安全を見届ける。その後で、この男といっしょに、私お前達の面倒を見てやることにしよう。

「それでも問題はないな」

「抜け目がないな」

北の司令官が言う。大丈夫だ、協力をしてくれるかぎりお前の家族の安全は保証しよう。

我々の通行証を渡してやろう。

事務所の隅に、事務所が焼かれたときに救い出されたらしい品物が重ねて置かれていた。黒く焼けた書板の山。土でできた書板は燃えてしまうことはなかったが、多くは熱で割れて砕けていた。ニグスムルガルの発明品も、ほとんどは焼けて灰になった様子だった。ニサバは、その山の中に自分の鞄を見つけて、そっと抱えあげた。事務所の二階の、自分の場所に、いつも置いていたものだ。

「それだけしか持ち出せなかったんだ」

ニグスムルガルが言う。

フンズが、パン屋の場所はよく知っているので案内をするという。それはそうだ、あの男を連れてきたのは彼だった。

再び事務所の外に出る。事務所の周囲は焼け跡が目立つ。煉瓦作りの壁の多くは黒く残っているが、屋根や家具はすべて焼けてしまっている。瀝青が溶けて、壁が崩れた家もあった。

子供たちが瓦礫で遊んでおり、時折、瓦礫中からなにかを拾い集めている人々がいる。しかし、全体的に人々の影は少ない。強い日差しの中で、焦げ臭い匂いの中に、腐敗臭も混じっていた。所々に立っている北の兵士の姿だけが目立っていた。

東町を横切り、王宮の壁を大回りする。フンズに導かれて、ニサバは橋を渡り、西町にはいった。

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