第32話 それはラッキーか、アンラッキーか?

 デビュー戦となった試合の翌日の月曜日。大久保先生に呼び出されて職員室に行くと、先生の机の前には、先に宮本先輩と林先輩がいた。わたしもその二人に並ぶように立ってビシッと直立不動する。

「次の日曜日の準決勝なんだけど」

 大久保先生は、言い淀みながら頭をぼりぼりと掻いた。

 そして吐き出すように言った。

「長谷川がスタメンで出る」

「え!!」

 わたしだけが大声を出した。

「ハセガー、次の試合、ドクターストップ出ちゃったんだ。一応、ベンチには入るけど」

 宮本先輩が残念そうに言った。

「私の足は、まだ全然無理」

 林先輩が悲しそうな顔で続く。

「宮本は頭を打って、短時間とはいえ気を失ったんだ。大事を取りたい」

「もし、勝ったら、決勝は絶対に私が出るから」

「地区大会まで進めたら、私がベンチに入る」

 先生、宮本先輩、林先輩がわたしを説得するかのように言う。

 ふーっと息を吐く。

「……分かりました。準決勝、わたしがキーパーをやるしかないんですね」

 覚悟するしかなかった。

 そんなわたしに林先輩が追い討ちを掛ける。

「ハセガー分かってる? 一試合は前半後半で80分だけど、決勝トーナメントだけは、同点だったら延長戦が前半10分、後半10分、それで決着が着かなかったらPK戦だからね」

「ぴーけーせん……?」

 わたしが棒読みで呟くと

 知らないの!?

 先生も先輩たちもそんな顔をした。



_____




 準決勝は、雨だった。


 梅雨時期だから仕方がない。大雨ではないからマシな方だとは思うけど、今朝からずっとしとしとと鬱陶しく降り続いてる。このくらいの雨じゃ、サッカーの試合は中止にならないけど、雨の試合って、ボールが水を吸って、芝生にも水が滲み込んで、ボールは重くて転がりにくいし、ユニフォームや芝生が肌に張り付いていつもどおりに体が動かない。

 しかも。

 準決勝の相手は、昨年の選手権の県大会で優勝して全国に行った、付属陽湘学園高等部。わたしがバスケットボールの特待生推薦で進む筈だった高校だ。スポーツの名門校だけあって、サッカーも県内では強豪校だった。まぁ、わたし知らなかったけど。

 それでも陽湘のユニフォームを見ると胸がもやっとする。

 だってサッカー部もバスケット部と同じデザインなのだ。「陽湘ブラック」とみんな呼んでいた。上衣トップスの袖と脇、パンツのサイドは白。他は黒で、黒地にはよく見ると細い黄色いストライプが走っているけど、近付かないと見えない。

 背番号4にふと目が向く。バスケのキャプテンは背番号4だ。中学校のときの自分のユニフォームを思い出してしまう。

 ぶるんっと頭を振ると水滴が舞う。こめかみに両手を当てて、オールバックにするように後ろへと髪をすいた。

「なんの因縁なんだか」

 吐くようにつぶやいた。


「ハセガー」

 ニシザーに呼ばれて顔を上げた。

「頼むね」

 ニシザーがいつもどおりにこっと笑うので、わたしも釣られて笑う。笑うことで緊張感が緩む。

 今日のニシザーは、アンカーと呼ばれるポジションにいる。中盤のMFミッドフィルダーの最もゴールに近い場所ポジションだ。

 わたしたちの高校は予選トーナメントから攻撃的なサッカーをしていたが、この準決勝ではキーパーであるわたしが頼りないこともあり、ふだんよりも守備寄りの布陣を敷いている。今週は、ずっとその陣形での動き方を練習していた。守備をがっちり固めて、チャンスがあったら一気に攻撃を仕掛けていくカウンターサッカーだ。たった1週間しか練習していない付け焼き刃の陣形で強豪相手に挑む。

