第17話 これ以上ないくらいの最悪

 魔王軍を追い出された俺は、行き場を失った末に冒険者として生きる道を選んだ。


 ──とはいえ、別に有名なりたかったわけでも、最強の称号が欲しかったわけでもない。むしろ真逆。怠惰で平穏な生活への憧れ、それが唯一の動機だった。


 俺がたどり着いたのは、王都から少し離れた旅人の多い街。はじめは四天王時代の装備や宝飾品を換金し、その金で自由に遊んで暮らしていた。


「これでようやく、夢の自堕落生活が送れる……!」


 そんなことを本気で思っていた。何にも縛られない生活は最高だったし、街ののんびりとした雰囲気も俺に合っていた。もちろん、俺が魔族だとバレる気配は微塵もなかった。


 だが、一つだけ誤算があった。俺には人間界における金銭感覚というものが、絶望的に欠けていたのだ。ちょっと良い宿に泊まり、美味いと評判の飯屋に通い詰め、毎晩高価な酒を呷る。そんな生活を続けていたら、あれだけあった財産は驚くべき速さで溶けていった。


「……やべえ、もうスッカラカンじゃねえか」


 ついに宿代も払えなくなり、俺は仕方なく職を探す羽目になった。とはいえ、真面目に働くなんてのはまっぴらごめんだ。誰かに指図されるのも、面倒な人付き合いも、もうこりごりだった。


 そんな俺に残された唯一の選択肢。それが実力さえあれば良く、いくらでも自由に稼げる『冒険者』だったわけだ。


 魔族の証である魔眼の力は、人間社会で生きる以上使うわけにはいかなかった。そのため、俺は眼帯を左眼から右眼へと移し、この力を封印して暮らしていた。


 ​だが、この力を使わずとも魔法は使えるし、元四天王としての経験と勘が錆びついたわけじゃない。戦闘能力にはそれなりに自信はあったため、どうせ何とかなると俺はと確信していた。


 こうして、冒険者としての生活を始めたのだった。


 最初は最低のFランクからだった。依頼のほとんどは薬草採取といった雑用か、ゴブリンやスライムといった小動物レベルの魔物討伐。四天王だった頃の激務に比べれば、あくびが出るほど楽な仕事だった。俺は淡々と依頼をこなし、地道にランクを上げていった。


 ​ちなみに仲間との交流なんてものは一切ない。誰とも関わらず、最低限の会話しかない生活。俺のことを奇妙に思う者もいただろうが、干渉してこないのならどうでもよかった。


 そうして能力を封じたまま活動を続けていると、気づけばBランク冒険者にまでなっていた。


 ​Bランクというと、ギルドの報酬だけでも十分生きていけるくらいの実力者。いちいち生活費を気にする必要もなくなり、ようやく理想の自堕落な生活に手が届き始めていた。


 そんな感じで、俺は悪くない生活の基盤を確立できたのだ。


 Bランクになってからは、主な依頼はダンジョン探索となった。普段潜っているのは、中層に分類される二十階層付近。出現するモンスターはそこそこ強く、また危険なトラップも多い。


 だが、この深さならば先人たちによってほとんどマップが完成していた。よほど油断しなければ命の危険はほとんどない。


 実入りもそこそこだし、適度な緊張感がある。

 このくらいの環境が、俺にはちょうどよかった。



 そんなある日のこと──


 いつものようにダンジョンを探索していると、一体のミノタウロスが目の前に立ちはだかった。全身が鉄のように硬い皮膚で覆われた厄介な奴だが、動きは鈍い。隙をつけば、さほど苦労せずに倒せる相手だ。


「さて、とっとと終わらせるか」


 冷静に動きを見極めると、ミノタウロスの大振りな斧が空を切る。俺はその隙を確認し、懐へ踏み込もうと脚に力を込めた。


 ──その時だった。


「サンダーランス」


 澄んだ声が響いたかと思うと、背後から放たれた雷の槍が、ミノタウロスの頭部を正確に貫いた。断末魔の叫びさえも上げさせず、その巨体は黒く焼け焦げながら崩れ落ちる。


「なっ……!?」


 突然の出来事に驚いて振り向くと、そこに立っていたのは見知らぬ少女だった。


「なによ。こっちは急いでるんだけど」


 淡々とした口調で言い放つ彼女は、深緑のコートを羽織り、腰には一本の剣を携えている。黒に近い藍色の長い髪をポニーテールにまとめ、整った顔立ちは十代後半といったところか。


 だが、その射抜くような鋭い瞳は、獲物を前にした獣のそれだった。​俺は怒りを抑え、できるだけ冷静な声で抗議する。


「おい、これは俺の獲物だ。勝手に横取りするな」

「別に横取りじゃない。遅いから代わりに片付けただけ。そのドロップアイテムは要らないから、あなたにあげる。それで文句ないでしょ?」


 少女は心底どうでもいい、という顔で言い放った。その言葉に、俺はさらにイラついた。


「いや、そういう問題じゃねえよ。冒険者には暗黙のマナーってやつがあるだろ。知らないのか?」

「馬鹿にしないで。知った上で言ってるの。ルールは強者が作るものよ」


 悪びれる様子もなく、何食わぬ顔で言い返してくる。あ、ダメだ。これは間違いなく、一番関わってはいけないタイプの人間だ。魔王軍にいた、頭の固いエリート主義の奴らと同じ匂いがする。


「はぁ……。お前、何者だ?」

「私を知らないの?」


 心底意外だ、とでも言いたげな表情。その揺るぎない自信が、また俺の神経を逆撫でする。


「ああ。あいにく他人に興味がなくてな」

「ふーん、なら教えてあげる」


 完全に見下した態度で、彼女は胸を張った。


「私はルゼ・ヴァンデール。このあたりじゃ一番強い、Aランク冒険者よ」


 ──ルゼ・ヴァンデール


 その名は、人への関心が薄い俺でも聞いたことがあった。


 わずか一年、という驚異的な速度でAランクに上り詰めた天才。対人戦でも全戦全勝を誇り、その剣術は圧倒的。さらに、いいとこの貴族の家柄ながらなぜか冒険者をしており、しかもソロにこだわって活動しているといった謎の多い人物……。


 ​なんか、そんな感じだった気がする。ギルドの酒場で冒険者たちが騒いでいたのを、聞き流した記憶があった。


「ああ、ルゼ・ヴァンデール。お前がそうなのか」

「そうよ。何か文句でもある?」

「ああ、大アリだ。Aランク様だか知らないが、マナーくらい守れ。ランクが高いからって何でも許されるわけじゃない」

「ふん、だったらもっと早く倒せばよかっただけでしょ。私は先に行くから、あんたもせいぜい死なないようにね」


 その態度には、明確な侮蔑が込められていた。彼女はそれだけ言い放つと、俺に完全に背を向けて通路の奥へと歩き出した。もはや会話を続ける気はまったくないらしい。


「……ふざけやがって」


 呆れたように舌打ちをし、深呼吸をして無理やり気持ちを落ち着かせる。


 そう、これが俺とルゼの初対面。

 第一印象は、これ以上ないくらいに最悪だった。

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