第三十七話「文化祭二日目」
碧は、目が覚めた時、体育館の床で倒れていた。
こうして、考えることができることが奇跡だと思うぐらい、
全身が潰されるように刃物で切られたように痛い。
口の中に広がる鉄錆のような味が、現実感を歪ませる。
生暖かい血の味がした。
ああだめだ、意識が朦朧とする。
何も分からない。
なんとか教頭を止めて、演劇の終盤を見ていて、暗転して。
誰か、誰か。
あれ、雫、いない?
きっと、担架とか持ってきてくれてるんじゃないかな。
ああ見えて、雫は優しいから。
*
わたしは体育館前にいた。
乗ってきた自転車を放り投げる。
遊園地からここまで二時間弱と言ったところだろうか。
本当にギリギリの距離を碧は来たんだな。
だから、体がどうなっていてもおかしくない。
全部、全部、全部、わたしのせいだ。
これで最後、本当にちゃんと死ぬから。
——どうか、神様、碧を生かしてあげてください。
体育館の入り口で靴を脱ぎ捨てて、
メインコートのドアを開けた。
「雫ー! これってどうなってるんだ?って雫……?」
わたしがするのはお門違いだ。
そんなことはわたしが一番分かっているはずなのに、
どうしても涙が止まらなかった。
わたしは碧に背を向ける。
「なんでもない! 碧、こっち来て!」
「え? いや、説明してくれよ。俺、パニックだよ」
涙が止まると振り返り、碧の元へ駆け寄る。
「おい、その傷大丈夫か?」
「ほら! 行くよ!」
わたしは、碧の手を引いて体育館を後にした。
碧がわたしの手を振り解いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。説明が欲しい」
「たぶん、碧が見たままが答えだよ? 起きたら時間が止まってた。違う?」
「……いや、違わないんだけど。本当にあり得るのか?」
「わたしの言葉、信用できない?」
「……信じるよ」
「よし、そうと決まれば行こっか」
「行くって、どこに?」
「何言ってんの? 今日は文化祭だよ? 行くところいっぱいあるじゃん」
「いや、にわかには信じ難いけど、時間が止まってるんだろ? そんな中で文化祭って……」
「それも、ワクワクしない?」
「……する」
碧は不安そうに笑いながらも、わたしの隣に並んだ。
二人は靴を履き替えて外に出る。
わたしは出店の列を指差した。
「まずは腹ごしらえだね」
「なんか食いたいものでもあんの? いや、ちょっと待って、当てる!」
碧はわたしの目の前に手を広げ、出店エリアを見渡す。
「分かった! クレープ!」
「……本当にその回答でよろしいでしょうか?」
「……はい」
無駄な沈黙の後、わたしは口を開く。
「……正解です! そんな碧選手には、わたしのクレープを分けてあげる権利を差し上げます!」
「え、そんなことあるんだ……雫が、クレープを……」
「どんなイメージ持ってるのよ」
「だって、雫から『ちょっとちょうだい』で分けてもらったこと、たぶん一度もない気がする」
「たぶん、でしょ?」
「うん、たぶんだけど」
「なら、碧の勘違いだよ。こうやって幸せを分け与えることができるいい人だから」
「……まだ貰ってないけどな」
「焦らないの、碧選手」
あ、チュロスもありかも。
主食系からスイーツ系まで充実した出店の間を二人で歩く。
クレープの屋台に到着し、わたしは横から屋台内へと入る。
「おい、なんでそっち!」
「だって、いくら待ってもクレープは出てこないでしょ?」
「……そっか」
「わっ、チョコバナナだ! 美味しそう!」
焼き終えたクレープを調理担当の手から、さっと没収する。
そして、再び屋台の外へ。
律儀に屋台の前で待っていた碧の隣に並び、
勝ち誇ったようにクレープを見せつけた。
「どう? いいでしょう?」
「でも、分けてくれるんだよね?」
「え、あげないよ?」
「約束って……」
「いただきます!」
わたしはチョコバナナクレープに小さめの一口でかぶりついた。
「時間が止まってても普通に食べられるんだな」
「ほべられるほ」
「なんて?」
口の中にまだクレープ入ってるでしょ、どう見ても。
「……食べられるよ。仕組みはよく分かってないんだけどね」
「ふーん、詳しいんだな」
「……はいっ、あーん」
次の言葉をかき消すように、
わたしは食べかけのクレープを碧の口元に突き出した。
碧はあたふたしながらも、大きく開けた口でクレープを頬張る。
「……ありがと、うまい」
「でしょ、でしょ。碧もこれで甘党の仲間入りだね!」
「いや、元々甘党だって俺」
「そだっけ?」
「お前らが超甘党なだけだよ」
「そんな甘党な君は、次に何を選ぶのかな?」
わたしは、握り拳を碧の口元へと近づける。
「たこ焼き」
「おい」
「すぐそこだし、行こ」
「いいけどさー」
わたしは残りのクレープを口の中に詰め込み、
クレープの包みを屋台前のゴミ箱に放り投げた。
クレープ屋の斜め前に位置するたこ焼き屋に到着。
碧を先頭に屋台の横から調理場へと入る。
作り置きはなく、調理中のたこ焼きはまだ半焼け。
とても食べられる状態ではなかった。
しかし、碧の視線の先には、
すでに完成したたこ焼きのパックがある。
ただし、それは明らかに誰かの購入済みの商品だった。
「それってもう、会計済みだよね?」
「な、なんのこと?」
「いや、それだよ」
わたしは、お客さんが手に持っている買ったばかりのたこ焼きを指差す。
「これ食べても時間が戻ったら食べてないことになるとかないかな?」
「……さあ?」
碧は無言でお客さんの手からたこ焼きのパックを取り上げた。
熱かったのか、一度手の中でパックが宙に浮く。
わたしは碧の腹を人差し指でツンツンとつつく。
「碧も、悪だねえ……」
わたしには目もくれず、
碧はパックを開け、中に入っている爪楊枝を手に取る。
そして、出来立てのたこ焼きを、わたしの口に押し込んできた。
冷ますことなく、ストレートで。
「はい、これで雫も共犯」
「ほえ、はふんばはふんは」
「美味しい?」
口の中の状況を整えつつ、なんとか熱さをしのぐ。
空気の通り道を作り、舌を少しずつ当てながら、
ようやく落ち着いた。
わたしはパック内のもう一つの爪楊枝をつまみ、
フェンシングさながらの動きで目の前の碧の口に向けて突き刺す。
「ちょっ、まじで、ほら!」
「まっ」
碧の口の中に、無事たこ焼きが投入された。
「ほらほらー、熱いでしょー」
碧はなぜか、体を回転させながらジャンプしていた。
おかしすぎて、お腹を抱えて笑う。
「何なの、その動きっ! なになに、なんかのモノマネ?」
「……はあ、絶対火傷した。上の方、確実に」
「一緒だね」
「嬉しくねえよ」
「反省は?」
「……したした。っていうか、雫もやり返してるから同じだろ?」
「まあねー」
その後、わたしたちは残りのたこ焼きを全部食べた。
もちろん、無謀な食べ方はせず、一個一個丁寧に割り、フーフーしながら。
時々たこがパック内に落ちて、奪い合うシーンもあった気がする。
でも、八個入りのたこ焼きの中で、一番美味しかったのは最初の一個だった。
きっと、出来立てだったからだ。
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