第40話 縁結びの木の怪(16)

「そうだね……。私もできれば女に生まれたくなかったよ。だからと言って男に生まれたら良かったとも思わない」


 私は深呼吸をひとつすると落合に向かい合った。落合の背後で先端が丸く結ばれた赤い布が風も無いのに揺れる。


「子供の時はかわいさを求められて。力がないことを責められて……。大人になってもやっぱり美しさを求められて……。そのうち男と結婚して子供を産むことを望まれて。家事もやって仕事も完璧にこなせって……。それができなければ立派な女性とは認めてもらえない風潮、本当にうんざりする。男も女も関係なく圧力をかけてくるからたまったもんじゃないよね。それで納得できる人ならいいけど納得できない人もいる。あんたの気持ちに影響された先生や生徒がいるのも良く分かる……」


 私の話を聞きながら落合が歪な笑顔を浮かべている。恐らく自分と同じ場所に来てくれると思ったのだろう。

 残念ながら私はそちら側へは行かない。


「でもね……私はこんなどうしようもない世界でもしぶとく生きてやるよ。誰よりも自由に生きて、私を押さえ込もうとする奴らを後悔させるんだ。それが私にとって最大限の復讐だから。周りが期待するようには生きてやらない。あの日、決めたんだ。私は男でも女でもない……私として生きていくって」


 私の言葉に落合の大きな目が見開かれる。落合を取り巻く異様な雰囲気がほんの少し緩んだような気がした。


「私はあんたを許さないよ。逆恨みで色んな人を苦しめて……落合の弱って傷ついた心を利用したこと」


 私は落合に憑りついているであろう華島ハツを強く睨んだ。


「奪った人の心を……落合を返せ!」


 どうして落合が縁結びの木までやってきたか……。私は最悪の事態を考察して学校まで走ってやってきたのだ。

 サイトに書かれた最後の一文。


『Fさんさようなら。私は今夜、友達に会いに行きます』


 あの一文の意味は……。


「落合はあんたの友達じゃない!私の友達だ!あんたと一緒のところへは行かない……私が行かせないから!」


 普段出さないような声を出してむせそうになるのを辛うじて耐える。


「どうして?生きてたって辛いことばかりだよ。これからもきっとそう。辛いこと、苦しいことしか起こらない」


 落合か、華島ハツか分からない言葉が投げやりな口調で吐き出される。


「そうかもね……。でも私は落合に生きてて欲しい」


 本当のところ落合がどう思ってるのか分からない。華島はなしまハツと一緒にこの世界から消えたいと思っていたとしたら私は落合の邪魔をしているということになる。

 死なないで欲しいと思うのはいつだって他人の身勝手な考えだ。死にたい人の苦しみを完全に理解することはできないし、取り除くこともできないのに。

 落合が人気者だからとか、死のうとしている人を止めるのが常識だとか関係ない。

 私が落合の死を止めるのは……ただ落合が左隣の席にいて欲しいからだ。隣の席でつまらない揶揄いを聞き流して、カフェに行って何の生産性もない下らない話をしたい。とても落合の絶望を打ち消すような大層な理由じゃない。

 そんなこと分かってる。

 「生きてて欲しい」は私の残酷な我が侭だ。全身全霊、人生を懸けた我が侭だ。

 もし落合が私の我が侭を聞いてくれるのなら……その時は私も落合の絶望を半分もらってやりたい。死にたいという気持ちを、女に生まれた重荷を一緒に引きずって生きていく。


「嫌だ……。ひとりは嫌だ!嫌だ……嫌だ」


 落合は激しく頭を掻きむしり首を横に振った。華島ハツが私の言葉を拒否しているのだろう。

 落合は笑みを浮かべると、縁結びの木の方を振り返る。その手が掴んだのは……先端が輪っかに結ばれた赤い布だった。


「嫌だ。この子は私のお友達になったの!だから……私と同じ場所へ連れて行く!」


 落合の顔で笑顔を浮かべると背伸びをして輪っかの中に首を入れる。


「……駄目っ!」


 私は右手を伸ばし、強く念じた。


 切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ切れろ……!


 華島ハツという怨霊との縁を。女であることのしがらみを。落合に纏わりつく悪いもの全てを……切るんだ。


 全部……切ってやる。


 私に向かってくる悪意を悪縁を……。これから襲ってくるであろう、女であるが故の苦痛も。全て断ち切って生きるんだ。


 それが私を苦しめるモノへの私の最大限の復讐だから。

 赤い布の輪に首を引っかけて揺れていた落合の身体が土の上に落ちた。

 その瞬間、縁結びの木に結びつけられていた赤い布が血のようにあちこちに散らばった。風もなく、人の手も使わずに布が解けるはずもないというのに。

 細長い布がひゅるひゅると歪な動きで地面に落ちる光景をぼんやりと眺める。

 人の執着に近い強い願いが……解けていく。

 今まで見てきた中で説明がつかない不可思議な現象で、美しい光景だと思った。

 落合が激しく咳き込む声を聞いて私は慌てて我に返る。


「落合!」


 名前に「さん」付けするのも忘れて落合に駆け寄った。


「落合!大丈夫?すぐ人を呼ぶから!」

「ふみ……か?」


 落合の虚ろな目が私に手を伸ばす。


「良かった……私達、友達だったんだ」


 ふっと笑うと伸びてきた落合の手がそのまま地面に落ちた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る