第7話 ダストシティに着いたかも!
太陽は沈みかけ、空は夕暮れと藍色の暗がりのグラデーションが綺麗だった。
マナは高台の自転車レーンを走っていた。
道路は高台の端を沿うように延びていて、眼下にはダストシティの街が一望できる。
ダストシティは一番の都市で、政府の中枢機関や、大企業がひしめき合うビル街もある。人の賑わいはウィンタレインには劣るが、その分治安が整っていて住みやすいため、住宅も多い。マナが走っているところはマンションの小さな明かりが灯りだしていた。
道路わきに自転車止めたマナは煙草を取り出して一服した。
ウィンタレインシティから三日、旅にも慣れて、広い高原を横切ったこともあった。
季節も暑かったあの旅立ちの日から、今は肌寒い。
思えば色んなことがあった。主に食べたことだけだが、他人から見れば立派な旅だと思う。
でもマナはどこか虚しさを感じていた。煙を吐いても侘しい感じがする。煙草にはこの気持ちを変えてくれる力はないらしい。
マナはポイっと煙草を地面に捨てて、靴で火をもみ消した。両切りたばこはフィルターが付いてないから、道に捨ててもすぐ土にかえる。(よい子はまねしないでね)
さて、もうすぐダストシティの中心部だ。夕飯はどこで食べよう。
マナが自転車に乗ろうと、ハンドルに手をかけた時、突然、お腹に痛みが走った。
「イタタッ」
マナは思わずお腹を押さえる。崩れるように身体が地面に着いた。
(これは……まずいかも)
さてはお腹を壊したか。しかし、マナの胃袋は強靭だ。それに最近はたくさん食べたものもない。
考えが辿り着いた先は一つ……病気!
「ま、まずい! ホスピタル!」
マナは急いでナビギアを起動した。
近くの病院を探す。しかし、どこもやってない。少し遠いが、とある総合病院が候補にあった。
「あった。サウザウントスプリング……変な名前かも」
マナは少しためらったが、そんな悠長してる場合でない。
マナは目的地をサウザウントスプリング総合病院に指定して、ルートを表示させた。
なんとか歩けるが、とても自転車をこげる余裕はないので、押していくしかない。
夕日はほとんど沈みかかっていた。辺りが暗くなると、マナも焦りが出てきた。このまま無事に病院にたどり着けるのか。
救急車を呼んだ方がいいのではないか。それかタクシー。
たしかにこのままゆっくり行って、病院が閉まってしまったら元も子もない。
呼ぼう。そう決めた時、急にお腹の痛みがなくなった。
「あれ、戻ったかも」
ホッとマナは安堵のため息をついた。
これで夕飯が食べれるかも!
すると、ナビギアの画面に文字が表示された。
――ヘルスサポート機能により、病院のルートを最優先にします――
マナはちょと呆れた顔を浮かべる。
このナビギアは前にタカラと働いた時にもらった最新のナビギアで、マナもまだ使い方がわかっていなかった。
何度も画面を触っても、表示は変わらない。
「あーん、早く行かなきゃお店が閉まっちゃうかも~」
マナは泣きべそをかいて、自転車をこぎだした。
サウザウントスプリング総合病院は街の中心部から少し外れた閑静なところにある。広い立地の大きな病院だ。近くには街で一番広い公園があった。
外はすっかり暗くなり、僅かばかりの街灯が道を照らしていた。
マナは自転車を降りた。
病院の入り口は中の照明が漏れて明るかった。
「はぁ~やっと着いた」
マナはもうお腹が痛かったことなんか忘れて、早く夕飯を食べたかったが、ナビギアのせいでここまで来ることになった。マナにとってはもう無駄足の気分でいた。
しぶしぶ病院に入る。
マナは少し驚いた。
「げえー、混んでる。こんな時間なのに」
マナの予想外のことに、受付の待合席は急患の人でほとんど埋まっていた。
マナは受付に向かった。必要な手続きはナビギアをかざしてすぐに終わった。
「只今、込み合ってまして、マナさんには臨時の先生が診察しますので、別室でお待ちください」
「へぇー、別室で診てもらう?」
マナは眉をひそめた。
(やっぱり、変わった病院かも。大丈夫かなぁ)
仕方なくマナは案内された部屋に向かった。階段を上がり、廊下に並んだ扉の一つに入る。白いベッドが置かれた部屋で、なんだか入院した気分になる。
マナはベッドに入って待つことにした。ベッドの上に足を伸ばして座った。
少し経ってから、廊下を早足で歩く靴の音がした。
扉が開いて、男が入ってきた。スーツの上に羽織った白衣の襟を慌ただしく正している。固めた髪型の前髪が時間の経過で少し垂れ下がっていた。
「あっ」
見れば、その男はシマであった。
「なんだ君か」
シマは安堵した声を出して、白衣のシワを伸ばす手を止めた。
「ここで働いてたんだ」
マナは友人と久しぶりの再会にうれしかったが、なぜか、少し緊張した。以前のように親しく話しかけられない感じがした。今のシマはかつての友人というより、一人の医者にみえた。それでもマナはこの寂しい壁を壊したかった。
シマは手慣れたようにベッドの横の机の上に置かれた診察の器具を片付けている。その間の沈黙でさえマナは気まずかった。それとなく話しかけてみる。
「どう? 忙しい?」
「ああ、忙しくてかなわん」
シマは淡々と答えた。
