職場の王様

可哀想な蜂谷……

 


「もう俺はお前と姉弟でいるのが嫌だ」


 帰る道道、浅人がそんなことを言ってくる。


「なんでよ」

と杏は犬の遠吠えが聞こえる住宅街の道を歩きながら、浅人を見上げた。


「お前は、あの課長に気があるのか。

 あんな言い方されたら、男は期待するだろ」

 

「なんか言ったっけ?」

と言うと、


「可哀想な蜂谷」

と溜息をつかれる。


「蜂谷、今、関係ないしっ」


「杏、耳を澄ませろ」


 唐突にそう言われ、は? と言いながらも、杏は素直に耳を澄ました。


「静かだろ、この通り」

「犬が吠えてるけど」

と言うと、ちょっと黙れ、と言う。


 こいつは昔から、自分に都合の悪いことはなかったことにする癖がある。


 そういうところ、ちょつと蜂谷と似ているな、と思いながら聞いていた。


「人の気配もないし。


 此処らはご老人が多いから、夜は早く寝て、遅い時間に帰宅すると、家からもれる灯りも少ない。


 帰りとか、此処、ひとりで歩くの怖いだろ。

 蜂谷もいつも一緒な訳じゃないし」


 そうなのよ、と杏は手を打った。


「前さ、ひとりで帰ってるときにさ。


 ちょっと怖いなーと思ってたら、前を歩いているサラリーマンの人が居たのよ。


 あ、この人の後をついて行こう、と思って、後をつけて歩いてたら、そのおじさん、だんだん歩くの速くなっちゃって。


 引き離されちゃいけないと思って、慌てて足を速めたら、その人、更に速くなって、どっか曲がって行っちゃったのよね~」


「……怖かったろうな、そのサラリーマン。

 迫り来る足音が」


「なんでよ、なんで?

 私が逃げるのならともかく」


「そんだけ夜道は怖いって話だよ。

 大の男でも。


 って、今、俺が話したかったのは、お前の間抜け話じゃないんだ。


 だから、蜂谷は車を買ったんじゃないかって話だよ」


「え?」


「夜道危ねえから、お前を送り迎えしてやろうと思ったんじゃないの?」


「だったら、私にそう言うでしょ。


 それに……私は、蜂谷と二人で、駅から歩いて帰るの、ちょっと楽しかったのに」

ともらすと、


「だから、そういうことを蜂谷に言えよっ。

 なにやってんだよ、お前は。


 律が可愛いとか、課長が格好いいとか言ってないでっ」

と弟に怒られる。


「一般論じゃん。

 蜂谷が居なくなって、ひとりで電車に、ぼうっと乗っててさ。


 なんか寂しいなーって思ってたら、律が私を見て笑ってて」


「それ、なんで笑われたんだっけ?」


「寝ぼけて、前に座ってたおじさんに頭突き喰らわしそうになったから」


「もう止めてくれる蜂谷居ねえからな……。

 てか、律はなんで、そんな女を好きになったんだ」


「律は別に私のことなんて、好きじゃないわよ。

 私がただ……」

と杏はそこで赤くなる。


「あのとき、律が振り返って笑ったときの顔が、高校のときの蜂谷に似て見えて」


「はあっ!?」

と浅人が夜道で大声を上げる。


「何処がだよっ。

 あいつ、昔から、顔はよかったけど、目つきは凶悪だったろっ。


 お前の目には、蜂谷、あんな可愛く見えてんのかよっ。


 どんだけ愛で目が曇ってんだっ」


「いやいやいや。

 たまに、ああいう可愛い顔するときがあったのよ。


 ていうか、今でもあるわよ?」


「ねえよっ!

 てか、なんだよ、それ。


 律に言ったのかよっ」


「い、言えるわけないじゃないのよ、恥ずかしい」

と赤くなると、


「言えよ。

 可哀想だろ、律っ」

と言ってくる。


「だから、なんで、律が可哀想なのよ」


「律はお前に憧れてんだぞ。

 あの律がっ。


 学校界隈でも、俺様に次ぐ人気の律がっ、信じがたいことにっ」


「あんた、いつそんな人気者になったのよ」

と言うと、


「やっぱり、お前の目は曇っているっ」

と騒ぎ出す。


「あーあ、可哀想に、律。

 お前、あの親子に、なに思わせぶりなことばっかり言ってんだよ。


 かき回すなよ。

 お前が余計なこと言うから、絶対、今頃、親子喧嘩してるよ」

と浅人は根拠のないことを言っていた。







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