嬉しくもあり、寂しくもあり
「じゃあな、律。
気をつけて」
と横で浅人が手を振っていた。
「うん。
ありがとう。バイバイ」
門の向こうで、律が可愛く手を振ったが、杏は拗ねて視線をそらす。
「律、もう喧嘩しても、うち、来ないでね」
と言うと、えーっ、なんでーっ、と言う。
「だって、課長と一緒になって、私を笑ったからよ。
私、もう律の味方じゃないからねーっ」
と言ってやると、律の後ろで、向井が笑っていた。
向井は律と並んで駅への道を歩いていた。
「なに? 電車なの?」
「呑んだから電車で帰ったんだって言ったろ。
まだ終電があるだろ。
なかったら、駅からタクシーで帰ろう。
お前の小遣いで出せよ」
と言うと、えーっ、と眉をひそめる律に笑ってしまう。
杏ではないが、高校生になっても、まだまだ可愛いな、と思ったからだ。
ぎゅーっとしたくなるが、さすがに嫌がるだろうな、と思って堪えた。
っていうか、こいつ、鷹村に、ぎゅっとしてもらってたな、と思いながら、息子を眺める。
幸い、まだ身長は追いつかれていないが、そのうち抜かれるかもしれない。
それが嬉しくもあり、寂しくもあり。
そのうち、家を出て、就職して、結婚して、子供でも連れてくるのか。
……嫁にあれは勘弁して欲しいが、と頓狂な杏を思い浮かべた。
だが、考えてみれば、そんなに年が離れているわけでもないし。
律には意外な積極性がある。
今日だって、形の上では、浅人のところに行ったのかもしれないが、ちゃっかり、杏に泣きついている。
蜂谷よりは可能性がありそうだぞ、と思っていた。
「お前、ほんとに鷹村が好きなのか?」
と訊いてみる。
「だって、杏さん、可愛いじゃない。
面白いし」
おっと、意外な上から目線だ。
憧れのお姉様みたいな感じかと思ったら、そうでもないようだ。
鷹村が幼いからだな、と思う。
「ねえ、父さん、ほんとに杏さんのこと好きじゃない?」
「あんな手のかかる部下をどうやって好きになれと言うんだ。
支社に飛ばしたいくらいだぞ」
と言うと、ちょっと笑ったが、あまり信用してはいないようだった。
「ねえ、お母さんのこと、今でも好き?」
その問いには答えられないな、と思っていた。
自慢の恋人だったし、自慢の妻だった。
でも、考えてみれば、みんなに理想的なカップルだと言われて、舞い上がっていただけかもしれないと思う。
自分とちょっと似たタイプだから、それ故にぶつかることも多いし。
きっと、あっちが先に目が覚めたんだな、と思っていた。
みんなに羨ましいと言われて、その気になっていたが、それが恋だったかはわからないと。
蜂谷と鷹村も付き合ってはいないにしても、長く一緒に居るようだが、ふいに目が覚めたりしないのだろうか、とふと思う。
「父さんはさ……。
ずっと自慢の父さんだったんだよ」
律がそんなことを言い出した。
「だからね。
ちょっと心配だったんだ。
父さんが杏さんを好きとか言い出したら、敵わないかなって。
父さん、昔から格好よかったから。
小学校のときとか、律くんのお父さん、お兄さんみたいねって担任の女の先生が顔を赤くして言ってた」
ぽんぽん、と向井は律の頭を叩く。
子供の頃していたように。
律は嫌がらなかった。
だが、それは、喧嘩したあとだからかもしれないと思った。
「なにか食べて帰るか」
うん、と昔のままの笑顔で律は答える。
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