聴診器を首に下げて、体温計を手に持った。
「しかし驚いたな、こんな所で偶然の再会なんて。ココノツから出たの?」
「前に言ったかも! 旅に出るって」
「ああ、そうだったね。食べ歩きの旅だったっけ」
「うん。それでここまで来たのよ」
「ハハハ、何か悪いものでも食べたのかな」
「とんでもないかも。……ねぇ、聞いてよ。それがね、かくかくしかじか……」
マナはこれまでの旅の話をした。ココノツから出て、金も体力もなくて、それでもやっとラーメンが食べれて……
シマは楽しそうに笑顔を浮かべて聞いていた。仕事ばかりのシマにとってマナの話は一種のエンタメで心を和ませてくれた。
「それで、急にお腹が痛くなったの。盲腸かも」
「盲腸じゃないよ。とにかくそれは診てからじゃないと分からないよ」
するとシマは無造作にマナの胸のチャックを下ろした。
「ちょっと!」
「仕方ないだろ」
「自分で脱ぐかも」
シマは黙ってマナに体温計を渡した。熱は平熱だった。次に腕を掴まれ脈を測られる。それが終わると、聴診器を体に当てられた。ここまであっという間というほど、シマはてきぱきと無駄なく動いた。
シマはマナのお腹に手を置いてから、一人納得した。
「うん、やっぱりアドバンス(薬の名前)の副作用だね」
「?」
「僕らの歳特有の症状なんだ。昔、ホルモン剤を打たれたろ?あれの副作用が人によって出るんだ」
「そんなの聞いてないかも」
マナは心配になる。
「治るの?」
「大したことないんだ。腹の痛みは一日で治まるよ。それから目が悪くなるね。それだけだよ」
「目が悪くなるのは困るかも」
「眼鏡を買うんだね」
シマは煙草を咥えた。
「これからどうするの?」
「一度帰るのもありかも」
「イケは出征したよ」
「えっ?」
よく聞こえなかったので、マナはもう一度聞いた。
「イケは出征した。戦争に行ったんだ」
「なんで?」
「さぁ」
シマは懐から小さな封筒を取り出した。パリパリと音が鳴る黄ばんだ封筒だった。
「この前手紙が来たんだ。だいぶ急だったらしくて出すのが遅れたらしい。ほら、見ていいよ」
そう言って、シマは二つ折りの手紙を渡してきた。手紙には写真もついていた。髪を短くしたイケがしゃがんでいる。目線はどこか外れていた。笑ってはないが、不満があるというわけでもなさそうだ。リラックスしている。休んでいるところを急にカメラで撮った、そんな感じだった。
マナは手紙を見た。
――親愛なる友へ、僕は今チューリ島にいる。今になってあの卒業式の校長の話が脳裏によぎるよ。僕は僕に与えられた使命を大いに頑張りつもりだ。君のことだから何も心配することはないけれど、明日のことは分からない。厚かましいかもしれないけど、親友として、僕のいない後は君に一切頼むよ――
「戦争してるの?」
マナは今まで知らなかった。イケの出征にも驚いたが、何より自分の国が戦争してる自体知らなかった。
「なんだ知らないのか?」
シマはいぶかしげに眉をひそめた。
「だって聞かなかったんだもん」
「そりゃそうさ、誰だって好きで話す奴なんかいるもんか。みんな遠慮してるんだよ。 ……それにしても驚いたな。君は暢気で後の事なんか考えない子だとは知っていたけど、それでよく生きてこれたね」
シマは毒づいた。しかし、心からそう思ったから素直に言った。
「じゃあ、養ってよ」
言ってマナは恥ずかしくなった。これはプロポーズみたいなものだ。自分でもあまりに急だと分かってるが、つい言ってしまった。お腹から喉が熱い、きっと顔は赤くなってる。早くシマの返事を聞きたかった。
シマは気まずそうに一度目を伏せる。
「……それが無理なんだ。僕も次の招集に選ばれてね、軍医として働かなくちゃいけなくなったよ」
「えっ?」
「北のチューリ島ね、僕もそこなんだ」
気分がドギマギする。男ってみんなそう。大事なことを先に言わない。サプライズ気取りか、クソクソクソクソ!
何て言ったらいいのか。返す言葉が見当たらない。腹が立つ。マナはシーツを握りしめた。それでも、シマはどう思っているのか気になった。やっぱり男の人は戦争に行きたいのかも。
「うれしい?」
「わからん。第一僕らに自由なんてものはなかったんだ」
シマはどこか物悲し気にまじまじと答えた。
すると、部屋の扉が開いて看護師がシマを呼んだ。
「じゃあお別れだ。 ……明日には腹の痛みも治るだろう。それまで休むといいよ」
シマは立ち上がり、去ろうとする。
「待って、さっきのイケ君の写真欲しいかも」
「ん? ……だめだめ、これはイケが僕に送ってきたんだ」
「でも、男の人が男の人の写真を持つのはちょっと変かも。もしかして、ボーイフレンドかも」
シマは機嫌を損ねて、きっぱりと否定した。
「ばかだなぁ、こいつ。ほらやるよ」
シマは写真をマナに渡した。
「ありがとうかも。 ……シマ君のも欲しいかも」
マナはナビギアのカメラ機能を使った。
シマは白衣のしわを伸ばし、ぎこちない笑みを作った。
「もういいね」
「待って、向こうに行っても手紙欲しいかも」
「うん、きっと送るよ」
そう言ってシマは出て行った。
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