頭からワインをかけられたいか?

 


 乗せられるな、杏~っ、と蜂谷は物陰で拳を作っていた。


 焼肉につられて、貞操を奪われるなっ。


 向井が聞いたら、奪う予定はない、と言うところだろうが。


 そこで、蜂谷は肩をつつかれた。

 振り向くと、蘭が立っていた。


「ねえ、杏は超能力者じゃないんだから、そんなところで念じてたってなんにも通じないわよ」

と言う。


「はっきり口に出して言ったら?

 イケメン課長になんかついていかないでくれ、杏っ。


 愛してるんだっとかって」


 ずいぶんと芝居がかった調子で蘭は言ってくる。


「大きな声を出すなっ。

 聞こえるだろうがっ」


「……なにか見てて、すごいイライラするんだけど、あんたたち。

 かちょ……」


 そのまま、ズカズカと二人の許に行ってしゃべり出しそうな蘭の口を塞ぎ、階段へと引きずっていった。




「課長。

 美味しいですね。


 やはり、人はビールと焼肉のために働いているのだと思います」


 焼肉屋でうっとりと語る杏に、向井は呆れたように言う。


「叱られるために、呼ばれてもか」


「……やはり、叱られるんですね。

 でも、美味しいものを食べながら叱られるのなら、叱られてもいいです。


 あと、牡蠣とワインをいただきながら、叱られてみたいです」

とのたもう杏に、


「もう酔ってるのか」

と向井は渋い顔をする。


 そして、

「蜂谷も呼べばよかったな」

と言い出した。


「え? 蜂谷も叱るんですか?」

と言うと、莫迦、と言う。


「お前と蜂谷をくっつけてやろうかと思ってな」


「えっ。

 な、なんでですかっ」


「そしたら、律に余計なちょっかいかけなくなるだろう?」


「だから、ちょっかいなんてかけてませんよ~。

 朝の通勤電車にちょっとした潤いが欲しいなあって思っただけじゃないですか」


「お前はそのつもりでも、律の方は違う気がするから言ってるんだ」

と向井は溜息をついて言った。


「ほら、お前は、ぱっと見は綺麗なお姉さんに見えるじゃないか。

 若いときは、こういうお姉さんにもてあそばれてみたいなあ、とか思うもんだろ」


「課長でもそんなこと思ったことあるんですか」

と訊いてみたが、無言だった。


「律も、最初は綺麗なお姉さんだと思って軽い気持ちで話しかけたのかもしれないが。


 今は、ちょっと本気になってる気がするんだよ。


 自分を弄んでくれるどころか、手がかかるお前の面倒を見なければ、とか本気で思ってるのかもしれないじゃないか」

と言い出す。


 いや、なんで、電車でちょっと話しただけで、私が手がかかるってわかるんだ、と思った。


「まあ、そもそもですね。

 私になんの経験もないのに、もてあそべるわけもないんですが」

と言うと、


「お前、蜂谷はどうした」

と言われる。


「なんで、みんな蜂谷を言うんですか」


「そりゃ、べったり一緒だからじゃないか。

 むしろ、つきあっていないことにびっくりしたぞ」

と言われ、腕を組んで、杏はうなる。


「昔のことにこだわってるから、というのもあるんですが。

 そもそも、蜂谷、私には、なにも言わないですからね」


「好きだとか言ってこないのか」


「言わないですねー。

 課長は簡単に言えるタイプですか?」


「言えなくもないな」


「……意外ですね」


 なにかこう、仕事とは違い、恋愛方面には積極的ではないような気がしていたのだが。


「でも、そんな積極性があっても、奥さんに逃げられたりするんですね」


 しみじみ語ると、

「酔ってるのか、鷹村。

 頭から、ワインをかけられたいか」

と言われる。


「そういえば、課長は焼肉にワインですね」


「話をそらすな」

と言ったあとで、


「……呑んでみるか」

と言う。


 はい、と杏は向井のグラスを受け取り、一口呑むと、軽くついた口紅を拭いた。


「結構、焼肉と合いますね」

「じゃあ、頼め」


 はい、と杏は振り向いて、手を挙げ、店員を呼ぶ。

 向井が笑った。


「そういうときは、素早いのにな。

 よし、私が蜂谷に電話してやろう」


 手を挙げたまま、杏は振り向く。


「お前を好きだと言わせてやる」

と言いながら、既に向井はスマホを耳に当てていた。


「課長っ。

 待ってくださいよ。

 ちょっとっ。


 そんなことするんなら、私は課長の奥さんに電話しますよっ。

 帰ってきてくれって課長が泣いてますよって」


「余計なことをするなっ」


「今の言葉、そっくり課長にお返ししますっ」


 幸い、蜂谷は電話に出なかったようだった。


 杏は立ち上がり、スマホを持つ課長の手をテーブルの上に抑え込んでいた。


「騒ぐな。

 カップルの別れ話みたいだろ」


「課長と私はカップルには見えません」

「何故だ」


「何故だって、課長みたいな人と私とじゃ釣り合わないからですよ」


「そういえば、蜂谷が私に襲われろとロビーで叫んでいたようだが、私にはお前を襲う予定はない」


「わかってますよっ」


「あいつは、自分の彼女が一番モテると思ってるパターンだな。

 そして、勝手にやきもきする」


 だから、彼女じゃないです、と言おうとしたのだが、

「私と逆だ」

と向井は言った。


「妻にしたのだから、もう放っていおいていいのだと思っていた」


「あの、課長。

 それ、一番まずいパターンですよ。


 ほっとかれたら、女はすぐに逃げますよ」


「……めんどくさいものだな、恋愛というのは。

 お前ももうやめておけ」


「だから、なんで、私まで巻き添えにしようとするんですか……」


 課長を教訓に頑張ります、と杏が場を閉めると、向井は厭そうな顔をしていた。






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