第三十九話「巨大迷路」
沈黙の呪いも、いつの間にか解けていた。
わたしたちは、巨大迷路の教室にたどり着く。
「ここ! 巨大迷路!」
「……で、巨大迷路ってなんなの?」
「巨大な迷路だよ!」
「……そっか、巨大な迷路か」
「ほら、ここに説明書いてあるよ」
教室のドアのすぐそばに、手書きのポップが置かれていた。
『タイムアタックモードと探索モードがあります。
タイムアタックモードは、参加者同士でタイムを競い合います。
上位者は掲示板に記録され——』
「タイムアタックで勝負しよ!」
碧は、やれやれと呆れた表情を浮かべた。
「だと思った。時間は勘で数えるしかないけどいい?」
「うんうん、いい!」
「どっちから行く?」
「わたしからで!」
「……迷路だぞ?」
「分かってるよー。勝負には勝ちたいんだから、脅かすような道草食ってる場合じゃないって」
「どの口が言う」
「何か?」
「……なんでもない。ゴールのドアの前で待ってるから、さっさと始めよう」
碧が後ろのドアの前に移動する。
「それでは、雫選手、準備はよろしいでしょうか?」
「ちょっと待って、伸びをしたいん——」
「位置について、ヨーイ」
「お?」
「ドン!」
「ちょ、ちょっと!」
「いーち、にーい、さーん……」
他人の話を聞かずにスタートさせる碧の合図で、
わたしは慌てて駆け出した。
中に入ってみると、思いのほか手強い作りになっていた。
二歩ほど進むと、すぐに行き止まり。
左右に分岐している。
わたしは左を選択する。
クネクネした道を進むが、分岐が少ないおかげでスムーズに進める。
「わっ、最悪!」
進み切った先が行き止まりだった。
思わず小さく舌打ちする。
急いで来た道を引き返す。
戻る途中、左手に小さめの通路があることに気づいた。
「こういうのもありなのか……」と、小声で呟く。
通路は幅が狭く、わたしはカニ歩きで進んだ。
抜けた先は大通りだ。
その後の分岐もほぼ迷わず、
一直線であとはゴールを目指すだけ。
中腰で走るような設計ではないが、
鍛え上げた脚力で駆け抜ける。
わたしは、勢いよくゴールのドアを開けた。
「ゴール! タイムは?」
右を向く。
……碧の姿がなかった。
わたしは右だけでなく、廊下全体を見渡したが、どこにもいない。
「碧……?」
喉の奥に、冷たいものが絡みつく。
——二時間、経った?
いや、体感ではそんなに経っていない。
でも、体感ほど信用ならないものもない。
そして、その時間が早かったという実感だけは確かにあった。
たとえ二時間が経過していたとしても、碧は今ごろ体育館に戻っているはず。
しかも、この距離なら身体への影響もないだろう。
それなのに、わたしは焦っていた。
——碧が、まだこの二階にいてほしい。
必死で碧を探し回った。
この時間がなかったことになるのが怖い。
体育館に戻れば、また一緒に回れる。
でも、それではダメだと思ってしまう。
——見せてくれたあの時間が嘘であったと思いたくない。
わたしは廊下を走った。
止まった人の間をすり抜け、隣の教室、一番端のランチルームまで探す。
——どこにも、いない。
一階は展示の教室がいっぱいあったはず。
隠れやすそうなところは少ないので、逆に隠れている可能性がある。
階段を降り、一階の教室を探そうとした瞬間。
「雫ー!」
二階から、碧の声がした。
振り向くと、碧が呑気に手を振っている。
「……どこにいたの!?」
「ここの壁。雫が凄い勢いで階段降りていくから、びっくりして呼び止めた」
息が上がったわたしは、何も言えずにいた。
「お化け屋敷のお返し」
碧は屈託のない笑顔を向ける。
わたしは、無言のまま二階へと戻る。
そして、碧の目の前に立ち、ふんわりとした蹴りを繰り返し足に当てる。
「痛い痛い、なに?」
「許さない」
「悪かった、悪かったって! だから、やめてくれる? 痛い!」
どれだけ心配したと思っているんだ。
でも、わたしは。
許していないのに、許していて。
苛立っているのに、笑っていた。
こんな気持ち悪い矛盾が、とても心地よかった。
「もう、碧には迷路もさせません」
「えー、マジ?」
「当たり前でしょ? タイムも測ってないんだから! わたしの勝ち!」
「えー……」
「文句ある?」
碧が、ぶんぶんと首を振る。
わたしたちは、他愛のない話をしながら、わたしの案内で外へ向かった。
——文化祭二日目のわたしは、こんなにうまくできてたのかな。
まず、碧と二人きりになる状況を作り出すこと。
いや、最初からつまずいていたに違いない。
誘おうとしてやっぱりやめて、志保を連れてくるのがオチだっただろう。
それとも、志保の方がわたしをまいて、碧と二人で回っていたかもしれない。
どちらにせよ、二日目はそうなるんだろうな。
わたしが邪魔ばっかりしてるから、
二年の文化祭になっちゃったんだよなあと、
今ならなんとなくだけど、分かる。
でも、それでも、この夢の中だけは。
独り占めすることを、許してほしい。
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