第15話 わたしは初めてそこに立った

 5月に入り、いよいよ大会が近付いてきて試合形式の練習が増えた。1年生たちは練習だけでなく、雑用もしなくてはならず、サッカー部に出入りしている写真部である筈のわたしは、大変そうな1年生たちを見かねてあれこれちょっとずつ手伝っているうちに、すっかり女子サッカー部の実質上マネージャーになっていた。先輩たちからもマネージャーとして正式に入部することを勧められてしまう始末で、写真部とサッカー部を兼部できるかどうか真面目に考え始めていた。


 バスケをやめて、写真を始めて、今度はサッカー部のマネージャーにもなる?


「わたし、何してんだろうなあ?」

 集めてきたボールをかごに放り投げながら呟いた。

 

 紅白試合が始まって、手が空いたのでカメラを取り出す。最近は、ニシザーに限らず、部員全員の写真もたくさん撮っている。みんなを撮ったことで上達したのか、全く何が撮れたのか分からないような写真は少し減った。写真の中に人が写ってない、ということはほぼなくなった。巧くなったとはとても言えないが、ごくたまに、いい感じに選手にピントが合うこともある。ただし、肝心のニシザーの写真は、なかなか納得できるものが撮れなくて悔しい。

 そんな風に、写真も面白くなってきただけに、マネージャーになることで写真をやめたくはない。


「きゃほー♪」

 ゴールを決めたゴトゥーがピッチで奇声を上げる。

「ハセガー、ハセガー、今のシュート撮ったあ?」

 奇人ゴトゥーが駆け寄って来る。

「うーん、シャッターは切ったけど、期待しないでね」

「頼むわよ!専属カメラマン♪」

 ゴトゥーは、わたしの前でくるっとターンして、ピッチに戻っていった。

「いや、わたしゴトゥーの専属じゃないし」

「そうそう、ハセガーは、サッカー部うちの専属だよね」

 水分を摂っていた先輩がぽんっとわたしの肩を叩いて走り出す。

 サッカー部の先輩たちは、何となく入り込んでいるわたしに優しい。中学時代に優しい先輩というものに出会ったことがほとんどないわたしにとって、この部は居心地が良い。だから、何か少しでも役に立ちたいと思い始めているのも確かだ。


「で、ハセガーはマネージャーするの?」

 ほぼほぼ毎日、全体練習の後に30分くらいニシザーは自主的に居残り練習をする。たまにゴトゥーや他の1年生が一人二人加わることもあるが、今日は、ニシザー一人しかおらず、わたしも一緒に残っていた。

「写真を撮る時間を確保できるなら、マネージャーをやるのもいいかなって思ってるよ」

 でも、もしニシザーに振られたら、マネージャーやるのはキツくなるなあ。


「誰かがマネをやってくれればありがたいけど、マネージャーはハセガーが本当にやりたいことなの?」

 ニシザーは、ボールを膝や足に当てて地面に落とさないように器用にボールをリフティングしている。素人のわたしでは、良くて2回しか続かない。


「実際、本当にやりたいことが分からないんだよ。正直言うと、バスケも人真似で始めたから、やりたくて始めたのとちょっと違うし、写真は、何かを探すために始めたし。何もやらないよりは、何かしていたいとは思ってるんだけど」


 そう言いながら、わたしはゴールネットの前にちよこんと立った。そこはゴールキーパーの立ち位置。どうせシュートの練習をするなら、キーパーもどきでもいないよりはマシでしょ。

「さあ、シュートしていいよ、でもわたしにボールぶつけないでね」

「ハセガー、本当にやるんだ」

 敢えて今日はジャージを着ていたのはこのためだ。わたしは腕組みをして頷いた。

 ニシザーは、わたしのいる真ん中を避けるように、左右にボールを蹴り分ける。最初は、蹴られたボールのスピードの速さに驚いたが、何度か見ているうちに目が慣れてきた。


「ニシザー、キャッチできそうなボールはキャッチしてもいい?」


 そう言うと、ニシザーはベンチに行って自分のスポーツバッグを漁り、中からキーパー用のグローブを出した。野球のグローブと違って大きな手袋みたいだった。

「キーパーじゃないのに、そんなの持ってんだ」

「一応持ってるだけで、ほとんど使ったことないけどね。はい、突き指に注意してね」

 やれるものならやってみな、と言うように。

「あれっくらいなら手を当てて止めるくらいはできると思うけどなあ」

 グローブをはめて、あんなシュート大したことないもんと言うように煽り返す。

「そんな簡単に止められたら、私が困るよ」

 ニシザーが苦笑いした。


 そして、わたしは立ち位置を戻す。実は、簡単に止められる、なんて思ってない。近い場所からペナルティキックは飛んでくるし、ボールを蹴るニシザーの目も真剣だ。

 一回、深呼吸してから、ぽんっと手を叩いてグローブの感触を確かめると、両腕を広げて腰を少しだけ落とした。

「さ、来い」


「え?」

 その時、ニシザーの表情が変わった。


「どうかした?」


「…いや、ちょっと」


 まず、ニシザーはパスするように軽く蹴ってきた。ボールはわたしの胸元に飛んできて、なんなく両手でキャッチした。

「はは、ウォーミングアップ?」

 ボールをニシザーの足元に転がして返すと、ニシザーは足の裏でぴたっとボールを止めて、またボールを蹴る。

 さっきより高めに。

 わたしは、腕を上に伸ばしてキャッチして、また、転がす。

 そして、ニシザーは、さらに高くボールを蹴った。

 軽くジャンプして、両手でキャッチした。


「余裕じゃん」

 ニシザーがにやっと笑ったので、わたしは肩をすくめてみせてからボールを転がした。

 たん、っという音がして、ボールがふわっと高く上がった。ニシザーがボールを止めず、転がってきたボールをそのまま蹴ったのだ。


 それまでよりも少し早いタイミングで蹴られたことになるが、ボールにそれほどのスピードがないので気にならなかった。

 膝をくっと曲げて、そのまま両手を上げて高くジャンプする。

 バスケのリバウンドの要領で、ジャンプの最高到達点でボールをキャッチし、地面に降りる。


「うそ、高い……」

 ニシザーは目を見開いていた。


「どうしたのー、ニシザー?」

 わたしがボールを転がして返すと、今度は、わたしの左側に少し早めに蹴ってきた。

 左足を大きく一歩踏み出して、左手にボールに伸ばし、はたくように下に落としてから跳ねたボールをキャッチする。

 今度は、足元に速いボール。

「わわわっ下から来るか」

 わたしはそう言いながらも、ボールに反応して、腰をかがめてボールを押さえた。

「そうか、グラウンダーは少し苦手なんだ」

 ニシザーは呟いた。

 その後も、ニシザーはボールの位置や速さを変えながら何本かボールを蹴った。ボールのやり取りで遊んでいるような気分だったが、ふと心配になる。

「ニシザー、わたしとキャッチボールしてないで、ちゃんとシュートの練習しないでいーの? 暗くなっちゃったよ」


「…練習より、大事だよ、これ」

「何が?」

 わたしは首をかしげた。


 ニシザーは、そんなわたしを真剣な眼差しで見ていた。

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