 そして、サッカーを始めて1ヶ月で、初めてのスターティングメンバーとなってしまったわたし。試合に出るのは、まだ2試合目。

「ある意味、わたし運がいいのかな」

 逆か。

 わたしにはラッキーでも、チームにとってはアンラッキー以外の何者でもない。

 わたしは歯をむき出して、無理に口角を上げて、猛々しく笑顔を作った。


 笑え、わたし


 予想どおり防戦一方の苦戦になった。うちがボールを持って攻撃する時間が少ない。逆に、敵がゴールに、わたしの守るところに何度も何度も襲い掛かって来る。それをニシザーたちが必死で防ぐ。そのため、敵もボールを持ちながらも、なかなかシュートすることができない。

 わたしの顔を流れるのは、雨と冷や汗だ。

 敵のFWフォワードが迫ってくるたびに、胸がドキドキする。

 どう動くか考える。考えているうちはまだダメだ。

 キーパーの動きをもっと体に染み込ませることができれば、考える以前にからだが動くはずなのに。もっと練習する時間があったら。でも、そんなこと思ったって仕方ない。

 なんて、つらつら思いを巡らせているそばから、この試合、最初のシュートが右横に飛んでくる。

 ばっと横っ飛びしてキャッチ。そのままからだが濡れた芝生の上を滑っていくが、ボールを腹の下に抱え込んでうずくまる。

 びしゃびしゃの芝生の上を滑る感触は、なんとも表現し難い。

「ナイスキャッチ」

 ぽんぽんと背中を叩かれる感触とニシザーの声。

「うん、大丈夫」

 そう言うと、ニコッと笑って走り去っていくニシザーを見送り、ボールを持って立ち上がると、ボールを蹴る準備に走る。


 その後にも立て続けにシュートが飛んできたが、どれもわたしは弾くかキャッチで止めた。

「ハセガー、ほんとに初心者?」

 ニシザーがわたしの肩を拳で突付く。

「ビギナーズ・ラックだよ。そっちこそ、こんなにシュート防げないなんて初心者じゃないの?」

「言ってくれるじゃん」

 わたしの憎まれ口に、ニシザーから思いっきり背中をひっぱたかれて、びしゃんっという音がして、水飛沫が背中から跳ねた。

「っぃってええ」

 あはは、とニシザーが走っていく。

 その背中を少しだけ見送ってゴールキックの位置をDFディフェンダーの先輩と確認して、ボールを置いた。


 そして、もちろん、ビギナーズ・ラックなんてものはない。

 わたしに向かって、青いユニフォームと黒いユニフォームが絡み合うようにしながら、ボールを連れてくる。

 ボールから目を離さない。でも、ゴール前に人が増えると、どうしてもボールを見失ってしまう。


 どこ? ほら、見失った。


 目を動かしてボールを探した。

 次の瞬間、左の後ろに何かが飛び込んできて、ゴールネットが揺れて、ネットにたまっていた雨粒がどっと舞って落ちた。



 初めての失点に愕然とする。

 練習では何度もゴールを決められているけれど、試合で決められたのは初めてで、悔しさが下腹から熱く持ち上がってきた。わたしの左後ろをボールが転がっている。左前では、敵の選手数人が抱き合って得点を喜んでいた。

「今のは、しかたないよ」

「大丈夫、まだ1点」

「ハセガー、行くよ」

 先輩たちが次々とわたしに声を掛けてくれる。そうは言われても、最後を守るのはゴールキーパーだ。わたしだ。グローブの着いた手で顔をはたいて、また、そこに立つ。立つしかない。


 次のシュートは防いだ。

 その次のシュートは拳で弾いたが、それをタイミング良く、ヘディングされてしまい、また、それに反応できず、ゴールネットが揺れて雨粒を落とした。

 悔しくて、地面を叩いた。


 前半31分 0対2

 厳しいスコアになった得点ボードを睨む。その目に雨粒が入って、目をしばたいた。

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